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朝議
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大公の予言通り、珍しく今日の朝議は紛糾していた。
従来ならこれほどもめることもないのだが、今朝は特別だった。
それは大公の何気ない一言から始まった。
「来週、次期大公を決めようと思う」
「え?」
「大公さま?」
「今、何と仰いましたか?」
朝議に列席していた大臣たちは目をむいた。
特に商務大臣と財務大臣の驚きぶりは別格だった。
「どういうことにございますか?」
「どのように決められるのでございますか?」
「帝国に話は通されておられるのございますか?」
大陸随一の経済力と軍事力を持つエリデラード帝国とは、トバルクに限らずどこの国も独立を保つために歴代の王は政略結婚を行っていた。
当然、都市国家のようなトバルクも帝国が力をつけてからは、公妃はずっと帝国の皇女ということになっている。
次期大公を決めるということは、帝国を治める皇帝にその旨の書状を認めて、その大公候補に見合った皇女を婚約者とする内諾を皇帝から得ておかねばならないのだ。
「いやまだだ。帝国には何も知らせてはいない。だが母上の承認が得られれば、皇帝陛下の承認は得たも同然だ。何せ母上は、先代皇帝陛下の同母姉で、現皇帝陛下からすれば伯母にあたるからな。そうそう無下にはできまいよ」
「そう、ではございますが」
「慣例が心配か?」
「はあ」
困惑しながらも頷いたのは軍務大臣だった。
「母上が来週、決められる。それに私も同意したいと思う」
「公母さまがお決めに?」
「そうだ。私では、はっきり決められないので、母上に最終的に決めて頂くことにしたのだ。母上の人を見る目を信じて、な」
「それで公母さまが却下と仰せになったらいかがなさいますか?」
「その時はその時だ。また別の方策を考える。まあ帝国に正式な書簡を送らないのは、母上に却下された時のことを考えてのことだ」
「さようですな。正式な書簡となってしまっては、何かありました時に取り返しがつきませんからな。賢明なご判断にございます」
宰相が頷いた。
「そういうことだから、来週決まる。皆にはこれまで気苦労をかけてきた。だが、跡取りが決まれば、一つ皆の心配が減る。今まですまなかったな」
「た、大公さま!」
「何だ?」
「候補者はどこのどなたなのでしょうか? 複数いらっしゃるのでしょうか?」
「これまで誰かが押していた候補者から選ばれたのですか?」
「ある意味、順当な候補者だ」
「順当、でございますか?」
「そうだ。極力、母上も皆も納得しやすいように、私の直系に近い人間を選んだつもりだ」
「それは、どなたにございますか?」
「それは母上次第だ。母上が決めて下されば、即座に翌日の朝議の後にでもお披露目ができるだろうし、却下されれば何もない」
「……」
恐ろしい沈黙が一瞬、その場を占めた。
「大公さま、一つ提ご案があるのでございますが」
恐る恐る商務大臣が手を上げた。
「何だ?」
「我々もずっと次期大公さまのことを考えておりました」
「だから?」
「ですから、その恐れ多いのですが、私どもが押す候補者も公母さまに謁見させて頂きたいのですが」
「なるほど。そなたたちが選ぶ候補と条件を同じにしろということだな」
「は、はい」
トバルクは商人が作った商業国家なので、国家を建設するにあたって、支えてくれた官吏にもかなり強い権限が与えられている。
そのため、官吏たちが一つにまとまれば大公ですらどうにもならない時もあるのだ。
大公は一瞬、考える風ではあったものの、すぐに了承した。
「よかろう。平等なら結果に誰も何も文句は言うまい。母上にも伝えておこう」
「ありがとうございます」
「だが、来週までに間に合うのか?」
