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第四幕 よみがえりのノクターン

41.音がほしい

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◇◇

 母の死因については、勤めていたピアノ教室のおじさんから通夜ぶるまいの際に聞かされた。

「凛之助くんのお母さんはね。若い時から進行性の病気におかされていたんだそうだ」

 初耳だ。にわかに信じられなかった。

「君のご両親が離婚した理由も、君の出産の際に隠していた病が発覚してしまったからで、厳格だったお父さんの両親が許さなかったらしい」

 父とは些細な喧嘩で別れた――というのは、真っ赤なウソだったということか。

「お母さんは凛之助くんの知らないところで闘病していたんだ」

 体力に余裕があったから働き詰めだったというのもウソ。
 本当は命を削りながら働いて、合間を縫って治療もしていたのか。

「君が小学校にあがる頃には『もってあと10年』と余命宣告されてしまった。だからお母さんは君を一日でも早く自立させるために必死だった。そのため、時には厳しくしつけざるを得なかったそうだ。ただ根はとても繊細な人でね。凛之助くんのことをひどく叱りつけてしまった日の翌日は、涙ながらに『自分が憎い』と漏らしていたのだよ……」

 どこまでウソで固められた人生だったのだろう。
 息子である僕の前では辛い顔ひとつ見せなかったくせに……。

「君がパリに旅立ってからは、それまで張りつめていた糸がプツリと切れたかのように体調を崩して、病院で寝たきりになってしまってね。それでも君がコンクールで活躍すれば、満面の笑みで喜んでいたな。
 入院中、ずっと君のことだけを心配していたよ。そして私と音楽事務所の社長さんに『凛之助を頼みます』と遺して息を引き取ったんだ。
 本当によく頑張った。おかげで、凛之助くんはこんなにも立派になったのだよ。ううっ……」

 棺の中を覗き込みながら涙を流すおじさんを横目に、僕はとても冷めていた。
 ウソばかりの人生。母はそれで満足だったのだろうか。
 棺の中の母はとても穏やかな顔をしていてね。
 もう誰にもウソをつく必要がないから、清々しいのかもしれない。そんな風に思えてならなかった。

 その後、葬式を終えても、僕の気持ちは冷たいままだったな。
 哀しくも、嬉しくもない――空虚な感じと言うべきか。
 そんな心持ちのまま母の骨壺を持って久々に実家へ。誰もいない家の中は不気味な静寂に包まれていて、居心地が悪かった。

 音がほしい――。

 喉の渇きを潤す水を求めるような気持ちで、あれほど飛び出したくて仕方なかったピアノのある部屋に入る。
 時刻は午後5時過ぎ。カーテンの向こう側からオレンジ色の西日が差し込んでいた。
 何とも言えない息苦しさを紛らわせるために窓を全開にした後、僕はピアノの前に座った。
 白い鍵盤に指を置く。ボンという音が弾け、余韻となって部屋を漂った。
 一度目をつむり、呼吸を整える。両手を鍵盤の上に置き、胸の内でテンポを作った。
 息を止めて鍵盤を優しく叩く。点だった音が線となり、哀愁漂うメロディーに変わる。

 ショパンの夜想曲《やそうきょく》第2番。
 俗に言う『ノクターン』。

 ゆったりとした曲調は、過ぎし日々を想うのにぴったりだった。

 母は、僕を奴隷のように扱い、少しでも自分の思い通りにならなければ容赦なく暴力をふるった暴君。でもそれはウソの姿で、本当の彼女は慈悲と愛情にあふれた人だった。

「なんでウソをついたんだよ……」

 母が理解できなかった。
 なんで病気のことを隠していたんだよ。
 なんで辛い顔ひとつしなかったんだよ。
 なんでサヨナラを言わせてくれなかったんだよ。

 いくつもの「なんで」が浮かんでは消えていく。その度に涙が雫となって落ちていった。
 哀しくなんてないはずなのに。
 なんでだよ……。

「もうウソはこりごりだ――」

 心の底からそう思っていた。
 しかし母の残した『最後のウソ』で救われることになろうとは……。
 
 曲の終わりとともに、聞こえてきた乾いた拍手。
 僕はハッとなって窓に駆け寄った。
 聞き間違えるわけがない。
 なぜならこの音が聞きたくて、僕はピアノを弾き続けてきたのだから――。

 そう……。窓の外にたたずんでいたのは、花音だった。
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