26 / 60
第三幕 伝言ふたつ
26.もう一つの伝言
しおりを挟む
「どうして……?」
顔を真っ青にした美憂さんが真っ先に反応し、私は言葉を失ってしまった。
かたくなに自分の内面をさらけ出そうとしなかったおじいさんが、自分を変えてまでして、絞り出した言葉なのだ。嘘偽りのない、真っすぐで透き通った想いなのは、赤の他人の私にも痛いほど伝わってきた。
それを「伝えられない」と一蹴するだなんて……。
私は心配になって、フクからおじいさんに視線を移した。
けど彼は驚くほど冷静な顔つきでフクのことをじっと見つめていたのだ。
そしてフクの大きな瞳の奥から何かを感じたのだろうか。
目をつむりながら微笑むと、「おまえの話したいことを話してみろ」と促した。
するとフクは、おばあさんが亡くなった日のことを、もう一度語り出したのだった――。
◇◇
あの日のばあちゃんはとにかくよくしゃべったんだよ。
目をらんらんと輝かせて、遠くを見つめてさ。
まるで俺とは違う景色を見ているみたいだった。
「喜明さんはね。映画が本当に好きでね――」
喜明……? ああ、じいさんのことか。
宅配便のお兄さんが荷物の受取人を確認する時くらいしか、じいさんの名前なんて聞いたことなかったから、誰のことだかぱっと思いつかなかった。
でもばあちゃんは、なんで今さらじいさんのことを話しはじめたのだろう?
そう疑問を覚えながらも、俺はばあちゃんの話に耳を傾けていた。
「女学生だった頃、お友達同士で川越のホームラン劇場で映画を観にいった時にね、もぎりのアルバイトをしていた喜明さんと出会ったのよ。
グレーのベレー帽を斜めにかぶっていて、ちょっと日本人離れした端正な顔立ち。まるで映画のスクリーンから出てきたスターのように、私には見えたわ。
父親以外の男の人と接するなんて、小学校以来ほとんどなかった私は、彼と目を合わせただけで、胸をドキドキさせちゃってね。
ふしだらと笑ってくれてもいいのよ。
チケットを手渡す時に、ちょっとだけ指を伸ばして彼に触れたの。
顔がかっと熱くなって、ふわふわと浮き上がったような気分になってね。その後の映画の内容なんてまったく頭に入ってこなかった。
映画が終わって、なんだか夢からさめたようで寂しい気持ちになっていたのだけど、私にとっての本番はここからだった。
なんと喜明さんが劇場の出口で待っていてくれて、私を食事に誘ったの!
その時はパニックになってしまって、逃げるように帰ってしまったのだけど、すごく後悔してねぇ。だから覚悟を決めて、数日後にもう一度会いにいったのね。嫌われても仕方ない。でもこのまま顔を合わせなければ、もっと後悔するってね。
そしたらまた食事に誘ってくれた。
すごく嬉しくて、天にも昇るような気分だったわ――。
今でもすごく感謝しているの。
もちろん喜明さんのことよ。だって私には彼を食事に誘う勇気なんて、これっぽっちもなかったんだもの。
もしできるものなら、喜明さんに『あの時、食事に誘ってくれてありがとう』って伝えたい。
でも、私ったらだめね。歳を重ねるたびに頑固になって。
私の口から喜明さんに、昔のことを『ありがとう』なんて言えない。
だからフク。もしあなたがいつか喜明さんとお話しできるようになったら、あなたの口から彼に伝えてほしいのよ――」
◇◇
そこで話をきったフクのことを、おじいさんは目を大きく見開いて見つめていた。
それはそうだろう。
おじいさんの『謝りたいこと』が、おばあさんにとっては『感謝したいこと』だったのだから……。
みなが唖然とする中、フクは淡々とした口調で続けた。
◇◇
その後もさ。
じいさんとののろけ話だったよ。
「初めてのデートはね。映画に行ったの。ホラー映画。
ふふ。私、昔からホラー映画が苦手で。ずっと目を閉じてたんだけど、すごく幸せだったのよ。
だって喜明さんが、ずーっと手をつないでくれていたから」
でも……。でもさ……。
「新婚旅行は北海道で山を登ったの。
山頂から眺める景色はとってもきれいでね。
