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50 馬車にて
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「出してくれ」
ラウル様の合図で、馬車がゆっくり動き出した。今更だけれど、密室に二人きりなんて、難易度が高すぎるかもしれない。
……すっごく緊張する。
向かいに座る彼と、どんな話をしたらよいのかを考えると体が強張るけれど、無理して会話をひねり出すこともないかと思い直す。
自然の成り行きに任せようと、肩の力を抜いたとき、これから彼と、どんな関係を築いていけばよいか迷いが生まれた。
彼は操られていただけで、私に対する態度も本意ではなかったと頭では理解できるが、心はすぐに上書きできない。
ラウル様こそ、私のことをどう思っているのだろう。婚約者になったことを後悔していないだろうか。私が彼の立場なら、疲労困憊で寝込む自信がある。
「……疲れませんか?」
あ、しまった。
結論だけ言われても意味がわからないだろう。それでも、彼は優しく微笑む。
「いや、平気だ。君は少し眠るといい」
気遣ってくれた彼は、スッと隣に移動してきた。それから、私の体を自分のほうへ傾ける。
「え、え、え?」
膝枕である。
「馬車は揺れるから、この方がいいだろう」
そうですけれども!
そうなんですけれども!
この体勢で眠れと!?
心臓はいつもの倍の速さで仕事を始め、眠気は吹き飛んだ。そんな私の心情を知るよしもなく、彼は、猫を愛でるように頭を撫でてくれる。
そこで、私は彼の異変に気付いた。
こんな人だっただろうか。
疑問を抱くけれど、頭をなでられるなんて久しぶりで、心地よさから警戒心が緩んだ。つい、口から言葉がこぼれる。
「……気持ちいい、です」
「それなら、眠るまでこうしていよう」
その声から、嬉しそうに微笑んでいるのが分かった。今なら、あの人の話を聞けるだろうか。
「なぜ、ユルを見逃したのですか?」
一瞬、彼の手が止まる。
「……彼の歩んだ人生を知ったら、憎んだり責めたりするのは難しくなったから、だろうか。どうせ、本人確認もできないしな。……俺に失望したか?」
ゆっくりと、言葉を選ぶように答えてくれた。最後の一言は、少しの恐れを感じる。
「いいえ。私も同じ思いでしたから」
「そうか」
ホッとしたように、再び動き出した彼の手から、温もりが伝わってきた。
「……そのまま聞いて欲しい。今まで、君を傷付け、悲しませてしまったことに対して、心から謝罪したい」
ホテルのときよりも丁寧で、心の奥に訴えるような声だ。ユルが呪いの被害者ならば、ラウル様も同じだから、全て呪いのせいにして開き直ればよいのに。律儀な人だ。
「もう謝っていただきましたし、済んだことです」
「それでも、これだけは言わせて欲しい。俺は君を心から愛おしく想っている。君は俺の道しるべであり、闇を照らす光だ」
たまらず、私は起き上がる。
「そんな事を仰るなんて、どうなさいました!」
昨日とキャラが違いすぎて、調子が狂う。抗議する私に反して、彼は幸せそうだ。
「やっと気持ちと言葉が一致するようになった! ……嬉しいよ」
そう言って破顔する。その表情は、解放された喜びにあふれていた。
「……このことだったのね」
ここにきて、レオンが「自由」と言った意味が分かった。ラウル様は、呪いから完全に解き放たれたのだ。普段のラウル様を知っているから、レオンは帰りの馬車がどうなるか予想できて、忠告したかったのだろう。
