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第一幕 女装のナイト
リストラのち川越
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◇◇
私、関川美乃里《せきかわみのり》にとって、今年は「厄年か!?」と嘆きたくなるくらいに災難続きだった。
はじまりは年明け早々。大学3年の時から7年も付き合っていた同学年の彼氏に突然振られた。
きっかけは彼《·》の浮気だった。
でもそれは今に始まったことではなかった。なんと付き合い始めてから2か月後には浮気をしていたのを、私は知っていたのだ。
――知ってるんだろ? 俺が浮気してること。どうして黙ったままなんだよ! なぜ俺を責めないんだ!?
おまえってさ。誰にでもいい顔するよな。言いたいことも何も言わずに。そんなに人から嫌われるのが嫌なのか?
もう限界なんだよ! おまえが何を考えてるか分からないから!
浮気をしている本人から「なぜ責めないのか?」と問いただされた挙句に振られるというのも、なかなかレアだと思うの。
でも私のいけないところは、どんな理不尽なことをされようとも、他人に対して冷たくできないところだ。
――ごめんね。私、あなたの気持ちにぜんぜん気づけなくて……。
こうして私の方から頭を下げて、7年の恋はあっさりと終わりを告げた。
けど災難はこれにとどまらなかった。
孤独なバレンタインデーを過ぎたすぐのある日。
――関川くん。ちょっといいかな。
事務員として勤めている広告代理店で、人事部長から呼び出されたかと思うと、開口一番こう告げられたのだ。
――近頃の不況で会社も困っていてね。そこで契約社員と事務系職種の正社員については、週休4日として、給与を3割カットすることにしたんだ。
もちろんこの措置に納得がいかないなら仕方ない。
多めに退職金は用意するし、転職先には良く言うことを約束しよう。
ただね。できれば会社に残ってほしい。
いわゆるリストラというやつだ。
契約社員が全員辞め、私のような事務系の正社員もほとんど辞めてしまった。辞めなかったのは家族のいる男性社員ばかりで、その人たちは営業や企画職に配置換えをすることで給与カットをまぬがれた。
しかし全員が配置換えしたら、膨大な事務作業を全員で兼務しなくてはならない。
私は同僚たちにその状況を押しつけるのは嫌だった。
いや、「だったら辞めます!」と辞表を叩きつける勇気がなかっただけかもしれない。
いずれにしても私は会社に残った。その結果、給料が減ったのに仕事は爆発的に増えるという、目も当てられない事態に陥ってしまったのである。
――美乃里は人が好すぎるのよ! 他人が困っている時は猪突猛進で怖いもの知らずで突っ走るくせに、いざ自分のこととなると何も言えなくなっちゃうんだから。言いたいことがあるなら、はっきり言わなきゃ損するよ!!
元カレと同じようなことを、仲の良い同僚からも言われたけど、どうしても私にはできない。だからこう返すのが精いっぱいだった。
――私のことなら大丈夫だから! みんなを助けるのが私の役目だしね! ははは!
私は人に嫌われたくないし、傷けたくない。だから相手にはっきりと物事を言うことが怖い。それだけじゃない。喧嘩することですら嫌で、他人と仲を深めることができずにいる。
LINEの友達登録数はすごく多いけど、気軽にディナーに誘える相手は一人もいない。
孤独という二文字がいつも背中について回っていた。それを振り払いたくて、他人の前ではできる限り明るい笑顔を振舞うようにしている。
そのせいか周囲の人たちは私のことを「社交的」と考えているみたい。
けど実際はそんなんじゃなくて、ただの臆病者なだけなのだ。
だから誰とも絆を結べていない。
次々と災難が降りかかっても、誰も手を差し伸べてくれないのだ――。
こんなことを考える時には、いつも高校3年になったばかりの春を思い出す。
病室のベッドで仰向けになっているのは、親友の綾香《あやか》。
彼女は苦しそうな声で言った。
――私、桜が見たい……。
あの時からだ。私が変わったのは。
あの時の『後悔』から、私は一歩も前に進めていないんだ――。
ゴールデンウイークが終わる頃には、金欠で生活がままならなくなった。
給与カット以降、副業は認められている。
そこで私はアルバイトをしようと決意した。
でもネットで調べるのではなく、好きな町で、好きなカフェの仕事を探したいと最初から決めていた。
そうして今日。
明るめの茶色に染めていた髪を黒に戻した私は、就活以来の白シャツ、黒のジャケットとスカートに身を包んで家を出た。
濃い目だった化粧も、できる限り薄くして、清楚な印象を心掛けたつもりだ。
この日は梅雨の晴れ間。一歩外を出ると、むわっと蒸し暑い。
思わず口元がへの字に曲がりそうになるのを、「ダメ、ダメ」と首を横に振り、スマイルを作って駅に向かう。
ひとり暮らしをしている埼玉県志木市から、下り電車に揺られること10分。
降り立ったのは、県内屈指の観光地――川越《かわごえ》だった。
私、関川美乃里《せきかわみのり》にとって、今年は「厄年か!?」と嘆きたくなるくらいに災難続きだった。
はじまりは年明け早々。大学3年の時から7年も付き合っていた同学年の彼氏に突然振られた。
きっかけは彼《·》の浮気だった。
でもそれは今に始まったことではなかった。なんと付き合い始めてから2か月後には浮気をしていたのを、私は知っていたのだ。
――知ってるんだろ? 俺が浮気してること。どうして黙ったままなんだよ! なぜ俺を責めないんだ!?
