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番外編 拍手お礼9
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小さく咳き込んだ和彦は、喉の強い渇きを意識する。空気がひどく乾燥しているのだ。
いつもと違う部屋の空気、ベッドと枕の感触を、一つ一つ認識していくうちに、眠っていた頭が少しずつ覚醒し、ここが総和会の別荘の一室であることを思い出していく。
一泊旅行と称して、賢吾や千尋、護衛の組員たちとともにやってきたのだ。
賢吾の同業者たちがこの別荘に集まり、何事かを相談している中、和彦は千尋と外でのん気に雪遊びをしていた。それから三人で〈ゆっくり〉と風呂に浸かり、美味しい夕食をとったあと、静かな夜の時間を、アルコールを飲みながら過ごした。
和彦は千尋と同じ部屋に入り、それぞれのベッドで横になった――はずだ。
「暑い……」
もう一度咳き込んでから、和彦はぽつりと洩らす。
部屋の空気が乾燥しているのは、暖房のせいだ。和彦一人なら暖房を切って寝るのだが、同室の千尋に寒い思いをさせるのは可哀想だ。そう判断してつけたままにしておいたのだが、どうやら甘かったらしい。
和彦は、自分の胸元にへばりついている熱の正体を見下ろす。カーテンの隙間から差し込んでくる青白い月明かりに照れされているのは、妙にあどけない寝顔を見せている千尋だ。和彦が眠っている間に、ベッドに潜り込んできたようだ。
和彦の体温にすがらずにはいられないほど、室内が寒いというわけではないだろう。むしろ、毛布一枚で眠ってもいいほど、暖房はよく効いている。
体温の高い千尋が触れている部分から汗ばみそうで、たまらず和彦は身じろぎ、慎重にベッドから抜け出す。サイドテーブルに置いたペットボトルの水を飲んでから、喉の渇きを癒す。
ほっと息を吐き出してから、本来は千尋が使っているはずのベッドに移動しようとしたが、月明かりに誘われるように和彦は窓に歩み寄った。
この別荘の周囲に建物はない。外灯すらもないため、月が出ていない夜は本当に真っ暗で、何も見えないだろう。しかし今は、月明かりと、その月明かりに照らされる積もった雪が、闇の中でほの白い光を放っているようだ。
こんな月明かりの下、出歩いてみたらどんな気分がするのだろうか。
ふっとそんなことを考えた和彦は、子供じみた好奇心を抑えることはできなかった。旅先で、少しだけ気分が開放的になっているというのもある。
和彦は、千尋を起こさないよう気をつけながら、部屋の隅で着替えを済ませると、ダウンコートを手に一階へと降りる。非常灯が薄ぼんやりと照らすリビングを通り抜けようとしたとき、ソファで影が動いた。
飛び上がるほど驚いた和彦が目を凝らすと、影の主は賢吾だった。薄闇の中、身を潜める大蛇の姿を見た気がして、和彦は寒さ以外のもので体を震わせる。
「……何、しているんだ……」
和彦の問いかけに、賢吾は手にした缶ビールを軽く掲げて見せた。
「なんだか眠れなくてな。一度はベッドに入ったんだが、また下りてきた。そういう先生こそ、そんな格好をしてどうしたんだ」
「目が覚めたら、雪が止んでいたから、ちょっと散歩してこようかと」
本当は寝る前に、千尋と一緒に歩くつもりだったが、雪の降りがあまりに激しくて断念したのだ。
「千尋の寝相の悪さで、叩き起こされたか?」
意味ありげな賢吾の物言いに、和彦はつい顔をしかめる。
「もしかして、ぼくと千尋の部屋を覗いたんじゃ……」
「本当に、先生と千尋は仲がいい。ベッドで身を寄せ合って寝ている姿は、いつまでも眺めていたくなる微笑ましさだ」
「言っておくが、千尋がいつの間にか、ぼくのベッドに潜り込んでいたんだからな。だいたい、あいつの甘ったれは、いつ治るんだ」
「誰よりもあいつを甘やかしている先生が、それを言うのか」
