上 下
40 / 114
第一部・第二章 抜本塞源

引縄批根! 消えた使番④

しおりを挟む
◇◇
永禄元年(1558年)6月25日 正午ーー

 太陽が大地を燃やす多功ヶ原。

 亡き仲間の仇を討たんと、胸を復讐の炎に焦がした佐野昌綱。
 その背後には想いを同じくした佐野軍の兵。

 夏の陽射しと佐野軍の復讐心が相まって、多功ヶ原には陽炎がゆらりゆらりと立ち込めていた。


 相対するは、多功城の城主、多功長朝(たこうながとも)率いる多功軍。


 両軍は多功ヶ原の中央で睨み合っていた。


 しかしその兵の差は歴然。

 ひとかたまりになって突撃の陣形を敷く佐野軍六百に対して、多功軍は戦場を大きく使い、鶴が翼を大きく広げたような陣形、すなわち鶴翼(かくよく)の陣を敷いた。

 それは明らかに、佐野軍が突撃してきたところを、両翼から畳み掛けて、完全に包囲殲滅してしまおうという作戦であった。


「佐野昌綱!! ここまで来て臆病風に吹かれたか!?
この多功長朝が自ら相手してやろうというのに、全く動かずして何とする! 」


 多功長朝が陣頭までやってくると、大声で少し離れた佐野軍に向かって大声で呼びかけた。
 その声には単なる挑発だけではなく、焦りのようなものも映っている。

 それもそのはずだろう。

 なぜなら佐野軍は多功ヶ原の中央まで軍勢を進めてきたはいいものの、そこからおよそ半刻(約一時間)も動いていないのだ。

 「相手は寡兵ぞ! 」と見くびって城を出てきた多功長朝ではあったが、動かぬ相手を不気味に感じて、彼もまた自ら動くことを躊躇していたのであった。


 しかしそれもここまでのことだった。


 佐野昌綱のもとに一つの報せが届けられると、彼は「いよいよこの時が来たか」と、ゆっくりと陣頭までやって来たのだ。

 大きく息を吸い込む。

 肺の中が熱気で一杯になると、彼の頭の中もまた燃え盛る炎で埋め尽くされた。


 あとは信じるだけだ。


 長尾景虎という男を。


 そして、唯一無二の戦友……


 辰丸という天才をーー



「全軍に告ぐ!! 狙うは多功長朝の首!!
兄上の、そして散っていった仲間たちの無念を晴らすため!!
いざ! 突撃ぃぃぃぃ!! 」

ーーウオオオオオオッ!!


 一世一代の大勝負!!

 まだ若い佐野昌綱ではあったが、彼は清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで、多功の大軍に向かっていった。


「むざむざ死にに来おったわぁぁ!!
弓隊前に!!
放てぇぇぇ!! 」

ーーヒュン! ヒュン! ヒュン!


 想定通りの迎撃。

 そしてこれまた想定通りに、佐野軍の出足が止まる。

ーーカン! カン! カン!

 雨のように降り注ぐ弓矢を、兵たちは槍で弾く。
 

「今だぁぁぁ!! 左右の翼を閉ざせ!!
佐野軍を包み込むのだぁぁぁ!! 」

ーーバッ!!


 多功長朝は手にした軍配を大きく振る。

 それは戦場に大きく展開した両翼へ、前進するようにとの合図であった。


 昌綱はその様子に、ニヤリと口角を上げた。


 全ては想定通り!


 さあ、後は信じて進むだけだ!!


「兄上!! 俺に力を!! うおおおおおっ!! 」


 下野の飛将が吼えると、佐野軍の全員が勇躍した。


 全員の思いは一つ!


ーー仲間の無念を晴らす!!


「いっけぇぇぇぇぇ!! 」


 迫る左右の翼。

 しかし佐野軍は怯むことなく、光のごとく多功軍の中央へと吸い込まれていく。

 そして、

ーードガァァァァァ!!

