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第48話
(6)
しおりを挟む前髪から滴り落ちようとしているしずくを指先で弾くと、うなじにそっと唇が押し当てられる。心地よい疼きが緩やかに背筋を這い落ちて、和彦は身じろぐ。
今日はもう仕事はしないと宣言をした賢吾は、鼻歌を歌いながらバスタブに湯を溜め、入浴剤を選び始めた。結果、こうして夕方にもならない時刻から、二人一緒に湯に浸かっていた。
湯の温度はぬるめだが、背で感じる賢吾の体温は高く、なかなかいい塩梅だ。
「贅沢だ……。長嶺組長を座椅子代わりにして、入浴するなんて」
「お疲れだろうから、労ってやろうという俺の優しさだ。しっかり感謝しろよ」
疲れているのは、昨夜の父子による行為のせいもあるのだが、指摘するのはやめておく。藪蛇になりかねない。
「そういえば――」
「何?」
「今日の昼間、雨が降っただろ。天気雨というやつだ。たまたま外に出ていたから、参ったぞ」
和彦はパッと賢吾を振り返る。
「もしかして、見た、のか?」
「見たって……、ああ、あれか。虹が出てたな」
賢吾は短く笑い声を洩らすと、和彦の肩先に掬った湯をかけてくれる。
「たまには空を見上げてみるもんだな。いいものが見られた。あとになって、写真を撮ってお前に送ってやればよかったと思ったが、そうか、同じものを見たんだな」
白乳色の湯の中で、なんとなく互いの手をまさぐり、指を絡めた。
和彦は、総和会本部での出来事をできるだけ簡潔に説明する。その中には、守光や南郷とのやり取りも含まれているが、さすがに、守光と俊哉の関係については省かせてもらった。
「……〈寮〉が完成したというなら、うちから何か、祝いの品でも送らないといけねーな」
賢吾がぽつりと洩らした言葉に、和彦は目を丸くする。南郷が管理する建物ということで、てっきり賢吾は知らん顔をすると思ったのだ。
「表向きは、俺は怒りの矛を収めたことになっている。お前がいない間、古参連中がこぞって俺の説得にやってきてな。わかってはいたが、堪えるもんだ。いい歳したおっさん共の泣き落としは。――長嶺組と総和会ってのは、切っても切れない仲だ。そこまで作り上げたのはあの化け狐で、誰も彼も手玉に取られている。俺すらな」
苦笑いを浮かべた賢吾の頬にそっと自分の頬をすり寄せる。
「組の組織運営なんてぼくにはわからないけど、あんたが何かを失うことにならなくて、よかったと思う。……ぼくのせいで」
腰に逞しい腕が回されて、引き寄せられる。
「俺としては、情けないと言ってお前に見限られなくて、よかった」
「……どうだか。長嶺の男はみんな、自信家だろ」
「いいや。肝が小さいから、口だけはでかいことを言うんだ。可愛いだろ」
自分で言うなと、つい笑みをこぼした和彦の唇が、賢吾に塞がれる。唇を吸い、ときおり舌先を触れ合わせていると、賢吾のてのひらが体中に這わされる。肌をまさぐられているうちに和彦の息は上がり、自分でも目が潤んでいくのがわかる。腰に当たる賢吾の欲望は熱く硬くなっていた。
意識が流されてしまいそうで、和彦は必死に会話を再開する。
「祝いの品は――」
「うん?」
「壁に飾れるものがいいと思う。大きな真っ白な壁に、何もなかったんだ。リトグラフでも、ぼくは絵のことはよくわからないけど、油絵でも水彩画でも。こだわりはないみたいだったから……」
ふむ、と声を洩らした賢吾が思案げな顔をする。それでも手は動き続け、和彦は欲望を握られた。緩く扱かれ呼吸が弾む。足をもじつかせた拍子に湯が波立った。
「だったら、組から贈るものとは別に、俺とお前の連名で、絵を贈るか。知り合いがやってる画廊がある。現代アート専門だが、若い連中が出入りする施設なら、そっちのほうが見栄えがするだろ」
両足を広げられ、もう片方の手が柔らかな膨らみにかかる。和彦は腰をビクビクと震わせながら、声を上げた。
「すでに〈あいつ〉に絆されてるんじゃねーか? 祝いの品と聞いて、すぐに絵がいいと提案してくるんだ。今日はしっかり話し込んだみたいだな」
恐ろしい大蛇がチロチロと舌を出している姿が、脳裏に浮かぶ。話はしたが、絆されてはいないと否定した和彦に、わかっているとばかりに賢吾が薄い笑みを唇に刻む。
大蛇の執着がねっとりと和彦に絡みつき、逃げられないよう締め付けてくる。手荒く柔らかな膨らみを揉みしだかれ、慣れた指先に弱みを捉えられ、弄られる。
「あっ、あっ、痛、い……。そこ、嫌、だっ……」
「痛いことはしてないだろ。俺はここを痛めつけたことはないはずだ。いつでも優しく、甘やかしてる」
耳に唇が押し当てられ、官能的なバリトンで囁かれる。声で鼓膜を愛撫された和彦は身悶え、下肢への残酷な愛撫も受け入れる。
はあ、はあ、と息を喘がせながら賢吾を振り返り、唇と舌を貪り合う。濃厚な口づけの合間に問われた。
「寒くないか?」
「へ、きだ……。熱い、ぐらいだ」
「のぼせるなよ」
腰が蕩けてしまうと危惧するほど、じっくりと丹念に欲望と柔らかな膨らみを愛されているうちに、悦びの声を抑えきれなくなる。半身を捩って賢吾の腕にすがりつき、肩先に歯を立てたところで、ふっと脱力してずるずると湯に沈み込みそうになり、さすがに慌てた賢吾に引き上げられた。
心配した賢吾にしっかりと抱き締められ、和彦は呼吸が落ち着くのを待ちながら、じっとする。自分の鼓動の音がうるさくて、どれだけ興奮していたのかと密かに恥じ入る。
「……やりすぎた」
ぼそりと賢吾が洩らし、たまらず和彦は噴き出す。
「あんたでも反省するんだな」
「滅多にないことだから、明日は大雪かもな。あーあ、せっかくの桜の花が凍り付くな」
ひさしきり笑ったところで顔を上げ、また賢吾と唇を重ねる。自ら望んだこともあり、腰をわずかに浮かせて、賢吾の指を内奥に受け入れていく。
「んっ、んぅ、んく……」
昨夜長嶺の男二人に開かれた場所は、まだ熱を帯びて少し疼いている。
「柔らかいな、ここ」
そう指摘してきた賢吾が指をゆっくりと動かし、襞と粘膜を擦り上げてくる。自分ではどうしようもできない反応として、その指をきつく締め付ける。すでに内奥はひくつき始めていた。
二本の指が付け根まで挿入され、上擦った声を洩らす。和彦の奥深くを暴くように掻き回され、かと思えば不意打ちのように指が引き抜かれて、またすぐに挿入される。丁寧に快感を呼び起こされ、苦痛を取り除かれ、ささやかな肉の悦びを与えられているうちに、和彦の理性は危うくなってくる。誇示するように、賢吾が高ぶった欲望を腰に擦りつけてくるからなおさらだ。
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