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第43話
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そう言って守光が、男たちを引き連れるようにして一階の奥へと向かい、和彦は案内されるまま二階へと上がる。偶然なのか、通されたのは、これまで使ってきたのと同じ部屋だった。
こちらもすでに暖められ、ベッドも整えられている。さらに、布団の上には畳まれたスウェットの上下と、デパートの袋が置いてあった。テーブルの上にはミネラルウォーターのボトルとグラス、菓子が盛られた器が。
室内を確認していて、扉が開いたままのクローゼットが目に留まる。数着の服が吊るされており、どれも新品のようだ。部屋のものは自由に使ってくださいと言われており、つまりこれは和彦のために用意された着替えということだ。
ダウンジャケットを手に取ったところで、ハッとして慌ててベッドに戻り、デパートの袋の中を覗く。思ったとおり、新品の下着が入っていた。
全身の血が沸騰しそうだった。体を駆け巡る激情が一体なんなのか、和彦自身もよくわからないが、とにかく必死に押し殺し、荒く息を吐き出す。
痒いところに手が届きそうな準備のよさは、今日思い立ってできるものではない。お前は罠にかかった獲物なのだと、暗に仄めかされているようだ。
悄然と立ち尽くしていたが、ふいに貧血のような症状に襲われて、ベッドに腰掛ける。自分の置かれた状況に、いまだに脳の処理が追い付かない。頭の芯が熱を帯び、考えることを放棄したがっている。
ふと、部屋まで案内してくれた男がまだ去っていないことに気づく。和彦が顔を上げると、待ち構えていたように、入浴を勧められた。簡単な食事もすぐに準備できると言われたが、さすがにそれは遠慮しておく。
座り込んでいても仕方ないと、和彦は用意された着替えを抱えて立ち上がった。
日付が変わってからも、ベッドに入る気にはなれなかった。
仕事を終えたあとの長距離移動で、肉体的にはくたくたではあるのだが、気持ちは高ぶったままで、眠気はやってこない。
意味もなく室内を歩き回ったあと、部屋の隅に置いたアタッシェケースの存在を思い出す。和彦が入浴に行っている間に部屋に運び込まれていたのだ。
何げなく開けてみて、愕然とする。中に入れてあった携帯電話が二台ともなくなっていた。
外部と連絡を取らせまいとする総和会の意図であることは、さすがにすぐに察した。
動揺した和彦だが、取り乱すまでには至らない。ある程度、覚悟はしていたからだ。返してほしいと訴えたところで無駄だと悟ってしまうと、切り替えるしかない。
和彦は、読みかけの文庫本を取り出す。部屋にテレビは備え付けられているが、つける気にはなれなかった。だからといって、のんびり読書をする気にも――。
和彦はため息をつくと、結局、文庫本をアタッシェケースに戻していた。
自分の行動がちぐはぐに感じ、それどころか、手足を動かすのもぎくしゃくしてしまう。まるで、自分の体ではないように。こんなことになるなら、アタッシェケースに安定剤も入れておけばよかったと後悔していた。
カーテンの隙間から窓の外を一瞥して、寒そうだと思いながらも、バルコニーに出ていた。一気に吹き付けてくる冷たい風に息を詰めながら、目を凝らす。今夜は月はおろか、星すら見えない。建物の周囲を照らしていた照明もすでに落とされ、敷地の外の様子はまったく見えない。ただ、一階のダイニングやキッチンはまだ電気がついているらしく、そこから漏れた明かりが、ぼんやりと庭を照らしていた。
「ああ……」
肩を震わせながら、じっと庭を見下ろしていた和彦は小さく声を洩らす。庭全体がうっすらと積もった雪で覆われて、ある種の風情を帯びている。植えられた樹木も白く薄いベールを被ったような姿となっており、和彦は手すりにもたれかかって見入ってしまう。
賢吾や千尋とここに宿泊したとき、二人の相手で気忙しくて、冬の庭をじっくりと見る余裕はなかった。初夏の庭は目に眩しいほどの生気に溢れていたが、今の精神状態では、どうしてもこの物寂しげな光景に心惹かれる。
雪が降ってから誰も庭に足を踏み入れていないのか、足跡一つ残されていない。
あの中に入ってみたいなと、魔が差したように和彦は思う。気詰まりを感じる別荘内の空気から、少しだけ解放されたいという、都合のいい言い訳かもしれない。なんにしても、自発的に何かしたいという気持ちになれたことは確かだ。
