1,223 / 1,262
第47話
(4)
しおりを挟むヤクザの朝は早い――。
そんな言葉を心の中で呟きたくなるほど、和彦の寝起きは不本意なものだった。
いきなり部屋のドアを乱暴に叩かれ、浅い眠りの只中にあった和彦は飛び起き、わけがわからないままベッドから転がり出た。ドアを開けると賢吾が立っており、当然のように言い放ったのだ。
「出発するぞ。早く準備をしろ」
子供を急かすように賢吾が手を打ち鳴らし、和彦は頭が完全に覚醒しないまま身支度を整えると、部屋をあとにした。
早朝のためか朝もやが立ち込めていたのが印象的で、乗り込んだ車の中からぼんやりと景色を眺めていた。寝てていいぞと賢吾に言われたが、もう二度と訪れることのない場所かもしれないと思うと、素直に従う気にはなれなかった。
昨夜買っておいたパンを缶コーヒーで流し込み終えた頃、車は高速道路に入る。車内の様子は昨日とほぼ同じで、賢吾は絶えずスマートフォンを操作し、助手席の組員と合間に打ち合わせをする。予定が立て込んでいるようだ。
すっかり手持ち無沙汰の和彦は、賢吾たちの邪魔をしないよう極力口を閉じ、なんなら存在感すら消してしまおうと、窓側に身を寄せていた。高速道路から見る景色はあまり変わり映えがせず、反対側に視線を向ける。相変わらずスマートフォンに視線を落としている賢吾に、つい声をかけてしまっていた。
「……ずっと見ていて酔わないか?」
顔を上げないまま賢吾は口元をわずかに緩めた。
「酔わないな。気分転換に、お前を見ているから」
さらりとこういうことを言えるから、この男は性質が悪い。一人うろたえる和彦を、やっと顔を上げた賢吾がニヤニヤしながら眺めている。ひとまず機嫌は悪くなさそうだ。
和彦は逡巡してから、切り出した。
「――なあ、相談したいことがあるんだ。スマホを見ながらでいいから、聞いてくれないか」
「かまわねーぜ」
そう言って賢吾はすっとスマートフォンを置いた。
「昨日のあんたの苦労話を聞いて、こういうことを言うのは心苦しいんだが……」
「苦労話?」
「ぼくの父のことだ。基本的に、興味のない相手には物腰が柔らかいし、愛想もいいんだが、たぶんあんたには……、違っただろ?」
賢吾の返事は、苦笑いだった。
「……事情があって、ときどき、実家や和泉の家に顔を出すことになるかもしれない」
「それは、お前が行かないとダメなのか?」
賢吾の声が突き放すような冷たさを帯びたように感じるのは、申し訳なさゆえかもしれない。まともに賢吾の顔が見られず、和彦は反射的に視線を伏せていた。
「ぼくが行かないと、ダメなんだ」
こみ入った家庭の事情があり、一つずつ解決していかなければならなくなった。そのためには、和彦が直接出向くのが適切だ。まさか、高齢の総子に移動してもらうわけにはいかない。俊哉にしても、外で会う場合の段取りの多さを、賢吾は身を持って知っているはずだ。
「――……お前の実家だけでも厄介なのに、和泉家も絡んでくるなんてな。疎遠になっていたはずが、つき合いが復活した理由は、お前のオヤジから聞いた。祖父君の体調が思わしくないようだな」
俊哉のことは雑に呼んでいるくせに、会ったこともない和彦の祖父に対しては、礼儀を払ってくれるのだなと、些細なことに気がつく。よほど、俊哉と会ったときの印象が悪かったのかもしれない。
「それもあって、会えるうちにできる限り会いに行きたいんだ。疎遠だった理由も、結局ぼくが原因のようなものだったから……」
「俺はそこまで立ち入る気はない。お前から話したいというなら別だが、俺の上の世代ががっつり手を組んで対応したというなら、相応の重い理由があるんだろう。お前が和泉家を大事にしたいというなら、俺も配慮する。行きたいというなら、止めはしない」
ほっとした和彦だが、同時に、不穏さも感じ取る。
「ぼくの実家については……」
「佐伯俊哉という男にとって、お前は大事な〈部品〉なんだと、顔を合わせてわかった。理屈じゃねーんだ。なんとなく感じたんだよ。俺だって、でかい息子がいる身だからな。お前のオヤジが語ることに、言葉として理解はできたんだが、気持ちがついていかなかった。おそらく向こうも、共感や同調というものを俺に求めちゃいなかったんだろうがな。――いままで生きてきて、うちの古狐以上に尊大な人間に、初めて会った」
ここまで言われて、今度は和彦は苦笑いをする。俊哉は、長嶺賢吾という男を、本性を見せなければならないほどの存在だと認めたということなのだろう。守光に対抗しうると賢吾が判断されていなければ、即座に話し合いは打ち切られていたはずだし、和彦を長嶺の本宅に預けるという結論には至らなかったはずだ。
「……難解な人なんだ。でも義理堅いとは思う。一度した取り決めは、守るはずだ」
「義理堅い、か。それがつまり、お前が実家にも顔を出したいという根拠になるのか?」
「和泉の家に行って、いろいろわかったことがある。それを踏まえて、家族とまた話がしたいんだ。……向こうが、ぼくを家族と認めてくれるなら、だけど」
悲しいことを言うなと、賢吾に手荒く頭を撫でられた。
「わかった。お前がやりたいようにすればいい。ただし、行動するなら、事前に予定を知らせろ。それは絶対だ」
「――……実は、和泉の家で紹介された人からも、会社に一度来てほしいと言われてて……」
賢吾が大仰に眉を動かす。
「ずいぶん交友関係が広がったな」
「自分でもびっくりしている」
「和泉家と繋がるというのは、そういうことだろうな。佐伯家は、官僚として特殊な世界で力を振るってきた一族で、一方の和泉家は、ある意味対照的だ。調査書類を読んだだけだが、昔から手広く商売をやって成功してきたらしいな」
「おばあ様の話だと、その商売を畳んだりしたみたいだけど」
「和泉家が今扱っているものは、一つだけだと言っていい。だがその一つが、強力だ」
実のところ、和彦はまだ和泉家というものを把握しきれていない。広大ではあるものの、周囲を田畑に囲まれた土地に老夫婦が静かに暮らしている様子をこの目で見てきた。だが、総子から渡された、和彦に譲るという財産目録はあまりに凄まじかった。そこに、和泉家が持つ力の一端を見た気がしたのだ。
「和泉の家に厭われると――……」
ふっと、俊哉に電話越しに言われた言葉が口を突いて出る。訝しむように賢吾がこちらを見たので、なんでもないと和彦は首を横に振る。和泉家からの相続に関しては、まだ話せる段階になかった。いくつかの手続きは進めているとはいえ、和彦自身にまだ実感は乏しいし、本当に自分が継いでいいものなのか戸惑いがある。
和泉家になんの貢献もしていないのに、という思いが拭えないのだ。しかし、自分たちに残された時間は少ないと総子に言われてしまうと、無碍にはできなかった。
これもまた血の呪いだとは思うが、そこには確かに〈母親〉との繋がりが存在する。
「――賢吾」
呼びかけると、微かに賢吾の肩が揺れる。和彦は抑えた声で問いかける。
「本当に、いいのか?」
何が、とは聞き返されない。賢吾は当然のように察している。
「大蛇の貪欲さを舐めるなよ、和彦。お前が抱えている厄介事も全部、呑み込んでやる。長嶺の家も大概だからな、お前こそ覚悟しておけよ」
「……怖いな」
そう呟きながらも頷くと、賢吾にさりげなく手を握り締められた。
休憩を取ることなく車は走り続け、特にやることのない和彦は、賢吾にスマートフォンの使い方を軽く教えてもらう。やはりというべきか、賢吾は和彦と同じ機種で揃えたらしい。あとでそのことを知った千尋がどんな行動に出るか、和彦には手に取るようにわかる。
車内から見る景色が見覚えのあるものに変わったところで、和彦は姿勢を正す。いまさらながら緊張していた。
「――ようやく着いたな」
「ああ……」
建ち並ぶ住宅の中、異質な存在感を放つ鉄製の高い塀にすら懐かしさを覚える。すでに長嶺の本宅の前には数人の男たちの姿があり、一行を待ち構えているようだ。
車は門扉の前にぴたりと停まると、速やかに後部座席のドアが開けられる。恭しい動作で示され、賢吾に軽く肩を叩かれたこともあり、和彦はおずおずと車を降りる。ドアを開けてくれたのは、三田村だった。
基本的に仕事中は淡々とした物腰の男だが、今は――緊張しているように見える。声をかけたいが、他人の目があるこの場でそんなことはできない。和彦は何事もないように、他の組員に促されるまま門扉の内側へと連れ込まれた。
玄関では千尋が待っており、和彦の顔を見るなり、一瞬泣きそうな表情となったあと、満面の笑みを浮かべた。見えない尻尾をブンブンと振っているようだ。
「おかえりっ、和彦っ」
第一声はこれしかないとばかりに、大きな声で言われる。和彦は一気に肩の力が抜けるのを感じながら、こう応じた。
「――ただいま」
42
お気に入りに追加
1,335
あなたにおすすめの小説
伸ばしたこの手を掴むのは〜愛されない俺は番の道具〜
にゃーつ
BL
大きなお屋敷の蔵の中。
そこが俺の全て。
聞こえてくる子供の声、楽しそうな家族の音。
そんな音を聞きながら、今日も一日中をこのベッドの上で過ごすんだろう。
11年前、進路の決まっていなかった俺はこの柊家本家の長男である柊結弦さんから縁談の話が来た。由緒正しい家からの縁談に驚いたが、俺が18年を過ごした児童養護施設ひまわり園への寄付の話もあったので高校卒業してすぐに柊さんの家へと足を踏み入れた。
だが実際は縁談なんて話は嘘で、不妊の奥さんの代わりに子どもを産むためにΩである俺が連れてこられたのだった。
逃げないように番契約をされ、3人の子供を産んだ俺は番欠乏で1人で起き上がることもできなくなっていた。そんなある日、見たこともない人が蔵を訪ねてきた。
