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番外編 拍手お礼24

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 ああ、そうだった――。
 出迎えてくれた相手の顔を見て、三田村はひっそりと心の中で呟く。
 俺は、〈彼〉が苦手だった、と。
「お久しぶりです、三田村さん」
 ヤクザとは思えない爽やかな声をかけられ、一瞬怯んだ三田村だが、それを表に出すことはしない。
 この物騒な世界には、大雑把に分けて二種類の人間がいると、常々三田村は思っている。一つは、三田村のように、徹底して感情を表に出さない人間。もう一つは、例えば〈彼〉――中嶋のように、腹の内はともかく、愛想のいい人間だ。
 初めて顔を合わせたときから、中嶋の外面のよさには警戒心を抱いていたのだが、和彦と親交を深め始めたとき、その警戒心は一層強くなった。
 女を食いものにするような仕事をしていた奴が、今は、長嶺組にとって大事な〈オンナ〉を食いものにしようとしているのではないかと。
 もっともこれは、三田村のこれまでの経験に基づいて導き出した考えではなく、中嶋の前職に対しての偏見によるものだ。
 中嶋の、ジーンズにTシャツという、いかにも動きやすそうな服装を見た三田村は、改めて大きな建物を見上げる。
 現在は総和会が所有している、元はペンションだったという別荘は、明らかに大人数での利用を主としている。業者によってしっかりと管理されているようだが、ここに大人の男三人が滞在するとなると、いろいろと準備を調える必要があるはずだ。中嶋の服装は、その準備の大変さを物語っているといえた。
「……すまない。これでも急いで来たつもりなんだが、一人で準備は大変だっただろう」
「そうでもないですよ。さすがに総和会所有だけあって、どこも手入れが行き届いてましたから。俺たちが使う客室の用意はしておきました。あと、食料のチェックもですね」
「手際がいいな。よほど早く着いたのか?」
「なかなかの大役を任されて、はりきってますからね」
 冗談か本気か、そんなことを言ってちらりと中嶋が笑った。
 建物に足を踏み入れる前に三田村は、周囲を慎重に見回す。ここに来るまでの間、不審な車を見かけることもなかったため、さほど心配はしていないが、念のためだ。
 中嶋に言われ、まず二階に上がる。一番奥の部屋が和彦で、その手前が三田村の部屋だそうだ。さっそく三田村は自分にあてがわれた客室にバッグを置くと、窓からの景色を眺めることもなく、次に和彦の部屋を覗いた。
 興味本位からの行動ではなく、ここに滞在している間、和彦の護衛を務める者としての防犯意識からだ。外からの侵入は可能かどうか確認するため、バルコニーに出た三田村は、よく手入れがされた庭園に目を細める。
 バルコニーから身を乗り出して、真下を見てみる。建物の壁を這い上がる侵入者を想定しているのか、無粋なフェンスではなく、つるバラが巻きついたアーチをいくつも設置しており、壁にすら容易に近づけないようにしていた。可憐な庭園の雰囲気を壊さないよう配慮しているのだ。
 神経の細やかなところがある和彦でも、これなら、さほど息苦しさを感じずに済みそうだ。
 ざっと部屋の様子を確認した三田村は、すぐに一階へと戻る。再びダイニングに顔を出すと、突然中嶋に問われた。
「――三田村さん、料理はできますか?」
「いや……、できるというほどのものは……」
「そうなんですか。先生からは、三田村さんはなんでも器用にこなすと聞いているんですが」
 三田村は表情を変えないまま、口元に手をやる。和彦は一体、どんなふうに自分のことを他人に話しているのかと、つい考えてしまったのだ。
「……簡単なものを作っても、先生は大げさに喜んでくれるんだ。だから――、先生の言葉を真に受けて、期待しないでくれ」
「まあ、俺も、先生に大げさに喜ばれた一人なんですが、そういうことなら、食事係は俺でいいですね」
 中嶋のその言葉に、三田村は微かに引っかかるものを感じた。そこで、頭で考えるより先に、疑問が口をついて出た。
「先生に、メシを作ったことがあるのか?」
 意外な問いかけだったのか、キッチンに引っ込もうとした中嶋が驚いたように目を丸くする。次の瞬間には三田村は、自分は一体何を聞いているのかと、小さく舌打ちしていた。
「そう立派なものじゃないですよ。ホストになる前に、メシ屋で働いていたことがあるんですよ、俺。とはいっても、手の込んだものは作れないですけど。それでも先生は、喜んで食ってくれました。……ああいうところが、育ちがいいっていうんでしょうね」
 他人の口から語られる和彦の様子を聞くのは、新鮮であると同時に、今の三田村の胸を少し苦しくさせる。三田村の知らない姿を、和彦は何人もの男に見せているのだ。和彦自身が楽しんでいるのなら、それはいい。微笑ましくもある。
 だが――。
 三田村は、もう何日も前に賢吾からかかってきた電話の内容を思い出し、硬く拳を握り締める。
 和彦が襲撃に巻き込まれたと聞いたときは、全身の血が凍りつく思いがした。だがすぐに、その場には鷹津がいて、身を挺して和彦を守ったと聞かされ、血が燃え滾り、逆流した。
 その光景を見たわけでもないのに、三田村の脳裏には、恐怖に震える和彦と、そんな彼を抱き寄せる鷹津の姿が浮かび上がったのだ。
 三田村が生まれて初めて経験する、感情の嵐に呑まれた瞬間だった。激怒に恐怖、困惑に安堵といった感情に心が翻弄され、その果てに残ったのは、醜い感情だ。いまだに三田村は、その感情を処理しかねていた。
