1,050 / 1,262
第41話
(24)
しおりを挟む
「……南郷さんは、違いますよね」
「聞きようによっては、なかなか自惚れの強い言葉だな、先生。身近にいる男たちのほとんどが、自分に骨抜きになっていると自覚していないと出ない言葉だ」
「どうせぼくは、したたかで性悪ですから」
一瞬の間を置いて、南郷が快活な笑い声を上げる。こんな笑い方もできる男なのかと、和彦は驚嘆する。ずっと張り詰めていた空気がふっと緩むが、それもわずかな間だった。
なんの説明もないまま、車がコンビニの駐車場へと入る。
和彦は小さく声を洩らす。昨夜も立ち寄った場所だった。車を停めた南郷は肩越しにこちらを一瞥したあと、一人車を降りる。すると、待機していたらしい男たちが駆け寄ってきて、南郷に向けて深々と頭を下げた。第二遊撃隊の隊員だ。
和彦はウィンドーに顔を寄せて外の様子をうかがいながら、やっと状況を理解する。昨夜は、ここで隊員たちと別れて南郷と二人きりとなったが、今度は合流するのだ。
案の定、南郷は隊員の一人を伴って車に戻ってくる。ただし、南郷が乗り込んだのは助手席だった。
その理由を、車が再び走り出してから南郷が口にする。
「これから長嶺の本宅に向かうのに、俺が堂々と、あんたの隣に座っているわけにはいかないだろう。さすがに、自分の立場はわきまえている」
皮肉っぽい南郷の言葉を聞いて、和彦はそっと背後を振り返る。やはり護衛の車がついてきていた。しかも、二台。護衛にしては仰々しすぎると感じた次の瞬間、和彦は慌てて正面に向き直り、南郷の後ろ姿を凝視する。
まさかと思いつつも、己の持つ力を賢吾に対して誇示しようとしているのではないかと、ふと気になった。
和彦は、自分の格好を見下ろす。羽織ったコートの下は、南郷が着るために買っていたスウェットの上下だ。明らかにサイズの合っていない服を着た和彦を見て、賢吾が何も感じないはずはない。
自分の迂闊さをひたすら心の内で罵っているうちに、車は見慣れた住宅街へと入って行く。
心臓の鼓動が少しずつ速くなってくる。和彦は無意識のうちに詰めていた息をそっと吐き出し、おそるおそる前方をうかがう。本宅の建物が見えてきたところで、ふいに南郷が声を洩らした。
「驚いたな……」
本宅の前には数人の人影が立っていた。事前に連絡を受けた長嶺組の組員が、和彦を出迎えるために待っているのだろうと思ったが、すぐに、南郷が洩らした言葉の意味を理解する。
車が静かに停まる。南郷は素早く車を降りると、後部座席のドアを開けた。一斉に自分に向けられる男たちの視線を意識しながら、和彦はぎこちなくシートベルトを外す。車を降りると、目の前に賢吾が立っていた。
彫像のように整った顔に浮かぶ冷淡な感情を見て取り、身が竦む。憤怒の表情を向けられたほうがよほど気が楽だった。
このとき咄嗟に和彦が危惧したのは、賢吾が自分に対して呆れ、一切の関心を失ったのではないかということだ。何も言えず、ただ賢吾の顔を見つめてしまう。
スッと賢吾の手が肩にかかり、反射的に後ずさりそうになる。すると、痛いほど強く肩を掴まれ、引き寄せられた。
「おい、先生と荷物を頼む」
賢吾が声をかけると、背後に控えていた組員が一斉に動く。
車から和彦の荷物が運び出され、和彦は組員に促されて賢吾から離れる。早く門扉の中に入るよう言われたが、賢吾の様子が気になって振り返る。
賢吾が、南郷に歩み寄っていた。不穏なものを感じた和彦は足を止め、二人の男の行動を見守る。とてもではないが、声をかけられる雰囲気ではなかった。
賢吾と向き合った途端、直立不動で立っていた南郷が深々と頭を下げる。賢吾が頭を上げるよう声をかけると、従った南郷は今度は、両足の間をわずかに開き、腰の後ろに両手を回す。
次の瞬間、賢吾が拳を振り上げ、南郷の顔を殴りつけた。
肉を打つ鈍い音が和彦の耳にも届く。南郷はよろめきはしたものの、倒れ込むことはなく、賢吾の重い拳を顔で受け止めた。賢吾が力加減をしなかったことは、南郷の鼻から滴り落ちる血が証明している。
賢吾が他人に暴力を振るう光景を、和彦は初めて目にした。狡猾で残忍な大蛇の化身のような男として恐れてはいたが、暴力的な男だと思ったことは一度もない。和彦にそう思われることを忌避していたようですらあるぐらいだ。