「それはもう。すぐにでもおいで願います」
「わかった。では日程はそのままとしよう」
「御意」
大公は用は済んだとばかりにさっさと出て行った。
だが、大公がいなくなっても重臣の誰一人広間から退出せず、しばらくそこかしこでひそひそとは言えない声量で、世継ぎ問題が話されていた。
特に商務大臣と財務大臣は、これからのことを話し合っていた。
その中には、五大商人のうち、二人の男の姿もあった。
朝議には大臣だけでなく五大商人も臨席して意見を述べることができるのだ。
ただ、大商人だけに五人全員が揃うことは滅多にないし、全員が出席しないこともしばしばだった。
「これは偉いことになってしまったようだ」
バンコはぽつりと呟いた。
どうやらウェランダたちが後宮に上がる日に、よりにもよって次期大公候補者たちも共に後宮に上がることになるとは。
「しかし大公さまはどうなされるおつもりなのだ? わざわざ遠回りするような話にさせてしまって」
一人考える風のバンコに声が掛けられた。
「バンコ、どうしたんだ?」
五大商家筆頭のデナーロだった。デナーロは背が高く、立派な口ひげをたくわえ始めた頃から、五大商家筆頭の風格が出てきた。
年は、今年で四十歳だそうだ。
「何か気になることでも?」
「いや、別に」
「我々は大公がどんな人物でもかまわない。極論を言えば、我らの商売を邪魔されなければ良いだけだ」
「ああ。そうだな」
「そういうことだから別に、現大公さまの養子でもかまわないし、我らの子息のうちの誰かでも構わないわけだ」
バンコは頷いた。
そう、このトバルク大公国においては商売こそ最優先事項であって、それが保護されて維持されれば、別に大公の血筋にこだわることなどない。
帝国から縁も縁もない皇子を養子に迎えても異論はないだろう。
一部の人間を除いては、だが。
「バンコ、そなたはしばらくここにいるのだろう?」
「ああ。大公さまの補佐係だ。でもそう長くはない。あまりトバルクに長居していても商売にはならんからな。そなたもしばらくいるのか?」
「大公さまから呼び出しをうけたからな。次期大公とやらが決まるまでは出国許可がおりんのだ」
「それで昨日、急に戻ってきたのか?」
「帰りたくて帰ってきたわけではない」
「では、残りの三人も?」
「どうやら帰還命令が出ているようだ。来週までには皆帰国するだろう。滅多にない五大商家の主が勢ぞろいだな」
「そうか……」
「しかし、商務大臣に財務大臣派と、法務大臣、外務大臣のそれぞれの派閥、それにずっと沈黙していた宰相。皆、何を考えておるのか? 世継ぎなど大公さまと公母さまが良しとされればそれで良いではないか。己の息のかかった者を世継ぎに、など、帝国くらい大きな国なら私も考えたが、この国では大した国土もないし、せいぜい港に併設してある造船所とあとは細々とした職人たちが作る小物類しか取り得がない。だから我々も外へ稼ぎに出るのだが」
「そうだな。軍にしても臨時に男たちを招集しても大した人数にはならないし、常時待機中の軍人などはもののわずかだ」
「だろう? なのに皆、よく考えるものだな」
「それは仕方があるまい。彼らは我らの縁戚でもあるが、商才がないゆえに官吏になったものたちばかりだ。だから、商売で大金を稼げないかわりに官吏の懐をどうにかして増やそうと考えているのだ」
「馬鹿馬鹿しいものだな」
「それを言うな。彼らもまた、我らとは違う意味で必死なのだろう」
大金持ちになりたい、その願いは共通なのだ。
「そうか。では、またな」
「ああ」
「バンコ、それぞれの派閥が誰を立てるのかわかったら教えてくれ」
そう言うとデナーロは広間を出ていった。
五大商人ならば、どんな情報もすぐに耳にはいるのだが、デナーロは商売のこと以外にはとんと関心がないのだ。
商売に関する政変ならばいち早く察知するのだが、今回の大公の後継候補には全然興味がそそられないようだ。
