血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,110 / 1,268
第43話

(13)

しおりを挟む
「――……何を設置したんですか?」
「電気柵。見たことなくても、言葉から想像はできるだろう。張った電線に電気が通ってる。本来は獣を驚かせて追い払うものだが、ちょっと弄って、人間が怪我するレベルの電圧にしてあるから、迂闊に近づくなよ、先生」
 脅しだと疑うには、目の前にいる男はあまりに物騒だ。ただ皮肉なことに、そんな男の話を聞いていくうちに、和彦が把握しているある一つの情報が、今のこの状況と結びついていく。
 情報とは、一週間ほど前に中嶋からもたらされたものだ。南郷が隊員たちに行き先も告げず、何日か姿を見せていないと聞かされたとき、和彦は必然的に、守光から指示を受けて動いているのだろうと思った。それがまさか、自分に関わるものだとまでは、思い至らなかったが。
「今はここに、余計なものは近づけたくないし、騒ぎを起こしたくない。そのための準備だ。……久しぶりに泥に塗れる仕事をして、なかなか楽しかった」
「そう、ですか……」
 応じた和彦の声は微かに震えを帯びていた。それを南郷に知られまいと、低く抑えた口調で続ける。
「寒いので、中に戻ります」
 足早に南郷の傍らを通り過ぎようとして、腕を掴まれた。和彦は咄嗟に怯えた表情を向け、南郷は意味ありげに目を眇める。
 数十秒もの間、どちらも身じろぎをせず、言葉すら発しなかった。異様な空気に和彦は瞬く間に呑まれてしまったのだが、南郷のほうは相変わらず何を考えているのかうかがわせない。
 寒さで歯が鳴る。それを恥ずかしいと思う余裕すら、もう和彦にはなかった。
「……南郷さん、離してください」
「あんたを追い立てている獣は、誰だ?」
「えっ」
「俺か、オヤジさんか。佐伯家の人間か、里見という男か。それとも、長嶺組長か」
「何を、言って……」
 和彦は腕を引こうとするが、ダウンジャケットの上からがっちりと南郷の指が食い込んでいる。
「追い立てられるあんたは、実にいい。弱々しく青ざめて、それでも精一杯に気丈に振る舞って、持って生まれた品性ってものがよく出てる。あんたの弱さは、なぜだか無様には映らない。それどころか――」
 南郷の大きな体がずいっと迫ってくる。その勢いに圧されてよろめいた和彦だが、倒れ込んだりはしなかった。南郷のもう片方の手が、無造作に首の後ろにかかったからだ。動けなくなった和彦を、南郷はせせら笑った。
「あんたを捕まえるのは容易いな」
 ダメだと頭ではわかっていながら、屈辱に耐え切れず鋭い視線を向ける。南郷を刺激するのは、それで十分だった。
「――……あんたにその顔をさせたくて、俺は意地悪をしたくなるんだ。だから俺は悪くない」
 身勝手な自分の言い分がおもしろいのか、低く笑い声を洩らしながら南郷が顔を寄せてきた。
 獲物をいたぶる暗い愉悦を湛えた目を間近に見てしまい、射竦められた和彦は瞬きもできない。喰われる、と思ったとき、熱い舌にベロリと唇を舐められた。何が起こったか悟る前に総毛立ち、短く声を発する。それが悲鳴となる前に、南郷に強引に唇を塞がれた。
 いきなり痛いほどきつく唇を吸われながら、掴まれた首に太い指が食い込む。首の骨をへし折られるのではないかという怯えが、嫌悪感を上回った。
 熱っぽく何度も吸われているうちに、引き結んでいた唇が緩んでくる。強靭な歯で上唇と下唇を交互に甘噛みされ、さらに舌を口腔に押し込まれそうになる。ここで我に返った和彦が必死に身を捩ろうとすると、おもしろがるように南郷に言われた。
「いまさら嫌がることもないだろ、先生。もう慣れたんじゃないか。俺とのキスに」
「ふざけないでくださいっ……。あなたがここにいるんなら、ぼくは帰ります」
 ふん、と鼻を鳴らした南郷が、残酷な笑みを口元に湛える。
「なら、部屋で続きを――」
「違います。タクシーを呼んで、自宅に帰るんです」
「自分で無茶を言っているとわかっているだろ、先生。この道路状況でタクシーは来てくれないし、今何時だと思ってる。そもそも、どうやってタクシーを呼ぶ?」
「……歩いて、近くの人家まで……」
「だったら、タクシーを呼ぶより、長嶺組長に助けを求めたほうが早いな」
 それはできない、と即座に心の中で答える。長嶺組の護衛を出し抜く形で、総和会本部に出向く計画を立てたのは、賢吾が知る前に話をしたかったからだ。しかしその計画は大きく狂い、和彦はこうして別荘に連れてこられた。結果として、守光とゆっくり話せる状況にはなれたが、賢吾に多大な心配をかけるのは本意ではなかった。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

a pair of fate

みか
BL
『運命の番』そんなのおとぎ話の中にしか存在しないと思っていた。 ・オメガバース ・893若頭×高校生 ・特殊設定有

いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう
BL
 オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。  世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。  バランサー。  アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。  これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。  裏社会のトップにして最強のアルファ攻め  ×  最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け ※オメガバース特殊設定、追加性別有り .

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

迷子の僕の異世界生活

クローナ
BL
高校を卒業と同時に長年暮らした養護施設を出て働き始めて半年。18歳の桜木冬夜は休日に買い物に出たはずなのに突然異世界へ迷い込んでしまった。 通りかかった子供に助けられついていった先は人手不足の宿屋で、衣食住を求め臨時で働く事になった。 その宿屋で出逢ったのは冒険者のクラウス。 冒険者を辞めて騎士に復帰すると言うクラウスに誘われ仕事を求め一緒に王都へ向かい今度は馴染み深い孤児院で働く事に。 神様からの啓示もなく、なぜ自分が迷い込んだのか理由もわからないまま周りの人に助けられながら異世界で幸せになるお話です。 2022,04,02 第二部を始めることに加え読みやすくなればと第一部に章を追加しました。

処理中です...