その賢吾が、和彦が見ている前で南郷を殴った意味とは――。
「先生っ」
ふらりと二人のほうに歩み寄ろうとして、組員に低い声で制止される。半ば強引に門扉の内側に連れ込まれていた。
閉じた門扉の向こうで一体何が起こっているか気になるが、組員の手を振りほどくほどの力はない。和彦はおとなしく建物の中に入り、客間へと通される。
「聞きようによっては、なかなか自惚れの強い言葉だな、先生。身近にいる男たちのほとんどが、自分に骨抜きになっていると自覚していないと出ない言葉だ」
「どうせぼくは、したたかで性悪ですから」
一瞬の間を置いて、南郷が快活な笑い声を上げる。こんな笑い方もできる男なのかと、和彦は驚嘆する。ずっと張り詰めていた空気がふっと緩むが、それもわずかな間だった。
なんの説明もないまま、車がコンビニの駐車場へと入る。
和彦は小さく声を洩らす。昨夜も立ち寄った場所だった。車を停めた南郷は肩越しにこちらを一瞥したあと、一人車を降りる。すると、待機していたらしい男たちが駆け寄ってきて、南郷に向けて深々と頭を下げた。第二遊撃隊の隊員だ。
和彦はウィンドーに顔を寄せて外の様子をうかがいながら、やっと状況を理解する。昨夜は、ここで隊員たちと別れて南郷と二人きりとなったが、今度は合流するのだ。
案の定、南郷は隊員の一人を伴って車に戻ってくる。ただし、南郷が乗り込んだのは助手席だった。
その理由を、車が再び走り出してから南郷が口にする。
「これから長嶺の本宅に向かうのに、俺が堂々と、あんたの隣に座っているわけにはいかないだろう。さすがに、自分の立場はわきまえている」
皮肉っぽい南郷の言葉を聞いて、和彦はそっと背後を振り返る。やはり護衛の車がついてきていた。しかも、二台。護衛にしては仰々しすぎると感じた次の瞬間、和彦は慌てて正面に向き直り、南郷の後ろ姿を凝視する。
まさかと思いつつも、己の持つ力を賢吾に対して誇示しようとしているのではないかと、ふと気になった。
和彦は、自分の格好を見下ろす。羽織ったコートの下は、南郷が着るために買っていたスウェットの上下だ。明らかにサイズの合っていない服を着た和彦を見て、賢吾が何も感じないはずはない。
自分の迂闊さをひたすら心の内で罵っているうちに、車は見慣れた住宅街へと入って行く。
心臓の鼓動が少しずつ速くなってくる。和彦は無意識のうちに詰めていた息をそっと吐き出し、おそるおそる前方をうかがう。本宅の建物が見えてきたところで、ふいに南郷が声を洩らした。
「驚いたな……」
本宅の前には数人の人影が立っていた。事前に連絡を受けた長嶺組の組員が、和彦を出迎えるために待っているのだろうと思ったが、すぐに、南郷が洩らした言葉の意味を理解する。
車が静かに停まる。南郷は素早く車を降りると、後部座席のドアを開けた。一斉に自分に向けられる男たちの視線を意識しながら、和彦はぎこちなくシートベルトを外す。車を降りると、目の前に賢吾が立っていた。
彫像のように整った顔に浮かぶ冷淡な感情を見て取り、身が竦む。憤怒の表情を向けられたほうがよほど気が楽だった。
このとき咄嗟に和彦が危惧したのは、賢吾が自分に対して呆れ、一切の関心を失ったのではないかということだ。何も言えず、ただ賢吾の顔を見つめてしまう。
スッと賢吾の手が肩にかかり、反射的に後ずさりそうになる。すると、痛いほど強く肩を掴まれ、引き寄せられた。
「おい、先生と荷物を頼む」
賢吾が声をかけると、背後に控えていた組員が一斉に動く。
車から和彦の荷物が運び出され、和彦は組員に促されて賢吾から離れる。早く門扉の中に入るよう言われたが、賢吾の様子が気になって振り返る。
賢吾が、南郷に歩み寄っていた。不穏なものを感じた和彦は足を止め、二人の男の行動を見守る。とてもではないが、声をかけられる雰囲気ではなかった。
賢吾と向き合った途端、直立不動で立っていた南郷が深々と頭を下げる。賢吾が頭を上げるよう声をかけると、従った南郷は今度は、両足の間をわずかに開き、腰の後ろに両手を回す。
次の瞬間、賢吾が拳を振り上げ、南郷の顔を殴りつけた。
肉を打つ鈍い音が和彦の耳にも届く。南郷はよろめきはしたものの、倒れ込むことはなく、賢吾の重い拳を顔で受け止めた。賢吾が力加減をしなかったことは、南郷の鼻から滴り落ちる血が証明している。