性質の悪い笑みを浮かべる賢吾を軽く睨みつけつつ、和彦はダウンコートを羽織る。すると、テーブルに缶ビールを置いた賢吾がゆったりと立ち上がった。
「ちょっと待て。俺もコートを取ってくるから、一緒に歩こう」
「……あんたも?」
「ロマンチックだろ。月明かりに照らされる雪道を、ヤクザの組長と、そのオンナが並んで歩くってのも」
どこがだ、と口中で呟いた和彦は、賢吾に代わってソファに腰掛ける。賢吾は踵を返すと、どことなく軽い足取りで階段を上がっていった。
雪を踏みしめる二人分の足音が規則正しく続き、そこに、和彦の少し弾んだ息遣いが加わる。新たに降り積もった雪のおかげで、先に続く道には足跡も轍もない。ただ、和彦と賢吾の足跡が背後に続いているだけだ。
和彦は足を止め、空を見上げる。きれいな月が出ているだけあって、星もよく見えた。いつの間にか賢吾も足を止め、和彦の傍らに立っていた。
静寂が耳に痛いとは、まさに今のこの状況だった。昼間とはまた違う雰囲気に和彦は呑まれ、心地よく酔ってしまいそうだ。
「――ご希望なら、雪合戦にもつき合ってやるぞ」
突然、賢吾に声をかけられ、和彦は小さく体を震わせる。賢吾のバリトンの威力はよく知っているつもりだが、この静寂の中で聞くと、ゾクゾクするほど魅力的だ。
和彦は咄嗟に応じることもできず、それどころか一人でうろたえてしまう。心なしか頬まで熱くなってきた。
「先生?」
「……雪合戦なら、昼間、千尋とたっぷり楽しんだ」
「だったら、大人同士らしく、しっとりした時間を楽しむか」
そう言って、賢吾の片腕が肩に回され、しっかりと引き寄せられる。思わず周囲を見回しそうになった和彦だが、すぐに、ここがどんな場所なのか思い出す。この時間、車も人もやってこない。
散歩とはいっても、そんなに歩き回るつもりはなかったので、来た道をゆっくりと引き返す。
歩きながら和彦は、片腕を賢吾の腰に回した。普段なら絶対にやらないが、旅先の夜での出来事だ。
和彦がちらりと視線を上げると、賢吾は唇に薄い笑みを湛えていた。
「何がおかしいんだ」
「いや、恋人同士みたいなことをしていると思って。柄にもなく、照れている」
らしくない言葉が返ってきたため、和彦は好奇心剥き出しで、賢吾の顔をまじまじと見つめる。
「全然、そんなふうに見えない……」
「俺の本心を知るには、もっと深くつき合わないと」
「さらりと怖いことを言うな。今以上に深いつき合いなんて、思いつかない」
「――俺だけのものになることだ」
こう告げたときの賢吾の声は、積もった雪よりも冷たかった。和彦が顔を強張らせると、賢吾はニヤリと笑う。
「そこで、できるわけない、と即答しないあたりが、先生の性質の悪さだな。愛情深い先生に、たっぷり甘やかされるのが好きな男たちは、心のどこかで思っているんだ。――自分は先生にとって、特別な存在だ、ってな。先生は、そんな男たちの独占欲を大事に愛してくれる」
「……考えたこともない。そんなこと……」
「考えてできるんなら、俺は惹かれない。無意識にやっているから、先生は怖い。怖くて可愛い、〈オンナ〉だ」
賢吾の口から語られる自分の姿は、和彦にはピンとこない。どこかにいる、魅力的な〈悪女〉の話を聞いているようだ。
そんな気持ちもあって、小さな声で洩らしていた。
「あんたの話は、よくわからない」
「まあ、いい。気分がよくて、俺が勝手に話しているんだ。先生は適当に相槌を打てばいい」
「そういうものなのか……」
「そういうもんだ」
このやり取りがおかしくて、声を洩らして笑う。すると、和彦の笑い声に誘われたようにさらに賢吾に肩を引き寄せられ、顔が近づいてくる。足を止め、掠めるように唇にキスされた。
「しばらく、こんなふうにのんびりと過ごせる日は来ないかもな……」
「のんびり、できたのか? ぼくと千尋はのん気なものだったけど、あんたは仕事をしていただろ」
