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第三幕 伝言ふたつ

25.伝えてほしいこと

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「ふんっ! 隣の席の黄泉送りが終わったら、次はおまえだからな。そのつもりでいろよ!」

 みながソラを見つめる中、彼は着替えるために不機嫌そうな顔つきでキッチンの奥へ消えていった。
 フクにもおじいさんに話したいことがあるって、どういうことだろう……?
 なんだか分からないけど、ソラのおかげでフクがおじいさんの話を聞くきっかけにはなったようだ。

 フクは「ちっ……。仕方ねえな」とぼそりと漏らして、顔をおじいさんに向けた。

 さあ、あとはおじいさんの心を開くだけだ。
 でも彼にも変化が生じていた。
 きょろきょろと目を動かして、もごもごと口の中で舌を転がしている。
 もうっ! 戸惑っている場合じゃないのに!
 私はたまらず声を発した。

「お客様!」

 けどそんな私を制したのは八尋さんだった。
 彼は私の右肩にそっと手を添えて、「美乃里さん。大丈夫だから」と包み込むような口調で私を諭した。
 目を丸くした私さんに対し、彼はニコリと微笑みかけた後、首を横に振る。
 これ以上は何も言わないで、と。

 いったいどうして八尋さんは私のことを止めたのだろう?
 もう時間はほとんど残されていないのに……。

 でも少し垂れ下がった八尋さんの目からは、有無を言わせない強さが感じられる。私は言いたいことをぐっと喉の奥に押し込めて、その場を見守った。

 鼻からすぅと音を立てて息を吸い込んだおじいさんは、固く目をつむる。
 そしてふぅと大きく息を吐き出すと、ゆっくりとその目を開いた。

「フク。あの世にいるみず江に伝えてほしいことがある」

 それはずっと待ち望んでいた言葉だった。
 かすれ気味だけど、はっきりとした口調で、彼の強い覚悟がひしひしと伝わってきた。
 けどフクは「はい」とも「いいえ」とも答えず、ただおじいさんを見つめていた。

「いじわるなヤツめ」

 おじいさんはふっと口元を緩めると、ゆったりとした口調で話しはじめたのだった。

◇◇

 私がみず江に出会ったのは、高度経済成長期の真っただ中だった頃だよ。戦時中の鬱憤を晴らすかのように、日本中が明るく、パワーにみなぎっていた。
 私は東京の大学に通いながら、川越のホームラン劇場でチケットのもぎりのアルバイトをしていた。
 昔から映画が根っから好きでね。将来は黒澤さんのように有名な映画監督になるんだって息巻いていたな。
 あの頃の私は向こう見ずで、今考えると恥ずかしいことも平気でできた。自分はなんでもできるんだって思い込んでいたんだ。

 そんなある日のことだよ。
 まだ女学生だったみず江が女友達と一緒に映画を観にきたのは。
 透き通るように白い肌と口元を隠しながら笑う上品な仕草が特徴的でね。
 後から知ったんだが、彼女は毛並みが真っ白な猫が好きなんだそうだ。
 その白猫をかたどった可愛らしい財布からチケットを取り出して、私に微笑みかけてくれた時、電撃が走ったような衝撃を覚えた。
 私の一目惚れだった。
 みず江のことを「運命の人」と決め込んだ私は、彼女が劇場から出てくるのを待ち伏せしたんだ。
 そして目を丸くする彼女に「食事に付き合ってください!」なんて言ったけ。
 今になって思えば、見ず知らずの男からデートに誘われたら、驚くどころか怖いに決まってる。みず江も同じで、彼女は友達にかばわれるようにしながら、その場を去っていった。
 でも数日後のことだ。同じ劇場の前まで今度は一人でやってきた彼女が「先日のお話し。まだお気持ちは変わっていませんか?」と言ってくれたのは。

 嬉しかったなぁ――。

 冗談ではなく、もう死んでもいいと思った。
 その後はとんとん拍子というか、付き合いはじめてから5年後に結婚して、その数年後に子供が生まれて――。
 俺は必死に働けば家族を幸せにできると信じて、遮二無二仕事に没頭した。そうして気づけば、みず江は俺を残してあの世に逝っちまった。
 
 今思い返すと、みず江には申し訳ない気持ちしかない。
 俺のわがままで彼女を死ぬまで振り回してしまった。

 だから、フク。
 みず江に伝えてほしいんだ。

 おまえの気持ちなんて関係なしに、ホームラン劇場で声をかけて、すまなかった。
 初めてのデートで、ホラー映画が苦手なのを知らずに、映画館で怖い思いをさせてしまって、すまなかった。
 本当は沖縄の海が好きなのに、新婚旅行は北海道で山登りさせちまって、すまなかった。
 ひとり息子が生まれた日。出産の瞬間に立ち会えなくて、すまなかった。
 育児も家事も全部おまえに押し付けてしまって、すまなかった。
 たまに一緒に酒を酌み交わすことくらいでしか感謝の気持ちを示すことができなくて、すまなかった。

 そして……。

 おまえの最期を看取ってやれなくて、すまなかった。

◇◇

 おじいさんの言葉が止まる。
 それまで黙って聞いていたフクが、先を促すように首をかしげたが、おじいさんは口を結んだままだ。
 フクは何度かまばたきをした後、淡々とした口調で言葉を並べた。
 だがその内容は驚くべきものだった――。

「その伝言……。ばあちゃんに伝えるわけにはいかねえな」

 
 
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