血と束縛と

北川とも

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第46話

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 両手に荷物を提げ持った和彦を見るなり、イスに腰掛けた鷹津はふっと笑みをこぼした。
 スーパーの一角にある自販機が置かれた休憩所で、壁際のテーブルについた鷹津の前には、空の紙コップと新聞紙があった。和彦を待っている間、よほど暇だったらしい。ここぞとばかりに本を買い込んできた和彦は、さりげなく書店の紙袋を後ろ手に隠すが、それに気づかない鷹津ではない。
「お前に本を頼まれるたびに、正直頭を痛めてたんだ。――欲しい本は買えたか?」
「……ああ。これでしばらくは大丈夫」
「そりゃよかった」
 ドラッグストアでも必要なものは買えたので、和彦は非常に満足している。鷹津はのっそりと立ち上がると、テーブルの上を片付ける。スーパーで野菜とアルコール類を買っておきたいというので、和彦もつき合う。
 そのあと、待ちかねていた温泉へと向かう。
「昼間から温泉に入るなんて、贅沢だ……」
 山間にあるという温泉に向かうため、ちょっとしたドライブとなる。車にカーナビはついていないのだが、鷹津の運転に迷いはない。やはりこの土地に馴染み深いようだ。登山をしていた頃、この近くの山にもよく登っていたと話してくれたことはあるが、誰と、いつ頃のことなのか、そこまでは聞けなかったのだ。
 鷹津の過去にどこまで踏み込んでいいのか、和彦はいまだ測りかねている。知らなくてもいいことなのだろうが、こちらの家庭事情のほとんどを把握されていることを思うと、なんとなく不公平ではないかと和彦は感じる。
 カーラジオからは天気予報が流れている。明日から天候が荒れ、雪が数日続く見込みだという予報に、鷹津が小さく舌打ちをする。和彦はのんびりとしたもので、日課となったジョギングができない間は、ログハウス周辺の雪かきをして体を動かそうかと、ぼんやりと考えていた。すると唐突に鷹津に問われた。
「――帰りにケーキでも買って帰るか?」
「どうして」
 数瞬、鷹津が言い淀む。
「……やっぱりいい。今の提案は忘れろ」
 そんな言い方をされると、かえって気になる。和彦がじっと視線を向け続けると、渋々、鷹津は口を開いた。
「たぶん、お前の誕生日当日は、雪で身動きが取れないぞ。……何も誕生祝いを用意してやれないから、せめてケーキぐらいはと思っただけだ」
 自分の誕生日が近いことをやっと思い出した和彦は、目を丸くする。気づかせてくれたのが鷹津だというのが意外すぎて、すぐには言葉が出ない。その間にもどんどん顔が熱くなっていくのは、車内の暖房が効きすぎているせいではないはずだ。
「……けっこうロマンティストというか、記念日とか覚えているタイプなんだな。ぼくよりマメかも」
 揶揄ったわけではなく、心底そう思って和彦が呟くと、鷹津は大きな舌打ちをする。
「言うんじゃなかった」
「そう言うなよ。覚えててもらって、嬉しい。……そうか、ぼくの誕生日か……」
 これまでにない感慨を覚えるのは、自らの生い立ちのすべてを知ったからだろう。そして傍らにたった一人いてくれるのが、事情を知っている鷹津だというのは、素直に感謝するしかなかった。
 和彦は小さく笑い声を洩らす。
「思い出した。去年の誕生日も、あんたと一緒だったな。ぼくが誕生日だと言ったときの、あんたの顔っ……」
 一人思い出し笑いをする和彦を、鷹津は忌々しげに横目で一瞥してきたが、すぐに口元を緩めた。
「そうか、二年連続か。だったら、来年も狙うか。――お前の誕生日を」
 和彦は曖昧な返事しかできなかった。今、こうして鷹津と一緒にいるなど、少し前なら想像もできなかったのだ。今後も何が起こっていても不思議ではなく、安易な約束はできない身だ。鷹津も、それは十分わかっている。
「……ケーキはわざわざ買わなくていいよ。子供じゃないんだし」
「そうか」
「その代わり、当日はちょっと手の込んだ料理を作ろう。たまたまだけど、新しい料理本を買っておいたんだ」
 主に動くことになるのは鷹津になるだろうが、それぐらいは甘えさせてもらっても許されるはずだ。鷹津も察するものがあったのか、温泉帰りにスーパーに引き返して、もう少し食材を買い込んでおくかと話す。
 そうしているうちに、狭い脇道へと車が進入する。こんなところに本当に温泉があるのかと、やや和彦は不安になってくる。しかし、それは杞憂に終わった。
 車が数分ほど走ったところで、道が急に広くなり、景色が開ける。収穫を終えたあとの畑を横目になだらかなカーブを曲がると、道が二手に分かれる。片方の道には看板が出ており、ようやく目的地に着いたようだ。
 平日の昼前だが、駐車場のスペースは半分ほど埋まっていた。こぢんまりとした銭湯のようなものを想像していた和彦だが、目の前に建っているのは、高級旅館と見紛うような立派な建物だ。
「町営、って言ってたよな……」
 鷹津にとっても予想外だったのか、あごを一撫でして呟いた。
「ずいぶん立派になったな。俺が通ってた頃は、古い掘っ建て小屋みたいなところだったのに」
「……いつのことだ?」
「俺が純朴な新人警官だった頃」
 へー、と和彦は素っ気ない返事をしたものの、実は好奇心が疼いていた。一度ぐらい、鷹津の制服警官姿を見てみたかったと思うのだが、どうせこの男のことなので、写真すら残していないだろう。
「まあ、きれいなのに越したことはないな。メシも食えるみたいだから、ちょうどいい。風呂に入ってから、昼メシもここで済ませようぜ」
 自動ドアを通ろうとしたとき、中から出てこようする人影が見え、反射的に道を譲る。出てきたスーツ姿の男性二人組にドキリとした。和彦が目を奪われたのは、片方の男性が羽織っているいかにも仕立てのいいコートだった。強い風によって裾がはためき、それを男性がスマートな動作で直しながら、こちらに軽く頭を下げて通り過ぎる。湯に浸かってきたようには見えず、この施設には仕事で出入りしているのかもしれない。
 和彦はちらりと振り返り、風で翻るコートの裾を目で追う。さきほどの男性の一連の動作に、ふっと賢吾の姿が重なっていた。よく外に連れ回され、そのたびに賢吾のコート姿を目にしており、しっかり目に焼き付いているのだ。
 置き去りにしてきた〈あれこれ〉を同時に思い出し、見えない手となって足を掴まれそうになる。
「おい」
 鷹津に呼ばれて手招きされる。踏み出した足を妨げるものはなく、和彦は小さく安堵の息を吐き出した。


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