ここでもう一度キスされ、賢吾に抱き締められる。なんだか本当に恋人同士のようで、和彦は気恥ずかしくなってきた。
「いつもに比べたら、のんびりだ。先生と、二人きりで夜の散歩もできて、他に何を望むものがある?」
官能的なバリトンが紡ぐ言葉は甘い。和彦は賢吾の頬を両手で挟むと、自分からそっと唇を重ねる。賢吾は低く笑い声を洩らした。
「――こうして、先生からキスもしてくれる。たまには家族サービスをしてみるもんだ」
賢吾の頬を撫でながら、和彦は感じたことをそのまま口にした。
「機嫌、いいんだな」
「悪くなる要因がどこにもないからな」
和彦は笑みをこぼすと、しっかりと賢吾と唇を重ねた。
部屋に戻った和彦は、再びスウェットの上下に着替えて、寝る準備を整える。外で冷え切った体には、今は部屋の暖かさがありがたい。ベッドに入れば、すんなりと眠れそうだ。
空いているベッドに入ろうとしたが、隣のベッドを見て少しの間逡巡した和彦は、結局、自分が使っていたベッドに戻る。
布団に潜り込むと、千尋の体温がほっとするほど温かい。和彦の気配を感じたのか、目を閉じたまま千尋がすかさず身を寄せてきた。
「……先生、どこ行ってたの……。体、冷たい」
寝ぼけた声で問われた和彦は、千尋の髪をそっと撫でる。
「ちょっと外を歩いていた」
「ずるい……。俺も行きたかった」
「朝でいいだろ」
千尋がごそごそと動いたかと思うと、和彦の片腕を取り、そこに頭をのせてくる。
「甘ったれ……」
ぼそりと呟きはしたものの、押し退けはしない。相手から抱きついてくれる湯たんぽだと思えば、これほど具合のいいものはなかった。
間近で千尋の寝顔を見つめながら、数年後にはどんな男になっているのだろうかと想像する。和彦に対しては底抜けに甘ったれの面を見せている千尋だが、持って生まれた気質は、そうではないだろう。
必要とあれば、まるで脱皮でもするように、簡単に甘さをかなぐり捨ててしまう。もしかすると、賢吾より、怖い男になるかもしれない。
そんなことを考えながら和彦は、優しく千尋の背を撫でてやる。凶暴な獣をしっかりと手懐けるように。
いつもと違う部屋の空気、ベッドと枕の感触を、一つ一つ認識していくうちに、眠っていた頭が少しずつ覚醒し、ここが総和会の別荘の一室であることを思い出していく。
一泊旅行と称して、賢吾や千尋、護衛の組員たちとともにやってきたのだ。
賢吾の同業者たちがこの別荘に集まり、何事かを相談している中、和彦は千尋と外でのん気に雪遊びをしていた。それから三人で〈ゆっくり〉と風呂に浸かり、美味しい夕食をとったあと、静かな夜の時間を、アルコールを飲みながら過ごした。
和彦は千尋と同じ部屋に入り、それぞれのベッドで横になった――はずだ。
「暑い……」
もう一度咳き込んでから、和彦はぽつりと洩らす。
部屋の空気が乾燥しているのは、暖房のせいだ。和彦一人なら暖房を切って寝るのだが、同室の千尋に寒い思いをさせるのは可哀想だ。そう判断してつけたままにしておいたのだが、どうやら甘かったらしい。
和彦は、自分の胸元にへばりついている熱の正体を見下ろす。カーテンの隙間から差し込んでくる青白い月明かりに照れされているのは、妙にあどけない寝顔を見せている千尋だ。和彦が眠っている間に、ベッドに潜り込んできたようだ。
和彦の体温にすがらずにはいられないほど、室内が寒いというわけではないだろう。むしろ、毛布一枚で眠ってもいいほど、暖房はよく効いている。
体温の高い千尋が触れている部分から汗ばみそうで、たまらず和彦は身じろぎ、慎重にベッドから抜け出す。サイドテーブルに置いたペットボトルの水を飲んでから、喉の渇きを癒す。
ほっと息を吐き出してから、本来は千尋が使っているはずのベッドに移動しようとしたが、月明かりに誘われるように和彦は窓に歩み寄った。
この別荘の周囲に建物はない。外灯すらもないため、月が出ていない夜は本当に真っ暗で、何も見えないだろう。しかし今は、月明かりと、その月明かりに照らされる積もった雪が、闇の中でほの白い光を放っているようだ。