それにしても、ラウル様は、こんなに甘いことを考えていて、あの言動だったのか。
「呪いの力、恐るべし」
独り言を続ける私を咎めることなく、彼は話を続ける。
「俺の弱さが招いたことだ。本当にすまなかった」
ラウル様は、自分が至らないせいだと言う。潔いけれど、あなたは悪くないのに、それでいいのか。
「許してもらえるなんて思っていない。でも、俺を切り捨てる前に、もう一度、チャンスをもらえないだろうか。願わくば、このまま側にいさせてくれ」
そして、私を抱きしめた。驚きと恥ずかしさで、プシューと頭から湯気が出るのが分かる。返事に窮する私を察したのか、ラウル様は名残惜しそうに体を離す。
「……横になるといい。君に触れていると、俺はとても癒される」
この後、再び膝枕をされたうえに、これでもかというほど愛の言葉をたっぷり注がれて、私の心はえらいことになった。
クラクラしながら帰宅した私と、にこやかなラウル様を見て、お父さまとお母さまが「まさか、一日で終わるなんて」と驚いていたが、その言葉の意味を質問する気力が、私にはない。
「今からアリス殿の護衛につきます。許可をいただけますか?」
「あ、ああ。もちろんだ。部屋を用意させる」
「ありがとうございます」
ちょっと待て。
もしかして、泊まり込みだろうか。
当然のように申し出るラウル様に、驚きながらも、快諾するお父さま。会話の内容に激しい違和感を覚える。お母さま、二人を止めてください。
「敗者復活戦が終わるまでは、仕方ないわね」
そんなあ!
同居なんて、心の準備が!
私の寿命が縮んでしまう!
「護衛を増やせばよいのでは!?」
「分かっていないわね。ラウル様が屋敷にいることで、大抵の人は諦めるの。それでも乗り込んでくる輩は、よほど腕が立つか、心のブレーキが壊れた人よ」
うわ、怖い。
両親と話を済ませると、ラウル様は嬉しそうに私を部屋へ送ってくれた。「また明日。よい夢を」と頬に口付けすると、ニコリと笑って退室する。
な、な、なーっ!!
声にならない叫びを上げて、ベッドの上で転げ回った。ひとしきり暴れた後、冷静さを取り戻す。
「……考えても仕方ないわね」
明日のことは明日の私に任せようと、気持ちを切り替えて、ベッドに潜り込んだ。
ラウル様の合図で、馬車がゆっくり動き出した。今更だけれど、密室に二人きりなんて、難易度が高すぎるかもしれない。
……すっごく緊張する。
向かいに座る彼と、どんな話をしたらよいのかを考えると体が強張るけれど、無理して会話をひねり出すこともないかと思い直す。
自然の成り行きに任せようと、肩の力を抜いたとき、これから彼と、どんな関係を築いていけばよいか迷いが生まれた。
彼は操られていただけで、私に対する態度も本意ではなかったと頭では理解できるが、心はすぐに上書きできない。
ラウル様こそ、私のことをどう思っているのだろう。婚約者になったことを後悔していないだろうか。私が彼の立場なら、疲労困憊で寝込む自信がある。
「……疲れませんか?」
あ、しまった。
結論だけ言われても意味がわからないだろう。それでも、彼は優しく微笑む。
「いや、平気だ。君は少し眠るといい」
気遣ってくれた彼は、スッと隣に移動してきた。それから、私の体を自分のほうへ傾ける。
「え、え、え?」
膝枕である。
「馬車は揺れるから、この方がいいだろう」
そうですけれども!
そうなんですけれども!
この体勢で眠れと!?
