血と束縛と

北川とも

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第47話

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 反射的に身が竦む。咄嗟に和彦の脳裏に浮かんだのは、おぞましい百足の姿だった。
「総和会でのお前の後見人という決定は覆らなかった。お前の立場を思えば、あの男ぐらいの番犬は必要だと、押し切られた」
「番犬……」
 和彦にとってはある意味、思い入れのある言葉でもあり、ほろ苦い気持ちにさせられる。
 微妙に表情を曇らせた和彦の変化に、賢吾は座布団から下りて正座をすると、深々と頭を下げた。
「おそらくお前が希望していたことを、ほとんど叶えてやれなかった。俺の力不足だ。すまなかった」
 これまで見たことのない賢吾の姿に、和彦は激しく動揺する。頭を下げたまま賢吾は続けた。
「お前を連れ戻しておきながら、この体たらくだ。騙したなと詰ってくれてもいい。……これ以上長引けば、お前を鷹津に持って行かれると焦っていた。なりふりかまっていられなかった。お前が古狐どもに振り回されるとしても、俺の側に置くことを優先したんだ」
 和彦がため息をつくと、賢吾がわずかに頭を上げる。謝罪しながらも、上目遣いの眼差しには狡猾さとふてぶてしさが覗いている。
「あんたみたいな男に頭を下げられて、そこまで言われたら、ぼくは何も言えない」
「遠慮なく言ってくれていいんだぜ。あんたみたいな男、と言うが、俺は案外狭量だ。たとえば、鷹津の隣に立つお前を一目見て、嫉妬して、八つ当たりするぐらいにはな」
「……あれ、八つ当たりだったのか。あんたを怒らせたんだと思った……」
「つまり俺は、その程度の男だってことだ」
 賛同しかねる言葉だが、言ったところで屁理屈で納得させられるのが目に見えているため、曖昧な表情を返しておく。
 今後の予定について軽く相談してから、今はとにかく環境に慣れるよう念を押される。意味がわからず首を傾げると、賢吾は真剣な顔つきで説明した。
「お前はもう、山奥でひっそりと息を潜めて暮らしていたただの堅気じゃなく、長嶺の男たちの〈オンナ〉に戻ったということだ。そして、長嶺組のシノギに貢献する医者でもある。振る舞いには気を配れ」
 和彦がいまだに地に足のついていないふわふわとした状態なのを、賢吾は感じ取っていたのだろう。言葉で頬を張られたような衝撃を受け、和彦は目を見開く。そして、小さく頷いた。
「――お前は面倒な人間を引き寄せすぎる。自覚なく、というのが一番性質が悪い。息苦しくならないよう自由にさせてやりたいが、そうするにはお前は価値がありすぎる。……檻に閉じ込めないだけ、感謝してもらいたいぐらいだぜ」
 自嘲気味に呟いた賢吾が腕時計に視線を落とす。小言を言い足りないらしいが、今はここまでにしてくれるようだ。
 少しだけな、と前置きした賢吾に、和彦は腕を掴まれて引き寄せられる。厚みのある胸板に触れると同時に、むせ返るような雄の匂いに包まれ、眩暈がした。
 一瞬にして屈服させられた和彦は、熱を孕んだ賢吾の眼差しに戦きながら、懸命に見つめ返す。そうしなければ、この男は機嫌を悪くする。
「……大事で可愛い俺のオンナが、ようやく手元に戻ってきた」
 魅力的なバリトンの魅力を際立たせるような囁きとともに、あごのラインを指先でなぞられる。強い疼きが背筋を駆け抜け、意識しないまま喉が鳴る。気がついたときには賢吾の顔が眼前にあり、互いに視線を逸らすことなく唇が重なっていた。
 何かを確かめるようにじっくりと、上唇と下唇を吸われる。和彦は小さく喘ぎながら、同じ行為を賢吾に返してから、口腔に熱い舌を迎え入れる。蠢く舌の動きに必死に応え、流し込まれる唾液を受け入れてから、引き出された舌に慎重に歯が立てられる。このまま噛み千切られるかもしれないという恐怖は、とてつもない淫らな衝動も伴っている。
 堪らず鼻にかかった声を洩らすと、きつく抱き締められる。何度も切ない声で賢吾の名を呼び、再び口腔に差し込まれた舌に吸い付く。賢吾の興奮は、強くなる腕の力や、荒い息遣い、高い体温から伝わってくる。もちろん、和彦もこれ以上なく興奮していた。
 その果てに、賢吾の腕の中でビクビクと身を震わせる。
「――……キスだけでイッたのか? いやらしいオンナだな、お前は」
 獲物を弄ぶ獣の残酷さを含んだ声で、賢吾が囁く。
 ログハウスでの生活で、和彦と鷹津との関係がこれ以上なく深まっていると察しているうえで、そんなことは関係ないとばかりに賢吾は口づけで迫ってくる。和彦の中にある感傷も罪悪感も、すべて呑み込むかのように。官能の高ぶりに、和彦の目尻に涙が浮かんでいた。
 濃厚な口づけを堪能して、ようやく唇が離れる。和彦は息を乱しながら賢吾の肩に額をすり寄せると、手荒く後ろ髪を撫でられた。
「この手触りはなかなか惜しい気もするな。どうする、伸ばし続けてみるか?」
「……昨日言っただろ。時間ができたら、切りにいく」
 どうする、と聞いておきながら、和彦の返事に賢吾は満足げに目を細める。
 賢吾が自室に戻るタイミングで、昼食の準備ができたと笠野から内線がかかってきたため、一緒に客間を出る。久しぶりにダイニングで食事をしようと思ったのだが、なぜか賢吾もついてくる。
「出かける準備をしなくていいのか?」
「お前の顔を見ながら、茶を飲む時間ぐらいはある」
「……好きにしてくれ」
「ついでに、千尋も呼ぶか。自分の部屋でウズウズしてるだろうからな」
 廊下を歩きながら、中庭に視線を向けていた和彦は、あることに気づいた足を止める。
「なあ、中庭のあれ――」
 和彦が指さした先では、広い中庭の一角が整地され、土が剥き出しとなっている。樹木は常に手入れが行き届き、季節に合わせてさまざまな花が植え替えられているような場所だが、和彦が本宅に出入りするようになって、こんな光景は初めて目にした。
「大きな木でも植えるのか?」
「いや、小さな砂場を造る。それに、すべり台にブランコ……。鉄棒もあったほうがいいかと考えている。中庭は遊具で遊べるようにして、庭のほうは地面がコンクリートだから、自転車を走らせるのに具合がいいんじゃねーか、とかな」
「ちょっ……、なんの話をしてるんだ」
「――千尋が小さいときも、そうしていた。中庭が有効利用できる機会なんて、滅多にないからな」
 和彦は、賢吾の顔と中庭を交互に見てから、目を見開く。誰が中庭で遊ぶことになるのか、ようやく理解できた。
「春は、変化の季節だ。お前はようやく戻ってきたし、千尋はガキの時期から脱却するのにいい頃合いだ。それに、何か企んでいる連中は、もぞもぞと蠢き始めてるんじゃねーか」
「心当たりが?」
 賢吾は薄く笑むだけで、答えてくれなかった。


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