「――秦さんから、先生の身に何が起きたのかは聞いています」
 立ち尽くしていた三田村に、キッチンから中嶋が話しかけてくる。ハッと我に返った三田村はカウンターに歩み寄る。中嶋の姿は、大きな冷蔵庫のドアに隠れて見えなかった。
「もっとも、総和会のほうで騒ぎになってから、聞かされたんですけど。突然、隊の上の人間から、先生が襲撃を受けたことで何か知っているかと質問されて、びっくりしましたよ。慌てて秦さんと連絡を取ったら、その件については長嶺組がカタをつけた、ですからね」
「俺も……似たようなものだ。襲撃があった翌日に、先生が大変だったことを聞いた」
 三田村の声に滲む苦々しさを感じ取ったのか、中嶋が冷蔵庫のドアの向こうから顔を出す。中嶋は当然、襲撃の現場に鷹津がいたことも把握しているだろう。もちろん鷹津が、和彦とどういう関係を結んでいる男かということも。
 中嶋が気遣うように笑いかけてくる。その表情は、総和会――その中でも特に荒っぽい連中が集まっていると名高い、第二遊撃隊に属している男とは到底思えないほど、柔らかなものだった。
 だからこそ、和彦と中嶋がどうしてウマが合うのか、なんとなくわかる気がした。中嶋は、いまだに堅気の匂いをまとっている。匂いだけ、だが。
「三田村さん、カウンターの上のメモに目を通してくれませんか。それで、先生のためにこれは用意しておいたほうがいいというものがあったら、書き足しておいてください。もうすぐ、買い出しに行くので」
「買い出しなら俺が――」
「先生を出迎えるのは、やっぱり三田村さんじゃないとダメだと思いますよ」
 三田村は何も言えず、ボールペンを手にメモに目を通す。その間も中嶋は、忙しげにキッチン内を行き来している。何をしているのかと思ったが、どうやら、自分が使うことになる調理器具の場所を確認しているようだ。
 少し考えて三田村は、メモにオレンジジュースを書き加える。いつの間にか、中嶋がカウンターの向こう側に立っていた。そして、ここまでの気安い雰囲気を一変させ、真剣な口調で切り出した。
「俺のこと、総和会の人間だからということで、三田村さんが警戒しているのはわかっています。元ホストで、そのうえ、元いた組を踏み台にして、総和会に入った人間ですからね。組を大事にしている三田村さんに、信用ならないと思われても仕方ない」
 三田村はメモに視線を落としたまま、否定も肯定もしなかった。中嶋を警戒しているのは事実なのだ。
「だけど俺は、先生のことは気に入っているんですよ。あの人の側にいると、何かと得になるという打算もありますけど、とにかく人間的に好いている。だからせめて、ここに滞在している間は、のんびりさせてあげたいと思っています」
「……それは、俺も同じ気持ちだ」
 三田村はボールペンを置き、ようやく顔を上げる。中嶋はカウンターに身を乗り出し、声を潜めた。
「襲撃の件もありますが、〈別件〉で先生の気を煩わせているのじゃないかと、ちょっと心配しているんです」
「別件?」
「――うちの隊長です」
 隊長、と口中で反芻した三田村は、はっきりと眉をひそめる。一瞬、体内を駆け抜けたのは、なんとも嫌な感覚だった。
「南郷さんのことか」
「会長のお気に入りである先生を、南郷さんが気にかける理由もわかるんですけどね。ただ、先生は苦手にしているようで……。なんとなく気になるんですよ。先生は妙に、物騒な男たちの興味をひいてしまうというか……」
「そんなことを、俺に言っていいのか? 総和会の中の事情を、長嶺の人間である俺に話すのは、立派な密告行為だぞ」
「知りたくなかったですか?」
 澄ました顔で中嶋に問われ、三田村は鋭い視線を向ける。迂闊な返事をすれば、それを今度は南郷に伝える気かもしれないと思うと、何も言えなかった。
 中嶋は、三田村の手からメモを取り上げると、キッチンから出てくる。
「俺は、先生の味方のつもりです。ただ、残念ながら力がない。だから、三田村さんに話したんです。少しは俺を信用してほしいですから」
「……それについては、この別荘に滞在中に見定めさせてもらう」
 怖いなー、とおどけたように呟いた中嶋が、イスの背もたれにかけたパーカーを掴んだ。
「じゃあ、買い出しに行ってきますから、あとをお願いします」
 慌ただしく中嶋がダイニングを出て行き、少し間を置いて、外から車のエンジン音が聞こえたかと思うと、すぐに遠ざかる。
 三田村は、静かになったダイニングを所在なく歩き回ってから、一度外に出る。玄関前の階段に腰掛け、普段の生活ではまず目にすることのない、自然に囲まれた風景を漫然と眺める。
 しかし、素晴らしい風景も、心地よい風すらも、三田村の心を解すことはできない。考えるのは、ひたすら和彦のことだった。それと、和彦を取り巻く男たち――。
 和彦に何かあったとき、自分は身動きが取れるのだろうかと、そんな疑問が三田村の脳裏を過る。次の瞬間、心底ゾッとした。
 和彦に向けられた攻撃の盾になることは、本望とすらいってもいい。だがもし、組織内の、目に見えない対立に巻き込まれたとき、立場の壁に阻まれることなく、自分は思ったとおりに動けるのだろうかと危惧していた。
 具体的にどんなことが起こりうるか想像もつかないくせに、不安感だけはやけに強烈に押し寄せてくる。
 こんなに気持ちが弱っているのは、鷹津の行動を知ったからだ。そして、たった今、中嶋から南郷のことを聞かされたからだ。
 早くあの人に会いたいと、三田村は願う。自分のことを〈オトコ〉と呼んでくれる、大事な人に。

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