こんな月明かりの下、出歩いてみたらどんな気分がするのだろうか。
ふっとそんなことを考えた和彦は、子供じみた好奇心を抑えることはできなかった。旅先で、少しだけ気分が開放的になっているというのもある。
和彦は、千尋を起こさないよう気をつけながら、部屋の隅で着替えを済ませると、ダウンコートを手に一階へと降りる。非常灯が薄ぼんやりと照らすリビングを通り抜けようとしたとき、ソファで影が動いた。
飛び上がるほど驚いた和彦が目を凝らすと、影の主は賢吾だった。薄闇の中、身を潜める大蛇の姿を見た気がして、和彦は寒さ以外のもので体を震わせる。
「……何、しているんだ……」
和彦の問いかけに、賢吾は手にした缶ビールを軽く掲げて見せた。
「なんだか眠れなくてな。一度はベッドに入ったんだが、また下りてきた。そういう先生こそ、そんな格好をしてどうしたんだ」
「目が覚めたら、雪が止んでいたから、ちょっと散歩してこようかと」
本当は寝る前に、千尋と一緒に歩くつもりだったが、雪の降りがあまりに激しくて断念したのだ。
「千尋の寝相の悪さで、叩き起こされたか?」
意味ありげな賢吾の物言いに、和彦はつい顔をしかめる。
「もしかして、ぼくと千尋の部屋を覗いたんじゃ……」
「本当に、先生と千尋は仲がいい。ベッドで身を寄せ合って寝ている姿は、いつまでも眺めていたくなる微笑ましさだ」
「言っておくが、千尋がいつの間にか、ぼくのベッドに潜り込んでいたんだからな。だいたい、あいつの甘ったれは、いつ治るんだ」
「誰よりもあいつを甘やかしている先生が、それを言うのか」
性質の悪い笑みを浮かべる賢吾を軽く睨みつけつつ、和彦はダウンコートを羽織る。すると、テーブルに缶ビールを置いた賢吾がゆったりと立ち上がった。
「ちょっと待て。俺もコートを取ってくるから、一緒に歩こう」
「……あんたも?」
「ロマンチックだろ。月明かりに照らされる雪道を、ヤクザの組長と、そのオンナが並んで歩くってのも」
どこがだ、と口中で呟いた和彦は、賢吾に代わってソファに腰掛ける。賢吾は踵を返すと、どことなく軽い足取りで階段を上がっていった。
雪を踏みしめる二人分の足音が規則正しく続き、そこに、和彦の少し弾んだ息遣いが加わる。新たに降り積もった雪のおかげで、先に続く道には足跡も轍もない。ただ、和彦と賢吾の足跡が背後に続いているだけだ。
和彦は足を止め、空を見上げる。きれいな月が出ているだけあって、星もよく見えた。いつの間にか賢吾も足を止め、和彦の傍らに立っていた。
静寂が耳に痛いとは、まさに今のこの状況だった。昼間とはまた違う雰囲気に和彦は呑まれ、心地よく酔ってしまいそうだ。
「――ご希望なら、雪合戦にもつき合ってやるぞ」
突然、賢吾に声をかけられ、和彦は小さく体を震わせる。賢吾のバリトンの威力はよく知っているつもりだが、この静寂の中で聞くと、ゾクゾクするほど魅力的だ。
和彦は咄嗟に応じることもできず、それどころか一人でうろたえてしまう。心なしか頬まで熱くなってきた。
「先生?」
「……雪合戦なら、昼間、千尋とたっぷり楽しんだ」
「だったら、大人同士らしく、しっとりした時間を楽しむか」
そう言って、賢吾の片腕が肩に回され、しっかりと引き寄せられる。思わず周囲を見回しそうになった和彦だが、すぐに、ここがどんな場所なのか思い出す。この時間、車も人もやってこない。
散歩とはいっても、そんなに歩き回るつもりはなかったので、来た道をゆっくりと引き返す。
歩きながら和彦は、片腕を賢吾の腰に回した。普段なら絶対にやらないが、旅先の夜での出来事だ。
和彦がちらりと視線を上げると、賢吾は唇に薄い笑みを湛えていた。
「何がおかしいんだ」
「いや、恋人同士みたいなことをしていると思って。柄にもなく、照れている」