ふらりと部屋に戻ると、総和会の気遣いの証であるクローゼットの中のダウンジャケットを取り出す。抵抗はあったが、さすがに通勤用のコートは心もとない。
こちらもすでに暖められ、ベッドも整えられている。さらに、布団の上には畳まれたスウェットの上下と、デパートの袋が置いてあった。テーブルの上にはミネラルウォーターのボトルとグラス、菓子が盛られた器が。
室内を確認していて、扉が開いたままのクローゼットが目に留まる。数着の服が吊るされており、どれも新品のようだ。部屋のものは自由に使ってくださいと言われており、つまりこれは和彦のために用意された着替えということだ。
ダウンジャケットを手に取ったところで、ハッとして慌ててベッドに戻り、デパートの袋の中を覗く。思ったとおり、新品の下着が入っていた。
全身の血が沸騰しそうだった。体を駆け巡る激情が一体なんなのか、和彦自身もよくわからないが、とにかく必死に押し殺し、荒く息を吐き出す。
痒いところに手が届きそうな準備のよさは、今日思い立ってできるものではない。お前は罠にかかった獲物なのだと、暗に仄めかされているようだ。
悄然と立ち尽くしていたが、ふいに貧血のような症状に襲われて、ベッドに腰掛ける。自分の置かれた状況に、いまだに脳の処理が追い付かない。頭の芯が熱を帯び、考えることを放棄したがっている。
ふと、部屋まで案内してくれた男がまだ去っていないことに気づく。和彦が顔を上げると、待ち構えていたように、入浴を勧められた。簡単な食事もすぐに準備できると言われたが、さすがにそれは遠慮しておく。
座り込んでいても仕方ないと、和彦は用意された着替えを抱えて立ち上がった。
日付が変わってからも、ベッドに入る気にはなれなかった。
仕事を終えたあとの長距離移動で、肉体的にはくたくたではあるのだが、気持ちは高ぶったままで、眠気はやってこない。
意味もなく室内を歩き回ったあと、部屋の隅に置いたアタッシェケースの存在を思い出す。和彦が入浴に行っている間に部屋に運び込まれていたのだ。
何げなく開けてみて、愕然とする。中に入れてあった携帯電話が二台ともなくなっていた。
外部と連絡を取らせまいとする総和会の意図であることは、さすがにすぐに察した。
動揺した和彦だが、取り乱すまでには至らない。ある程度、覚悟はしていたからだ。返してほしいと訴えたところで無駄だと悟ってしまうと、切り替えるしかない。
和彦は、読みかけの文庫本を取り出す。部屋にテレビは備え付けられているが、つける気にはなれなかった。だからといって、のんびり読書をする気にも――。
和彦はため息をつくと、結局、文庫本をアタッシェケースに戻していた。
自分の行動がちぐはぐに感じ、それどころか、手足を動かすのもぎくしゃくしてしまう。まるで、自分の体ではないように。こんなことになるなら、アタッシェケースに安定剤も入れておけばよかったと後悔していた。
カーテンの隙間から窓の外を一瞥して、寒そうだと思いながらも、バルコニーに出ていた。一気に吹き付けてくる冷たい風に息を詰めながら、目を凝らす。今夜は月はおろか、星すら見えない。建物の周囲を照らしていた照明もすでに落とされ、敷地の外の様子はまったく見えない。ただ、一階のダイニングやキッチンはまだ電気がついているらしく、そこから漏れた明かりが、ぼんやりと庭を照らしていた。
「ああ……」
肩を震わせながら、じっと庭を見下ろしていた和彦は小さく声を洩らす。庭全体がうっすらと積もった雪で覆われて、ある種の風情を帯びている。植えられた樹木も白く薄いベールを被ったような姿となっており、和彦は手すりにもたれかかって見入ってしまう。
賢吾や千尋とここに宿泊したとき、二人の相手で気忙しくて、冬の庭をじっくりと見る余裕はなかった。初夏の庭は目に眩しいほどの生気に溢れていたが、今の精神状態では、どうしてもこの物寂しげな光景に心惹かれる。
雪が降ってから誰も庭に足を踏み入れていないのか、足跡一つ残されていない。
あの中に入ってみたいなと、魔が差したように和彦は思う。気詰まりを感じる別荘内の空気から、少しだけ解放されたいという、都合のいい言い訳かもしれない。なんにしても、自発的に何かしたいという気持ちになれたことは確かだ。
ふらりと部屋に戻ると、総和会の気遣いの証であるクローゼットの中のダウンジャケットを取り出す。抵抗はあったが、さすがに通勤用のコートは心もとない。
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