「わかった」
頷くとバンコは大公の執務室に向かった。
今日も大公代印をたくさん押さねばならないのだ。
従来ならこれほどもめることもないのだが、今朝は特別だった。
それは大公の何気ない一言から始まった。
「来週、次期大公を決めようと思う」
「え?」
「大公さま?」
「今、何と仰いましたか?」
朝議に列席していた大臣たちは目をむいた。
特に商務大臣と財務大臣の驚きぶりは別格だった。
「どういうことにございますか?」
「どのように決められるのでございますか?」
「帝国に話は通されておられるのございますか?」
大陸随一の経済力と軍事力を持つエリデラード帝国とは、トバルクに限らずどこの国も独立を保つために歴代の王は政略結婚を行っていた。
当然、都市国家のようなトバルクも帝国が力をつけてからは、公妃はずっと帝国の皇女ということになっている。
次期大公を決めるということは、帝国を治める皇帝にその旨の書状を認めて、その大公候補に見合った皇女を婚約者とする内諾を皇帝から得ておかねばならないのだ。
「いやまだだ。帝国には何も知らせてはいない。だが母上の承認が得られれば、皇帝陛下の承認は得たも同然だ。何せ母上は、先代皇帝陛下の同母姉で、現皇帝陛下からすれば伯母にあたるからな。そうそう無下にはできまいよ」
「そう、ではございますが」
「慣例が心配か?」
「はあ」
困惑しながらも頷いたのは軍務大臣だった。
「母上が来週、決められる。それに私も同意したいと思う」
「公母さまがお決めに?」
「そうだ。私では、はっきり決められないので、母上に最終的に決めて頂くことにしたのだ。母上の人を見る目を信じて、な」
「それで公母さまが却下と仰せになったらいかがなさいますか?」
「その時はその時だ。また別の方策を考える。まあ帝国に正式な書簡を送らないのは、母上に却下された時のことを考えてのことだ」
「さようですな。正式な書簡となってしまっては、何かありました時に取り返しがつきませんからな。賢明なご判断にございます」
宰相が頷いた。
「そういうことだから、来週決まる。皆にはこれまで気苦労をかけてきた。だが、跡取りが決まれば、一つ皆の心配が減る。今まですまなかったな」
「た、大公さま!」
「何だ?」
「候補者はどこのどなたなのでしょうか? 複数いらっしゃるのでしょうか?」
「これまで誰かが押していた候補者から選ばれたのですか?」
「ある意味、順当な候補者だ」
「順当、でございますか?」
「そうだ。極力、母上も皆も納得しやすいように、私の直系に近い人間を選んだつもりだ」
「それは、どなたにございますか?」
「それは母上次第だ。母上が決めて下されば、即座に翌日の朝議の後にでもお披露目ができるだろうし、却下されれば何もない」
「……」
恐ろしい沈黙が一瞬、その場を占めた。
「大公さま、一つ提ご案があるのでございますが」
恐る恐る商務大臣が手を上げた。
「何だ?」
「我々もずっと次期大公さまのことを考えておりました」
「だから?」
「ですから、その恐れ多いのですが、私どもが押す候補者も公母さまに謁見させて頂きたいのですが」
「なるほど。そなたたちが選ぶ候補と条件を同じにしろということだな」
「は、はい」
トバルクは商人が作った商業国家なので、国家を建設するにあたって、支えてくれた官吏にもかなり強い権限が与えられている。
そのため、官吏たちが一つにまとまれば大公ですらどうにもならない時もあるのだ。
大公は一瞬、考える風ではあったものの、すぐに了承した。
「よかろう。平等なら結果に誰も何も文句は言うまい。母上にも伝えておこう」
「ありがとうございます」
「だが、来週までに間に合うのか?」
「それはもう。すぐにでもおいで願います」
「わかった。では日程はそのままとしよう」
「御意」
大公は用は済んだとばかりにさっさと出て行った。