心臓はいつもの倍の速さで仕事を始め、眠気は吹き飛んだ。そんな私の心情を知るよしもなく、彼は、猫を愛でるように頭を撫でてくれる。
そこで、私は彼の異変に気付いた。
こんな人だっただろうか。
疑問を抱くけれど、頭をなでられるなんて久しぶりで、心地よさから警戒心が緩んだ。つい、口から言葉がこぼれる。
「……気持ちいい、です」
「それなら、眠るまでこうしていよう」
その声から、嬉しそうに微笑んでいるのが分かった。今なら、あの人の話を聞けるだろうか。
「なぜ、ユルを見逃したのですか?」
一瞬、彼の手が止まる。
「……彼の歩んだ人生を知ったら、憎んだり責めたりするのは難しくなったから、だろうか。どうせ、本人確認もできないしな。……俺に失望したか?」
ゆっくりと、言葉を選ぶように答えてくれた。最後の一言は、少しの恐れを感じる。
「いいえ。私も同じ思いでしたから」
「そうか」
ホッとしたように、再び動き出した彼の手から、温もりが伝わってきた。
「……そのまま聞いて欲しい。今まで、君を傷付け、悲しませてしまったことに対して、心から謝罪したい」
ホテルのときよりも丁寧で、心の奥に訴えるような声だ。ユルが呪いの被害者ならば、ラウル様も同じだから、全て呪いのせいにして開き直ればよいのに。律儀な人だ。
「もう謝っていただきましたし、済んだことです」
「それでも、これだけは言わせて欲しい。俺は君を心から愛おしく想っている。君は俺の道しるべであり、闇を照らす光だ」
たまらず、私は起き上がる。
「そんな事を仰るなんて、どうなさいました!」
昨日とキャラが違いすぎて、調子が狂う。抗議する私に反して、彼は幸せそうだ。
「やっと気持ちと言葉が一致するようになった! ……嬉しいよ」
そう言って破顔する。その表情は、解放された喜びにあふれていた。
「……このことだったのね」
ここにきて、レオンが「自由」と言った意味が分かった。ラウル様は、呪いから完全に解き放たれたのだ。普段のラウル様を知っているから、レオンは帰りの馬車がどうなるか予想できて、忠告したかったのだろう。
それにしても、ラウル様は、こんなに甘いことを考えていて、あの言動だったのか。
「呪いの力、恐るべし」
独り言を続ける私を咎めることなく、彼は話を続ける。
「俺の弱さが招いたことだ。本当にすまなかった」
ラウル様は、自分が至らないせいだと言う。潔いけれど、あなたは悪くないのに、それでいいのか。
「許してもらえるなんて思っていない。でも、俺を切り捨てる前に、もう一度、チャンスをもらえないだろうか。願わくば、このまま側にいさせてくれ」
そして、私を抱きしめた。驚きと恥ずかしさで、プシューと頭から湯気が出るのが分かる。返事に窮する私を察したのか、ラウル様は名残惜しそうに体を離す。
「……横になるといい。君に触れていると、俺はとても癒される」
この後、再び膝枕をされたうえに、これでもかというほど愛の言葉をたっぷり注がれて、私の心はえらいことになった。
クラクラしながら帰宅した私と、にこやかなラウル様を見て、お父さまとお母さまが「まさか、一日で終わるなんて」と驚いていたが、その言葉の意味を質問する気力が、私にはない。
「今からアリス殿の護衛につきます。許可をいただけますか?」
「あ、ああ。もちろんだ。部屋を用意させる」
「ありがとうございます」
ちょっと待て。
もしかして、泊まり込みだろうか。
当然のように申し出るラウル様に、驚きながらも、快諾するお父さま。会話の内容に激しい違和感を覚える。お母さま、二人を止めてください。
「敗者復活戦が終わるまでは、仕方ないわね」
そんなあ!
同居なんて、心の準備が!
私の寿命が縮んでしまう!
「護衛を増やせばよいのでは!?」
「分かっていないわね。ラウル様が屋敷にいることで、大抵の人は諦めるの。それでも乗り込んでくる輩は、よほど腕が立つか、心のブレーキが壊れた人よ」
うわ、怖い。
両親と話を済ませると、ラウル様は嬉しそうに私を部屋へ送ってくれた。「また明日。よい夢を」と頬に口付けすると、ニコリと笑って退室する。
な、な、なーっ!!
声にならない叫びを上げて、ベッドの上で転げ回った。ひとしきり暴れた後、冷静さを取り戻す。
「……考えても仕方ないわね」
明日のことは明日の私に任せようと、気持ちを切り替えて、ベッドに潜り込んだ。
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