心の底から、ここに連れてきてくれた喜明さんに感謝したわ。
そして一生この人について行こうって、あらためて誓ったのよ」
ばあちゃんの顔が、今までにないくらいに輝いていたんだよ。
「息子が生まれたのは、雪が降る寒い日だったわ。
出産の瞬間に立ちえなかった喜明さんに、私はちょっぴり拗ねてね。でも退院した後、彼が裸足でいた時に気づいたの。
足の裏が傷だらけだって。
彼は最後まで教えてくれなかったんでけど、お義母さんから聞いたのよ。
出産の日。彼はお百度参りをしていたの。しかも凍えるような寒さの中を裸足でね。
それを聞いた時、必死で神様にお参りしている姿を想像したら、嬉しくて思わず泣けてきてね。
ありがとう、って心の中で何度も頭を下げたのよ」
俺はずっとばあちゃんのことが不憫でならなかったんだぜ。
じいさんがばあちゃんのことなんて見向きもしないからさ。
でもよ……。
「毎日朝早くから夜遅くまで、私と息子のためにお仕事頑張ってくれて。
どんなに忙しくても愚痴の一つも言わずにね。
本当にありがった。
おかげで息子は立派に育って、可愛い孫まで生まれたんだもの」
無邪気な笑顔で話すばあちゃんを見て、俺は心の底から安心したんだ。
だってさ……。
「たまに私をお酒に誘ってくれてね。
二人きりで過ごす時間はとても楽しかったわ。
何度、ありがとうを言っても足りないくらい感謝してる」
ばあちゃんはじいさんと一緒になれて、誰よりも幸せだったんだから。
「私はあなたと一緒に人生を歩むことができたことに感謝しております。
ありがとうございました。
心から愛しております。
そう伝えてくれるかしら――?」
それがばあちゃんの最期の言葉だったよ。
顔を真っ青にした美憂さんが真っ先に反応し、私は言葉を失ってしまった。
かたくなに自分の内面をさらけ出そうとしなかったおじいさんが、自分を変えてまでして、絞り出した言葉なのだ。嘘偽りのない、真っすぐで透き通った想いなのは、赤の他人の私にも痛いほど伝わってきた。
それを「伝えられない」と一蹴するだなんて……。
私は心配になって、フクからおじいさんに視線を移した。
けど彼は驚くほど冷静な顔つきでフクのことをじっと見つめていたのだ。
そしてフクの大きな瞳の奥から何かを感じたのだろうか。
目をつむりながら微笑むと、「おまえの話したいことを話してみろ」と促した。
するとフクは、おばあさんが亡くなった日のことを、もう一度語り出したのだった――。
◇◇
あの日のばあちゃんはとにかくよくしゃべったんだよ。
目をらんらんと輝かせて、遠くを見つめてさ。
まるで俺とは違う景色を見ているみたいだった。
「喜明さんはね。映画が本当に好きでね――」
喜明……? ああ、じいさんのことか。
宅配便のお兄さんが荷物の受取人を確認する時くらいしか、じいさんの名前なんて聞いたことなかったから、誰のことだかぱっと思いつかなかった。
でもばあちゃんは、なんで今さらじいさんのことを話しはじめたのだろう?
そう疑問を覚えながらも、俺はばあちゃんの話に耳を傾けていた。
「女学生だった頃、お友達同士で川越のホームラン劇場で映画を観にいった時にね、もぎりのアルバイトをしていた喜明さんと出会ったのよ。
グレーのベレー帽を斜めにかぶっていて、ちょっと日本人離れした端正な顔立ち。まるで映画のスクリーンから出てきたスターのように、私には見えたわ。
父親以外の男の人と接するなんて、小学校以来ほとんどなかった私は、彼と目を合わせただけで、胸をドキドキさせちゃってね。
ふしだらと笑ってくれてもいいのよ。
チケットを手渡す時に、ちょっとだけ指を伸ばして彼に触れたの。
顔がかっと熱くなって、ふわふわと浮き上がったような気分になってね。その後の映画の内容なんてまったく頭に入ってこなかった。
映画が終わって、なんだか夢からさめたようで寂しい気持ちになっていたのだけど、私にとっての本番はここからだった。
なんと喜明さんが劇場の出口で待っていてくれて、私を食事に誘ったの!