だが、大公がいなくなっても重臣の誰一人広間から退出せず、しばらくそこかしこでひそひそとは言えない声量で、世継ぎ問題が話されていた。
特に商務大臣と財務大臣は、これからのことを話し合っていた。
その中には、五大商人のうち、二人の男の姿もあった。
朝議には大臣だけでなく五大商人も臨席して意見を述べることができるのだ。
ただ、大商人だけに五人全員が揃うことは滅多にないし、全員が出席しないこともしばしばだった。
「これは偉いことになってしまったようだ」
バンコはぽつりと呟いた。
どうやらウェランダたちが後宮に上がる日に、よりにもよって次期大公候補者たちも共に後宮に上がることになるとは。
「しかし大公さまはどうなされるおつもりなのだ? わざわざ遠回りするような話にさせてしまって」
一人考える風のバンコに声が掛けられた。
「バンコ、どうしたんだ?」
五大商家筆頭のデナーロだった。デナーロは背が高く、立派な口ひげをたくわえ始めた頃から、五大商家筆頭の風格が出てきた。
年は、今年で四十歳だそうだ。
「何か気になることでも?」
「いや、別に」
「我々は大公がどんな人物でもかまわない。極論を言えば、我らの商売を邪魔されなければ良いだけだ」
「ああ。そうだな」
「そういうことだから別に、現大公さまの養子でもかまわないし、我らの子息のうちの誰かでも構わないわけだ」
バンコは頷いた。
そう、このトバルク大公国においては商売こそ最優先事項であって、それが保護されて維持されれば、別に大公の血筋にこだわることなどない。
帝国から縁も縁もない皇子を養子に迎えても異論はないだろう。
一部の人間を除いては、だが。
「バンコ、そなたはしばらくここにいるのだろう?」
「ああ。大公さまの補佐係だ。でもそう長くはない。あまりトバルクに長居していても商売にはならんからな。そなたもしばらくいるのか?」
「大公さまから呼び出しをうけたからな。次期大公とやらが決まるまでは出国許可がおりんのだ」
「それで昨日、急に戻ってきたのか?」
「帰りたくて帰ってきたわけではない」
「では、残りの三人も?」
「どうやら帰還命令が出ているようだ。来週までには皆帰国するだろう。滅多にない五大商家の主が勢ぞろいだな」
「そうか……」
「しかし、商務大臣に財務大臣派と、法務大臣、外務大臣のそれぞれの派閥、それにずっと沈黙していた宰相。皆、何を考えておるのか? 世継ぎなど大公さまと公母さまが良しとされればそれで良いではないか。己の息のかかった者を世継ぎに、など、帝国くらい大きな国なら私も考えたが、この国では大した国土もないし、せいぜい港に併設してある造船所とあとは細々とした職人たちが作る小物類しか取り得がない。だから我々も外へ稼ぎに出るのだが」
「そうだな。軍にしても臨時に男たちを招集しても大した人数にはならないし、常時待機中の軍人などはもののわずかだ」
「だろう? なのに皆、よく考えるものだな」
「それは仕方があるまい。彼らは我らの縁戚でもあるが、商才がないゆえに官吏になったものたちばかりだ。だから、商売で大金を稼げないかわりに官吏の懐をどうにかして増やそうと考えているのだ」
「馬鹿馬鹿しいものだな」
「それを言うな。彼らもまた、我らとは違う意味で必死なのだろう」
大金持ちになりたい、その願いは共通なのだ。
「そうか。では、またな」
「ああ」
「バンコ、それぞれの派閥が誰を立てるのかわかったら教えてくれ」
そう言うとデナーロは広間を出ていった。
五大商人ならば、どんな情報もすぐに耳にはいるのだが、デナーロは商売のこと以外にはとんと関心がないのだ。
商売に関する政変ならばいち早く察知するのだが、今回の大公の後継候補には全然興味がそそられないようだ。
「わかった」
頷くとバンコは大公の執務室に向かった。
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