【完結】女神の砦

黄永るり

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帰るべき場所

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 商館ではすでに二人分の荷造りが終わっていた。
「すぐに戻るぞ」
「砦に?」
「そうだ」
 サファルは絨毯を丸めてラクダの背に積みつけた。
「どうして?」
「どうして? もう目的は果たしただろう?」
「まあ、そう言えばそうだけど」
 ナシャートに求婚していた商人バーティルは、ティジャーラ公国の大公ジャディードだった。
 バーテイルは詐欺師ではなかったが、商人でもなかった。
 ナシャートは彼に嘘をつかれていた。
 求婚もナシャートを介してリマール族を支配するため。
 愛情からのものではなかった。
「大公の記憶も消したしな」
「そうだね」
 記憶を消されてしまった以上、大公がナシャートと一族を追いかけてくることはないだろう。
「ジンニーヤって本当にいたんだね」
 おとぎ話でしか存在しないと思っていた煙の精霊。
「あの大公が手に入れたかったものは、俺たちが潜在的に持っている『物に女神イステーリャの力を与える力』だ。魔法のランプ、空飛ぶ絨毯、黒檀の馬とか。ああいう昔話に出てくる不思議な道具は、大概、俺たち一族のご先祖さまが創られたものだ」
「その道具ってあの砦のどこにあったの?」
「北棟の物置部屋にある。多すぎて、第二物置部屋を検討中だ。そろそろ百個目の力作が出来るらしいから。目録作成も検討中だ」
「え? 今まで目録もなかったの?」
「まあな。創ることには力をいれるんだが、目録を作ることも、整理整頓して書庫の本のように片付けることも、道具を手入れすることも、今まで誰も率先してやってこなかった。そういうことに興味がなかったんだろうな」
 ナシャートは唖然とした。
 何だか末恐ろしいことを聞かされてしまったような。
「じゃあ、まず目録作りからお手伝いしようかな。それと道具の手入れと掃除も」
「好きにしろ。どうせ、ナシャルはしばらく砦からは出られないからな」
「なぜ?」
「一族の知識を叩きこまれるまでは、当分勝手に出してはもらえない」
「そうか」
「理解できたなら行くぞ」
 ラクダの轡を渡される。
「あの、私たちの婚約は?」
「一族以外で好きな男が現れたらいつでも言え。今回のように一族に害がないか確認した上で、いつでも解消してやる」
 ナシャートは目を丸くした。
 大公とのことがあったのに、そこまでサファルにまだ譲歩してもらえるとは。
 正直、思ってもみなかった。
 彼には驚かされてばかりだ。
「ありがとう」
 この旅でようやく心からサファルに感謝の言葉を伝えられた。
「それじゃあ、私からも一つ」
「何だ?」
「サファルも好きな子ができたら、いつでも勝手に婚約解消してくれていいから」
 これで対等な取引になった。
「本気か?」
「うん。本気」
 サファルはしばし無言でナシャートを見つめた。
 たっぷり間を開けてからサファルはようやく口を開いた。
「ナシャルにとっては残念に思うかもしれないが、俺からは解消しない」
「それは一族の掟に反するから?」
「まあ、それもある」
「それも?」
「今の俺自身、別に無理に解消する気もないからかな」
「解消する気にならない?」
 それは、つまりどういうことなのだろうか。
 ナシャートの顔に疑問が浮かぶ。
「もうしばらく様子を見るってことだ」
 そう言いながら、サファルはラクダの轡を軽く引っ張った。
「ほら行くぞ。さっさとついてこい! 夜明けと同時に都の外門を出るぞ」
 サファルは振り返らずにそのままラクダとともに歩きだす。
 その背中を微笑ましく見つめながら、無言でナシャートは従った。
「私、ここまで迷惑をかけたけどサファルに嫌われてなかったんだね」
「俺に迷惑をかけてくるナシャルの面倒を見るのが俺の役目らしいからな。腹は括った」
 サファルのつれない返事にもナシャートは笑みを浮かべたまま。
「だったら、もうナシャルじゃなくてでいいからね」
「そうか」
 これまた興味のなさそうな返事だったが、ナシャートは全然気にならなかった。

 黄砂の砂上で日の出を待っている人間が二人いた。
 ゆっくりと昇ってくる太陽の光に照らされて、砂色の砦が現れる。
「さあ帰ろう」
「はい」
 二人と二頭のラクダは、開ききった砦の門に吸い込まれていった。
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