その時はパニックになってしまって、逃げるように帰ってしまったのだけど、すごく後悔してねぇ。だから覚悟を決めて、数日後にもう一度会いにいったのね。嫌われても仕方ない。でもこのまま顔を合わせなければ、もっと後悔するってね。
そしたらまた食事に誘ってくれた。
すごく嬉しくて、天にも昇るような気分だったわ――。
今でもすごく感謝しているの。
もちろん喜明さんのことよ。だって私には彼を食事に誘う勇気なんて、これっぽっちもなかったんだもの。
もしできるものなら、喜明さんに『あの時、食事に誘ってくれてありがとう』って伝えたい。
でも、私ったらだめね。歳を重ねるたびに頑固になって。
私の口から喜明さんに、昔のことを『ありがとう』なんて言えない。
だからフク。もしあなたがいつか喜明さんとお話しできるようになったら、あなたの口から彼に伝えてほしいのよ――」
◇◇
そこで話をきったフクのことを、おじいさんは目を大きく見開いて見つめていた。
それはそうだろう。
おじいさんの『謝りたいこと』が、おばあさんにとっては『感謝したいこと』だったのだから……。
みなが唖然とする中、フクは淡々とした口調で続けた。
◇◇
その後もさ。
じいさんとののろけ話だったよ。
「初めてのデートはね。映画に行ったの。ホラー映画。
ふふ。私、昔からホラー映画が苦手で。ずっと目を閉じてたんだけど、すごく幸せだったのよ。
だって喜明さんが、ずーっと手をつないでくれていたから」
でも……。でもさ……。
「新婚旅行は北海道で山を登ったの。
山頂から眺める景色はとってもきれいでね。
心の底から、ここに連れてきてくれた喜明さんに感謝したわ。
そして一生この人について行こうって、あらためて誓ったのよ」
ばあちゃんの顔が、今までにないくらいに輝いていたんだよ。
「息子が生まれたのは、雪が降る寒い日だったわ。
出産の瞬間に立ちえなかった喜明さんに、私はちょっぴり拗ねてね。でも退院した後、彼が裸足でいた時に気づいたの。
足の裏が傷だらけだって。
彼は最後まで教えてくれなかったんでけど、お義母さんから聞いたのよ。
出産の日。彼はお百度参りをしていたの。しかも凍えるような寒さの中を裸足でね。
それを聞いた時、必死で神様にお参りしている姿を想像したら、嬉しくて思わず泣けてきてね。
ありがとう、って心の中で何度も頭を下げたのよ」
俺はずっとばあちゃんのことが不憫でならなかったんだぜ。
じいさんがばあちゃんのことなんて見向きもしないからさ。
でもよ……。
「毎日朝早くから夜遅くまで、私と息子のためにお仕事頑張ってくれて。
どんなに忙しくても愚痴の一つも言わずにね。
本当にありがった。
おかげで息子は立派に育って、可愛い孫まで生まれたんだもの」
無邪気な笑顔で話すばあちゃんを見て、俺は心の底から安心したんだ。
だってさ……。
「たまに私をお酒に誘ってくれてね。
二人きりで過ごす時間はとても楽しかったわ。
何度、ありがとうを言っても足りないくらい感謝してる」
ばあちゃんはじいさんと一緒になれて、誰よりも幸せだったんだから。
「私はあなたと一緒に人生を歩むことができたことに感謝しております。
ありがとうございました。
心から愛しております。
そう伝えてくれるかしら――?」
それがばあちゃんの最期の言葉だったよ。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】
迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。
ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。
自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。
「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」
「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」
※表現には実際と違う場合があります。
そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。
私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。
※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。
※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる