血と束縛と

北川とも

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第47話

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 車中の空気はピンと張り詰めていた。和彦は、頭では状況が理解できているものの、感情が追い付かず、ただ前を見据えたまま体を硬くしていた。
 隣に座っている賢吾は、車が走り出してから間を置かずに、スマートフォンを取り出して連絡を取り始める。最初の電話は、賢吾の口調から相手が千尋だとわかった。手短に和彦を〈保護〉したと告げ、すぐに電話を切ったかと思うと、今度は本宅にかけているようだった。そうやって電話かけていき、指示を与えていく。
 聞き耳を立てなくても、嫌でも話す内容は耳に入ってくる。それでわかったのだが、今日、ログハウスまで賢吾がやってきたのは、慌ただしく予定を変更したうえでの行動のようだ。賢吾だけでなく、助手席に座る組員はしきりにメールを打っては、電話の合間に賢吾に報告をして、指示を仰いでいる。
「――俺を電話一本で右往左往させられて、さぞかし痛快だっただろうな。あの男は」
 ふいに賢吾がそんなことを呟く。自分に向けられたものだと和彦が察するのに、十秒以上かかってしまった。目を丸くした和彦が隣を見ると、賢吾は無表情ではあるのだが、指先でスマートフォンの縁を落ち着きなく叩いている。賢吾の感情がわずかに漏れ出ているのを、そんな些細な仕草から感じ取ったが、何より和彦が気になったのは、いつから賢吾がスマートフォンを使うようになったのかということだった。
 鋭い男の察しはよく、スマートフォンを軽く振って見せてくる。
「いい加減切り替えろと、周りがうるせーからな。ついでに、お前の携帯もスマホにして、番号も変更したぞ」
 何かあるたびに簡単に携帯電話を替えていたので、スマートフォンにしたと告げられても不服はなかった。強いて言うなら機種は自分で選びたかったが。
「佐伯家から、お前の着替えなんかと一緒に携帯も戻ってきたから、データを移しておいた。登録してあった連絡先の中から、何件かはこちらで先に新しい番号を知らせてある。あとは、落ち着いてからお前自身が連絡すればいい」
 もともと長嶺組が手配した携帯電話のため、プライバシーも何もあったものではないのだが、この賢吾の言葉を聞いた和彦の中で、元の世界に戻ってきたのだと妙な実感が伴ってくる。見られて困るような電話やメールのやり取りはしていないが、賢吾が選んだ『何件』が誰なのかは気になるところだ。
 さらに賢吾は続けた。
「鷹津には、秦経由で新しい番号を伝えてやれ。どうせあいつ、今使っている携帯をすぐに解約するだろうからな。……胸糞悪いが、一応あいつには、借りができた。それに――」
 不自然に言葉を切った賢吾は、何か思案するようにあごを撫で、唇を歪めた。
「蛇蝎の片割れは、とことん食えない野郎だ……」
 どういう意味かと問おうとしたが、その前に組員が賢吾に声をかけ、スマートフォンを差し出した。画面にちらりと視線をやった賢吾は、軽く手を振ってこう応じた。
「明日だ、明日。何を言われたって、今日はもう身動きが取れねー。適当に誤魔化しておけ」
 大きく息を吐き出した賢吾を見つめていると、ふいにゾッとするような流し目を寄越される。心の内を暴かれそうな危惧を覚え、咄嗟に和彦は視線を伏せる。
「――迎えに来るのが遅くなって、怒っているか?」
 思いがけないことを言われて、一拍置いてから慌てて和彦は首を横に振ったが、果たして反応として正しかったのだろうかと、すぐに後悔することになる。賢吾の両目に険が宿ったからだ。
「俺は、できることなら、すぐにでも迎えに行きたかった。厄介な交渉や約束なんて放り出してな。……そうか。お前は怒ってないのか」
 弁解したかったが、そのための言葉を自分は持っていないと、和彦は知っている。いつでも賢吾に連絡できる状況でありながら、結局自分からすることはなかった。ただ、待っていたのだ。
 呆れられて、見捨てられるのか。ふっとそんなことが脳裏を過り、途端に狂ったように鼓動が速くなる。
「俺たちのオヤジは、立場上、膝をつき合わせて話すのは容易じゃない。何より、お前のオヤジが嫌がった。おかげで、比較的身軽な俺が。四十半ばにもなって使い走りさせられた。総和会本部に顔を出してオヤジと話し、細かい注文を受けて人目につかない場所を設定してはお前のオヤジと会い、折衝。俺を含めて、面子に泥を塗られるのも、意見を曲げるのも嫌がる男たちだ。これだけの時間がかかっちまった。……少しばかり言い訳させてくれ」
 賢吾の声音は苦々しげで、横顔にはわずかな疲労の色も浮かんでいる。和彦も体験しているからこそわかるが、ここまでの車の移動には長時間かかる。しかも賢吾の場合は、組の仕事をこなしてからの移動であろうから、負担がないはずがなかった。
「詰めの段階になって、総和会は花見会の準備に入っててんやわんやだ。その合間を縫って、ようやく話をまとめて、お前のオヤジに報告した。そして昨夜遅く、鷹津から電話がかかってきた。迎えにくるなら、和彦を返してやってもいい、ってな」
 賢吾は何やら毒づいたが、あまりに小声だったためはっきりとは聞こえなかった。
 自分の知らないところで、賢吾と鷹津がこんなやり取りを交わしていたと知り、和彦はログハウスでの自分の生活を思い返す。大部分の問題を見て見ないふりをして、のんびりと過ごしていたのだ。その間、自分のために奔走していた男たちがいた。一人は、今隣に座っており――。
 和彦は、膝にかけたダウンコートを握り締める。
「お前は、自分が悪いなんて思うなよ。あえて言うなら、巡り合わせが悪かった。軽く聞かされた程度だが、俺たちのオヤジには古い因縁があって、今になって家同士の思惑も重なった。お前の周囲にいるのは、性質の悪いヤクザだらけだ。状況を見きわめるために、安全な場所に身を隠すのは仕方ない。……一番悪いのは、俺の不甲斐なさだろうな。古狐どもに振り回されてばかりだ」
 最後の呟きはため息交じりだった。賢吾の様子に、和彦はなんと声をかければいいかわからず、ただうろたえる。すると、伏せがちだった視線をスッと上げた賢吾が、まっすぐこちらを見据えてくる。心の奥底まで浚おうとするかのような、無遠慮で傲慢な眼差しだ。
「だから最後に、俺がエゴを剥き出しにした。和彦のことは絶対、長嶺の本宅で面倒を見ると。和彦も絶対にそれを望むはずだと。古狐それぞれに、そう突き付けて、無理やり承諾させた」
 そのときの光景を思い出したのか、賢吾はふっと唇の端に笑みを浮かべる。
「どうするよ。総和会会長と、大物官僚様にケンカを売っちまったぞ。……いや、いままでも、けっこうなことをやってたな。俺は」
 ここまで話してから賢吾は何か気に障ったのか、眉をひそめた。
「――口が利けなくなったのか? 車に乗ってから黙り込んだまま、俺一人が話してる」
 それとも、と賢吾の声が凄みを帯びる。
「俺とはもう、話もしたくはないか」
「違、う……」
「どう違う」
 身を乗り出してきた賢吾の放つ圧に、息苦しさを感じる。返答次第では首をへし折ると言わんばかりの獰猛な眼差しに、和彦は改めて、賢吾を怖いと思う。だが一方で、大蛇の化身のような男が見せる激情の一片に、静かな歓喜も芽生えるのだ。
「……久しぶりに、側であんたの声を聞いたから、つい聞き入ってた……」
 不自然な静寂が車内に流れたあと、賢吾が片手で自分の顔を覆い、大きく息を吐き出した。一瞬にして圧はなくなる。
「コーヒーでも飲むか? あと、簡単に食えるものも。こちらの都合があって、今日は一般道を走るから、長丁場になる。コンビニに寄るから、必要なものは買っておけ」
 和彦は反射的に、前後を走る車に視線を向ける。意識しないまま苦笑いを浮かべていた。
「見た人に、何事かと思われるかな」
 車はともかく、乗っているのは堅気とは言いがたい空気を放つ男たちだ。長距離移動だということを差し引いても、今日の護衛はさすがに大仰ではないかと感じる。その理由を賢吾が教えてくれた。
「一台は、総和会から出ている車だ。お前を迎えに行くことを報告したら、すかさず、連中を送りつけてきやがった。今度は俺が、お前をどこかに匿うんじゃないかと警戒している――という、露骨な当て擦りだ。せっかくだから、何かあったときは弾除けぐらいには使ってやる」
「何か、ありそうなのか?」
 ない、と賢吾が断言したので、ひとまず安堵しておく。

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