おまえってさ。誰にでもいい顔するよな。言いたいことも何も言わずに。そんなに人から嫌われるのが嫌なのか?
もう限界なんだよ! おまえが何を考えてるか分からないから!
浮気をしている本人から「なぜ責めないのか?」と問いただされた挙句に振られるというのも、なかなかレアだと思うの。
でも私のいけないところは、どんな理不尽なことをされようとも、他人に対して冷たくできないところだ。
――ごめんね。私、あなたの気持ちにぜんぜん気づけなくて……。
こうして私の方から頭を下げて、7年の恋はあっさりと終わりを告げた。
けど災難はこれにとどまらなかった。
孤独なバレンタインデーを過ぎたすぐのある日。
――関川くん。ちょっといいかな。
事務員として勤めている広告代理店で、人事部長から呼び出されたかと思うと、開口一番こう告げられたのだ。
――近頃の不況で会社も困っていてね。そこで契約社員と事務系職種の正社員については、週休4日として、給与を3割カットすることにしたんだ。
もちろんこの措置に納得がいかないなら仕方ない。
多めに退職金は用意するし、転職先には良く言うことを約束しよう。
ただね。できれば会社に残ってほしい。
いわゆるリストラというやつだ。
契約社員が全員辞め、私のような事務系の正社員もほとんど辞めてしまった。辞めなかったのは家族のいる男性社員ばかりで、その人たちは営業や企画職に配置換えをすることで給与カットをまぬがれた。
しかし全員が配置換えしたら、膨大な事務作業を全員で兼務しなくてはならない。
私は同僚たちにその状況を押しつけるのは嫌だった。
いや、「だったら辞めます!」と辞表を叩きつける勇気がなかっただけかもしれない。
いずれにしても私は会社に残った。その結果、給料が減ったのに仕事は爆発的に増えるという、目も当てられない事態に陥ってしまったのである。
――美乃里は人が好すぎるのよ! 他人が困っている時は猪突猛進で怖いもの知らずで突っ走るくせに、いざ自分のこととなると何も言えなくなっちゃうんだから。言いたいことがあるなら、はっきり言わなきゃ損するよ!!
元カレと同じようなことを、仲の良い同僚からも言われたけど、どうしても私にはできない。だからこう返すのが精いっぱいだった。
――私のことなら大丈夫だから! みんなを助けるのが私の役目だしね! ははは!
私は人に嫌われたくないし、傷けたくない。だから相手にはっきりと物事を言うことが怖い。それだけじゃない。喧嘩することですら嫌で、他人と仲を深めることができずにいる。
LINEの友達登録数はすごく多いけど、気軽にディナーに誘える相手は一人もいない。
孤独という二文字がいつも背中について回っていた。それを振り払いたくて、他人の前ではできる限り明るい笑顔を振舞うようにしている。
そのせいか周囲の人たちは私のことを「社交的」と考えているみたい。
けど実際はそんなんじゃなくて、ただの臆病者なだけなのだ。
だから誰とも絆を結べていない。
次々と災難が降りかかっても、誰も手を差し伸べてくれないのだ――。
こんなことを考える時には、いつも高校3年になったばかりの春を思い出す。
病室のベッドで仰向けになっているのは、親友の綾香《あやか》。
彼女は苦しそうな声で言った。
――私、桜が見たい……。
あの時からだ。私が変わったのは。
あの時の『後悔』から、私は一歩も前に進めていないんだ――。
ゴールデンウイークが終わる頃には、金欠で生活がままならなくなった。
給与カット以降、副業は認められている。
そこで私はアルバイトをしようと決意した。
でもネットで調べるのではなく、好きな町で、好きなカフェの仕事を探したいと最初から決めていた。
そうして今日。
明るめの茶色に染めていた髪を黒に戻した私は、就活以来の白シャツ、黒のジャケットとスカートに身を包んで家を出た。
濃い目だった化粧も、できる限り薄くして、清楚な印象を心掛けたつもりだ。
この日は梅雨の晴れ間。一歩外を出ると、むわっと蒸し暑い。
思わず口元がへの字に曲がりそうになるのを、「ダメ、ダメ」と首を横に振り、スマイルを作って駅に向かう。
ひとり暮らしをしている埼玉県志木市から、下り電車に揺られること10分。
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