賢吾が他人に暴力を振るう光景を、和彦は初めて目にした。狡猾で残忍な大蛇の化身のような男として恐れてはいたが、暴力的な男だと思ったことは一度もない。和彦にそう思われることを忌避していたようですらあるぐらいだ。
その賢吾が、和彦が見ている前で南郷を殴った意味とは――。
「先生っ」
ふらりと二人のほうに歩み寄ろうとして、組員に低い声で制止される。半ば強引に門扉の内側に連れ込まれていた。
閉じた門扉の向こうで一体何が起こっているか気になるが、組員の手を振りほどくほどの力はない。和彦はおとなしく建物の中に入り、客間へと通される。
41
お気に入りに追加
1,335
あなたにおすすめの小説
好きだった幼馴染に出会ったらイケメンドクターだった!?
すず。
恋愛
体調を崩してしまった私
社会人 26歳 佐藤鈴音(すずね)
診察室にいた医師は2つ年上の
幼馴染だった!?
診察室に居た医師(鈴音と幼馴染)
内科医 28歳 桐生慶太(けいた)
※お話に出てくるものは全て空想です
現実世界とは何も関係ないです
※治療法、病気知識ほぼなく書かせて頂きます
35歳からの楽しいホストクラブ
綺沙きさき(きさきさき)
BL
『35歳、職業ホスト。指名はまだ、ありません――』
35歳で会社を辞めさせられた青葉幸助は、学生時代の後輩の紹介でホストクラブで働くことになったが……――。
慣れないホスト業界や若者たちに戸惑いつつも、35歳のおじさんが新米ホストとして奮闘する物語。
・売れっ子ホスト(22)×リストラされた元リーマン(35)
・のんびり平凡総受け
・攻めは俺様ホストやエリート親友、変人コック、オタク王子、溺愛兄など
※本編では性描写はありません。
(総受けのため、番外編のパラレル設定で性描写ありの小話をのせる予定です)
私の主治医さん - 二人と一匹物語 -
鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。
【本編完結】【小話】
※小説家になろうでも公開中※
【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした
仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」
夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。
結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。
それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。
結婚式は、お互いの親戚のみ。
なぜならお互い再婚だから。
そして、結婚式が終わり、新居へ……?
一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?
【運命】に捨てられ捨てたΩ
諦念
BL
「拓海さん、ごめんなさい」
秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。
「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」
秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。
【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。
なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。
右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。
前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。
※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。
縦読みを推奨します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる