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第44話
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『どんな不祥事を起こそうが、悪さをしようが、親は簡単に子を見捨てない――と綺麗事を言うのは、お前に失礼だな。少なくとも、佐伯俊哉には思惑があってのことだ。そこに、俺のオヤジも噛んでる。気が張って仕方ないだろうが、踏ん張れよ』
ふっと沈黙が訪れる。和彦はベッドに腰掛けると、何を話そうかと言葉を模索する。俊哉の様子を伝えておくほうがいいのだろうか。長嶺組や総和会で変わったことはないかと聞くべきだろうか。あれこれ頭に浮かぶのだが、口には出せない。
結局、ぽろりと洩らしたのはこんなことだった。
「――……早く、戻りたい。そっちに」
『心置きなく戻れるように、用事を済ませてこい。待ってるから』
賢吾の声音が一際優しさを増す。
「……今、あんた一人なのか」
『どうしてだ?』
「子供を甘やかすような声を出してるから、誰か聞いていたらびっくりするんじゃないかと心配になった」
『別に、聞かれてもかまわねーがな。俺が甘いのは、お前にだけだって、みんな知ってる』
ヌケヌケと、と思いつつも、表情が緩んでしまう。
「千尋はどうしてる?」
『ようやく自分の部屋に戻った。ずっとお前の心配をしてたみたいだぞ。本当に戻ってきてくれるのか、ってな』
「あいつらしい。……年越しの準備は進んでいるか?」
『いつも通りだ。去年は、お前がいたおかげで華やいで、楽しかったのにな』
今朝、三田村を見かけたことは言わなかった。賢吾は把握しているのかもしれないが、自分と三田村の秘密にしておきたかった。
実家に滞在している間に、賢吾への隠し事はいくつ増えるのだろうか――。
和彦はこの瞬間、自分がとてつもなくしたたかでふてぶてしい、〈悪いオンナ〉に変化した気がして、ゾッとする。こんな変化を、和彦は望んでいない。
『さすがにお前でも、今日は疲れただろうから、早く休め』
「……まだそんな時間じゃない」
『俺と話し続けると、興奮して眠れなくなるぞ』
艶のある笑い声に鼓膜を震わされ、甘い疼きが生まれる。
わかったと答えて電話を切ろうとしたところで、最後に賢吾から忠告された。
『――どうしてもダメだと思った瞬間が来たら、迷わず逃げろ』
「それは……」
どういう意味かと尋ねようとしたときには、向こうから電話を切られた。
明日確認すればいいかと、和彦は携帯電話を置く。まだ頬が熱かった。
休む前にミネラルウォーターのボトルを持ってこようかと立ち上がったとき、カーテンを閉めた窓の向こうが急に明るくなった。外を見てみると、家の前に車が停まっているようだった。
窓を開けた途端、冷たい風が吹きつけてきて身を竦める。それでも和彦はバルコニーに出て、様子をうかがう。すると、タクシーらしき車が走り去ったあと、門扉を開ける音がした。階段を上がってきたのは英俊だった。
年末休みに入ったとはいえ、多忙なようだ。顔を伏せ、心なしか肩を落とし気味の英俊の姿を二階からじっと眺める。日中の俊哉との会話もあって、複雑な感情が和彦の中で渦巻いていた。
前触れもなく英俊が顔を上げ、なぜかまっすぐ和彦の部屋を見た。反射的に和彦は部屋に逃げ込み、窓を閉める。
里見と一緒だったのだろうかと、即座に想像してしまった自分に、激しく動揺していた。
ふっと沈黙が訪れる。和彦はベッドに腰掛けると、何を話そうかと言葉を模索する。俊哉の様子を伝えておくほうがいいのだろうか。長嶺組や総和会で変わったことはないかと聞くべきだろうか。あれこれ頭に浮かぶのだが、口には出せない。
結局、ぽろりと洩らしたのはこんなことだった。
「――……早く、戻りたい。そっちに」
『心置きなく戻れるように、用事を済ませてこい。待ってるから』
賢吾の声音が一際優しさを増す。
「……今、あんた一人なのか」
『どうしてだ?』
「子供を甘やかすような声を出してるから、誰か聞いていたらびっくりするんじゃないかと心配になった」
『別に、聞かれてもかまわねーがな。俺が甘いのは、お前にだけだって、みんな知ってる』
ヌケヌケと、と思いつつも、表情が緩んでしまう。
「千尋はどうしてる?」
『ようやく自分の部屋に戻った。ずっとお前の心配をしてたみたいだぞ。本当に戻ってきてくれるのか、ってな』
「あいつらしい。……年越しの準備は進んでいるか?」
『いつも通りだ。去年は、お前がいたおかげで華やいで、楽しかったのにな』
今朝、三田村を見かけたことは言わなかった。賢吾は把握しているのかもしれないが、自分と三田村の秘密にしておきたかった。
実家に滞在している間に、賢吾への隠し事はいくつ増えるのだろうか――。
和彦はこの瞬間、自分がとてつもなくしたたかでふてぶてしい、〈悪いオンナ〉に変化した気がして、ゾッとする。こんな変化を、和彦は望んでいない。
『さすがにお前でも、今日は疲れただろうから、早く休め』
「……まだそんな時間じゃない」
『俺と話し続けると、興奮して眠れなくなるぞ』
艶のある笑い声に鼓膜を震わされ、甘い疼きが生まれる。
わかったと答えて電話を切ろうとしたところで、最後に賢吾から忠告された。
『――どうしてもダメだと思った瞬間が来たら、迷わず逃げろ』
「それは……」
どういう意味かと尋ねようとしたときには、向こうから電話を切られた。
明日確認すればいいかと、和彦は携帯電話を置く。まだ頬が熱かった。
休む前にミネラルウォーターのボトルを持ってこようかと立ち上がったとき、カーテンを閉めた窓の向こうが急に明るくなった。外を見てみると、家の前に車が停まっているようだった。
窓を開けた途端、冷たい風が吹きつけてきて身を竦める。それでも和彦はバルコニーに出て、様子をうかがう。すると、タクシーらしき車が走り去ったあと、門扉を開ける音がした。階段を上がってきたのは英俊だった。
年末休みに入ったとはいえ、多忙なようだ。顔を伏せ、心なしか肩を落とし気味の英俊の姿を二階からじっと眺める。日中の俊哉との会話もあって、複雑な感情が和彦の中で渦巻いていた。
前触れもなく英俊が顔を上げ、なぜかまっすぐ和彦の部屋を見た。反射的に和彦は部屋に逃げ込み、窓を閉める。
里見と一緒だったのだろうかと、即座に想像してしまった自分に、激しく動揺していた。
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