 という槍と甲冑がぶつかり合う鈍い音が、戦場にこだました。


「耐えろ!! もうすぐ左右の軍が包むはずだ! 」


 多功長朝が大声で兵たちを鼓舞する。

 しかし佐野軍の勢いは凄まじい。
 多功軍に深く食い込むと、彼らを二歩、三歩と後退させていった。


 自然と左右の翼が畳まれるまでに時間がかかった。


 それこそが……


 佐野昌綱の狙いーー


 この一瞬の隙こそが……



「天に掲げよ!! 懸かり乱れの龍旗を!! 」



 天を震わせる大号令が、下野の空にこだました。


ーーバババッ!!


 一斉に旗が風になびく。


 乱れ字の『龍』の一字が書かれた旗がーー


「全軍!! 我に、続けぇぇぇぇぇ!! 」


 多功ヶ原に舞う土煙。


 その先頭を行くは、




 『軍神』、長尾景虎ーー




ーードゴオオオオオオン!!



 佐野軍を包まんとしてきた左右の翼が一つになったその時…


 その一瞬を、長尾景虎は見逃さなかった。


 佐野軍の背後をつかんとする多功軍の、その背後から、長尾景虎率いる二千の軍勢は、一斉に襲いかかったのだ。


「長尾景虎だとぉぉ!? なぜ気付かなかったのだ!? 」


 一報を聞いた多功長朝は、思わず耳を疑った。
 つまり長尾景虎は、彼らが気付く前に、凄まじい勢いで戦場に現れ、そのまま多功軍へと突撃したのである。


 これこそ佐野昌綱と長尾景虎の策であった。


 背中を突かれた多功軍の左右の翼は、なす術がなかった。

 一方の長尾軍は、慌てふためく多功軍の中を、まさに龍となって蹂躙していく。


ーー討ち取ったりぃぃぃ!!


 各所で長尾軍の兵たちが、名のある敵将を討ち取る声が響いてきた。


「俺たちも負けるなぁぁぁぁ!! 進めぇ!! 」


 佐野昌綱が戦場の真ん中で咆哮を上げれば、


「殲滅せよ!! 」


 と、景虎が雷のごとき大号令を発する。


 数の上では圧倒的に有利なはずの多功軍であったが、完全に勢いづいた長尾、佐野の連合軍を相手に、瞬く間に崩れていった。


「ええい! かくなる上は、城で迎え撃つ! 全軍、退却!! 」


 もはや勝ち目なしと踏んだ多功長朝は、あっさりと退却を決めた。

 
 逃げていく多功軍の背中を、容赦なく襲う長尾、佐野の両軍。

 
 そして、多功長朝らが城の中に入った瞬間、


ーーバンッ!!


 という大きな音とともに多功城の門は閉められた。


 同時に無数の矢が放たれると、長尾、佐野軍を襲った。


「引けっ! 距離を取れ! 」


 景虎は短く兵たちに指示を出すと、彼らは城から矢が届かないところまで引いた。


 野戦における勝利に驕(おご)ることもなく、長尾景虎は兵たちを冷静に指揮していた。

 すなわち難攻不落の多功城をこのまま力攻めしても、犠牲が大きくなるだけだと、判断したのだ。

 景虎の横に馬を並べる昌綱。


「さて……ここからだな」


「あとは辰丸を信じるだけだ」


 景虎は低い声で、昌綱の言葉に続いた。


 二人の目は、高くそびえ立つ多功城に向けられていた。


 そして一人の少年……辰丸の策を、静かに待つことにしたのだったーー


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す

矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。 はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき…… メイドと主の織りなす官能の世界です。

鈍亀の軌跡

高鉢 健太
歴史・時代
日本の潜水艦の歴史を変えた軌跡をたどるお話。

戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃
歴史・時代
 1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…  1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

偽典尼子軍記

卦位
歴史・時代
何故に滅んだ。また滅ぶのか。やるしかない、機会を与えられたのだから。 戦国時代、出雲の国を本拠に山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し、当時の中国地方随一の大大名となった尼子家。しかしその栄華は長続きせず尼子義久の代で毛利家に滅ぼされる。その義久に生まれ変わったある男の物語

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

処理中です...