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第48話
(3)
しおりを挟む「強面の俺がちょっと揶揄えば、さっさと尻まくって逃げ出すかと期待もしてたんだがな。見た目によらず、あんたは下手な極道より肝が太かった。――オヤジさんと渡り合える佐伯俊哉の息子なら、さもありなんか」
「……父は、関係ないです。あの人はあの人の生き方を貫いて、ぼくは、どう生きるか模索している最中ですから」
「上手いな、先生」
ニヤリとした南郷の言葉の意味が、すぐには理解できなかった。もしかすると、和彦と俊哉の血の繋がりについて、守光から何か聞かされており、鎌をかけたつもりなのかもしれない。
ここでふいに短く電子音が鳴り、南郷は一旦立ち上がって書斎デスクに歩み寄る。スマートフォンを手にして何か確認したあと、すぐにまたソファに腰掛けた。メッセージが届いたようだが、返信する必要はなかったようだ。何事もなかったように南郷は会話を再開した。
「あちら――長嶺組長には、オヤジさんから伝えておいたんだが、月に一度、あんたを本部に派遣してもらうというのは聞いたか? 一泊してもらうことになる」
「決定、なんですよね」
ついさきほどの南郷の話を聞いたうえで、拒否できる人間などいるのだろうか。賢吾や長嶺組のことが頭にある和彦には無理だった。だから南郷も『同志』などという単語を使ったのだ。
「できることなら、あんたが月の半分でも、ここに住んでくれればいいんだがな」
「ぼくを衰弱死させたいんですか」
言葉に遠慮がなくなった和彦を、南郷は鼻先で笑った。
「大事にするが?」
「ええ、大事にしてください。ぼくは、長嶺賢吾のオンナですから」
スッと笑みを消した南郷が、まっすぐ見据えてくる。敵意も悪意もなく、ただ、目の前の存在を網膜と脳に焼き付けようとしているかのようだ。
「……雪に足跡を残しながら逃げ惑うあんたの姿は、今でも夢に見るほどよかった。ガキの頃に見た、追われるうさぎそのもので。俺の今の仕事は猟犬に例えられるが、あのときは心底、猟犬の気持ちがわかった」
昨年末の総和会の別荘での出来事を持ち出されるたびに、体の内に冷たい感覚が走る。つまり、心底不愉快なのだ。
「それが、今、目の前にいるあんたは違う。姿を隠していた間に、ぬるっと得体の知れない生き物に変化したようだ。肝が据わったというだけじゃない。――何か武器でも手に入れたか?」
「隠し武器の存在を、正直に打ち明ける人間はいないでしょう」
和彦としては冗談のつもりはなかったのだが、南郷は虚をつかれたように目を丸くしたあと、声を上げて笑う。舞台俳優のような芝居がかった大きな笑い声に、凄まれるよりも身が竦む。
ふと、外で車のドアが閉まった音がした。和彦が何げなく視線を窓のほうに向けたときには、音もなく南郷は立ち上がっていた。今度は、段ボールの一つを開けて何かを取り出し、和彦の膝の上に置く。小さな手提げ袋だった。反射的に中を覗き込んだ和彦は、パッと南郷を見上げる。
「拾ってクリーニングに出しておいた。寒くなったらまた使ってくれ」
南郷から贈られた手袋だった。駅構内で落としてそのままになっていたが、皮肉なことに南郷の手によってまた手元に戻ってきたのだ。物に罪はないため、無碍に突き返すこともできない。
「もっと話したいことがあったが、時間だ。先生、玄関まで送る」
いきなり面談の終了を告げられ、南郷にドアのほうを示される。和彦は手提げ袋を胸元に抱えて立ち上がった。
再び白い回廊のような廊下を歩きながら、なんとなく気になった和彦は控えめに提案してみた。
「この壁、何か、飾らないんですか? あまりに殺風景というか……」
「今、悩んでいる。風景画にするか、古い映画のポスターでも額に入れて飾るか。版画……リトグラフというのか、ああいうのでもいい。買い揃えたいところだが、俺はインテリアとか美術についてはまったくお手上げだ」
本部の建物には麗々しい日本画や書を飾ってはあるのだが、あれらは南郷が求めているものではないようだ。
美術、という単語にふっと脳裏を過ったのは賢吾の顔だった。美術館巡りをするような男なので相応の知識はあるのだろうが、まさか南郷の相談に乗るはずもない。余計なことは言わないでおくに限ると、和彦は無意識に口元に手を遣っていた。
「――ああ、言い忘れるところだった。便宜上、ここは〈寮〉と呼ぶことになっている。先生もそうしてくれ」
「寮ですか……。表から見ると、雰囲気のいい喫茶店みたいな造りなのに、変な感じですね」
「便宜上、だからな。先生がシャレた名前をつけたいというなら任せるが」
「ぼくは関係ないので」
淡々と会話を交わしながら玄関まで来たところで、ガラスドアの向こうでちらちらと人影が動いている。南郷が恭しくドアを開けると、そこには着物姿の守光が立っていた。
静かに息を詰める和彦とは対照的に、守光はリラックスした様子で南郷に話しかけた。
「この空き地に何を作るか、決まったか?」
「犬を遊ばせる場所はどうかと考えてみたんですが、生き物はどうも、先生のお気に召さないようで」
自分を巻き込まないでくれと、和彦は必死に表情で訴える。このとき、守光と南郷は顔を見合わせ、薄い笑みを交わし合った。その表情を目にした途端、なぜだかゾッとした。
「ここで過ごすとき、先生の気が紛れるものをと二人で相談し合っていたんだが、やはり先生本人の意見を聞くのが一番だと思ってな」
守光の言葉に、和彦は心の中で嘆息する。意見の一つでも出さないと、解放してもらえそうになかった。
「でしたら――」
和彦が口にした提案に、守光はただ微笑むだけだったが、南郷は微妙な表情を浮かべた。案外、つまらん、とでも思ったのかもしれない。
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