らしくない言葉が返ってきたため、和彦は好奇心剥き出しで、賢吾の顔をまじまじと見つめる。
「全然、そんなふうに見えない……」
「俺の本心を知るには、もっと深くつき合わないと」
「さらりと怖いことを言うな。今以上に深いつき合いなんて、思いつかない」
「――俺だけのものになることだ」
こう告げたときの賢吾の声は、積もった雪よりも冷たかった。和彦が顔を強張らせると、賢吾はニヤリと笑う。
「そこで、できるわけない、と即答しないあたりが、先生の性質の悪さだな。愛情深い先生に、たっぷり甘やかされるのが好きな男たちは、心のどこかで思っているんだ。――自分は先生にとって、特別な存在だ、ってな。先生は、そんな男たちの独占欲を大事に愛してくれる」
「……考えたこともない。そんなこと……」
「考えてできるんなら、俺は惹かれない。無意識にやっているから、先生は怖い。怖くて可愛い、〈オンナ〉だ」
賢吾の口から語られる自分の姿は、和彦にはピンとこない。どこかにいる、魅力的な〈悪女〉の話を聞いているようだ。
そんな気持ちもあって、小さな声で洩らしていた。
「あんたの話は、よくわからない」
「まあ、いい。気分がよくて、俺が勝手に話しているんだ。先生は適当に相槌を打てばいい」
「そういうものなのか……」
「そういうもんだ」
このやり取りがおかしくて、声を洩らして笑う。すると、和彦の笑い声に誘われたようにさらに賢吾に肩を引き寄せられ、顔が近づいてくる。足を止め、掠めるように唇にキスされた。
「しばらく、こんなふうにのんびりと過ごせる日は来ないかもな……」
「のんびり、できたのか? ぼくと千尋はのん気なものだったけど、あんたは仕事をしていただろ」
ここでもう一度キスされ、賢吾に抱き締められる。なんだか本当に恋人同士のようで、和彦は気恥ずかしくなってきた。
「いつもに比べたら、のんびりだ。先生と、二人きりで夜の散歩もできて、他に何を望むものがある?」
官能的なバリトンが紡ぐ言葉は甘い。和彦は賢吾の頬を両手で挟むと、自分からそっと唇を重ねる。賢吾は低く笑い声を洩らした。
「――こうして、先生からキスもしてくれる。たまには家族サービスをしてみるもんだ」
賢吾の頬を撫でながら、和彦は感じたことをそのまま口にした。
「機嫌、いいんだな」
「悪くなる要因がどこにもないからな」
和彦は笑みをこぼすと、しっかりと賢吾と唇を重ねた。
部屋に戻った和彦は、再びスウェットの上下に着替えて、寝る準備を整える。外で冷え切った体には、今は部屋の暖かさがありがたい。ベッドに入れば、すんなりと眠れそうだ。
空いているベッドに入ろうとしたが、隣のベッドを見て少しの間逡巡した和彦は、結局、自分が使っていたベッドに戻る。
布団に潜り込むと、千尋の体温がほっとするほど温かい。和彦の気配を感じたのか、目を閉じたまま千尋がすかさず身を寄せてきた。
「……先生、どこ行ってたの……。体、冷たい」
寝ぼけた声で問われた和彦は、千尋の髪をそっと撫でる。
「ちょっと外を歩いていた」
「ずるい……。俺も行きたかった」
「朝でいいだろ」
千尋がごそごそと動いたかと思うと、和彦の片腕を取り、そこに頭をのせてくる。
「甘ったれ……」
ぼそりと呟きはしたものの、押し退けはしない。相手から抱きついてくれる湯たんぽだと思えば、これほど具合のいいものはなかった。
間近で千尋の寝顔を見つめながら、数年後にはどんな男になっているのだろうかと想像する。和彦に対しては底抜けに甘ったれの面を見せている千尋だが、持って生まれた気質は、そうではないだろう。
必要とあれば、まるで脱皮でもするように、簡単に甘さをかなぐり捨ててしまう。もしかすると、賢吾より、怖い男になるかもしれない。
そんなことを考えながら和彦は、優しく千尋の背を撫でてやる。凶暴な獣をしっかりと手懐けるように。
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