彼は、柊さんの弟だという。俺をここから救い出したいとそう言ってくれたが俺は・・・・・・
転生料理人の異世界探求記(旧 転生料理人の異世界グルメ旅)
しゃむしぇる
ファンタジー
こちらの作品はカクヨム様にて先行公開中です。外部URLを連携しておきましたので、気になる方はそちらから……。
職場の上司に毎日暴力を振るわれていた主人公が、ある日危険なパワハラでお失くなりに!?
そして気付いたら異世界に!?転生した主人公は異世界のまだ見ぬ食材を求め世界中を旅します。
異世界を巡りながらそのついでに世界の危機も救う。
そんなお話です。
普段の料理に使えるような小技やもっと美味しくなる方法等も紹介できたらなと思ってます。
この作品は「小説家になろう」様及び「カクヨム」様、「pixiv」様でも掲載しています。
ご感想はこちらでは受け付けません。他サイトにてお願いいたします。
巻き込まれ異世界転移者(俺)は、村人Aなので探さないで下さい。
はちのす
BL
異世界転移に巻き込まれた憐れな俺。
騎士団や勇者に見つからないよう、村人Aとしてスローライフを謳歌してやるんだからな!!
***********
異世界からの転移者を血眼になって探す人達と、ヒラリヒラリと躱す村人A(俺)の日常。
イケメン(複数)×平凡?
全年齢対象、すごく健全
コスモス・リバイブ・オンライン
hirahara
SF
ロボットを操縦し、世界を旅しよう!
そんなキャッチフレーズで半年前に発売したフルダイブ型VRMMO【コスモス・リバイブ・オンライン】
主人公、柊木燕は念願だったVRマシーンを手に入れて始める。
あと作中の技術は空想なので矛盾していてもこの世界ではそうなんだと納得してください。
twitchにて作業配信をしています。サボり監視員を募集中
ディスコードサーバー作りました。近況ボードに招待コード貼っておきます
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
女神の代わりに異世界漫遊 ~ほのぼの・まったり。時々、ざまぁ?~
大福にゃここ
ファンタジー
目の前に、女神を名乗る女性が立っていた。
麗しい彼女の願いは「自分の代わりに世界を見て欲しい」それだけ。
使命も何もなく、ただ、その世界で楽しく生きていくだけでいいらしい。
厳しい異世界で生き抜く為のスキルも色々と貰い、食いしん坊だけど優しくて可愛い従魔も一緒!
忙しくて自由のない女神の代わりに、異世界を楽しんでこよう♪
13話目くらいから話が動きますので、気長にお付き合いください!
最初はとっつきにくいかもしれませんが、どうか続きを読んでみてくださいね^^
※お気に入り登録や感想がとても励みになっています。 ありがとうございます!
(なかなかお返事書けなくてごめんなさい)
※小説家になろう様にも投稿しています
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
4人の王子に囲まれて
*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。
4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって……
4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー!
鈴木結衣(Yui Suzuki)
高1 156cm 39kg
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。
母の再婚によって4人の義兄ができる。
矢神 琉生(Ryusei yagami)
26歳 178cm
結衣の義兄の長男。
面倒見がよく優しい。
近くのクリニックの先生をしている。
矢神 秀(Shu yagami)
24歳 172cm
結衣の義兄の次男。
優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。
結衣と大雅が通うS高の数学教師。
矢神 瑛斗(Eito yagami)
22歳 177cm
結衣の義兄の三男。
優しいけどちょっぴりSな一面も!?
今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。
矢神 大雅(Taiga yagami)
高3 182cm
結衣の義兄の四男。
学校からも目をつけられているヤンキー。
結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。
*注 医療の知識等はございません。
ご了承くださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる