血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,049 / 1,267
第41話

(23)

しおりを挟む
 ワイシャツの上から南郷の脇腹に触れさせられた。指先で感じるのは硬い腹筋の感触だが、姿が隠れている百足の蠢きが伝わってくるようで、和彦は顔を強張らせる。
 耳元に顔を寄せた南郷がひそっと囁きかけてきた。
「忘れるなよ、先生。あんたが可愛がった刺青の姿を」
 体が離れてほっと息をつく間もなく、玄関まで連れて行かれる。
 急いでいるというのは本当らしく、コートに袖を通す和彦をその場に置いて、南郷は慌ただしく二階へと駆け上がっていき、すぐに戻ってきた。片手には和彦のスーツが入ったゴミ袋を、もう一方の手には南郷自身のジャケットを掴んでいる。
 車を停めてある庭に出ると、早朝の冷たい空気に和彦は大きく身を震わせる。コートの前を掻き合わせながら、昨夜はよくわからなかった庭の光景を改めて目にする。どの遊具も塗装が剥げているだけではなく、壊れかけてボロボロだ。昨夜は気づかなかったがかつては花壇だったらしいものもあるが、もちろん荒れている。
「――経営者は、この庭でくたばったそうだ」
 車のロックを解除した南郷が、さらりと物騒なことを言う。軽く目を見開いた和彦に対して、南郷は皮肉っぽく唇の端を動かした。
「昨夜は、あんたが気味悪がるだろうから言わなかったんだ。ここで焼身自殺があったってことは。買い手がなかなか見つからないのは、そのせいだ。縁起が悪いからな」
 そんな場所を南郷は隠れ家として使っているのかと、和彦はうすら寒いものを感じた。
 南郷が車を庭の外へと移動させるのを待ってから、和彦は後部座席に乗り込む。入れ替わりに車を降りた南郷は鉄門扉を閉め、鎖を巻きつけていく。その様子を眺めていた和彦は、鉄門扉越しに庭へと視線を遣り、すぐに背ける。
 かつての経営者の話は、あえて和彦の耳に入れなくてもよかったものだ。それでもあえて話したのは――南郷の性癖だとしか思えなかった。和彦がどんな反応を示すか、観察したかったのだろう。
 急速に車内が暖房によって暖められていく中、居心地の悪さを覚えた和彦はシートの上で身じろぐ。その拍子に、ポケットに入れたままの携帯電話の存在を思い出した。
 ポケットに手を突っ込み、携帯電話をそっと指先でまさぐる。本宅に着く前に連絡を入れておくべきなのだろうが、昨夜から勇気は潰えたままで、正直今は、逃げ出したいほど怖かった。
 賢吾に話さなければならないことがありすぎて。
 どうしてこんなことになったのかと自問しながら、和彦はポケットから手を出した。


 昨夜のうちに南郷がコンビニで買っておいたというパンは、二、三口食べるだけで精一杯だった。事前に言われていた通り、道中にあった自販機で缶コーヒーを買ってもらったが、いつもなら甘すぎて持て余しそうな味が疲れ切った体には合っていたのか、あっという間に飲み干してしまった。
 和彦は、ウィンドーの外を流れる景色を眺める。車内は静かで、程よい暖かさもあってスウッと眠気が押し寄せてきて、そのたびに目を擦る。南郷に気を抜いた姿を悟られたくなかったのだが、無駄な足掻きだったらしい。
「先生、眠いなら遠慮なく寝てくれ」
 南郷からかけられた言葉に、パッと手を下ろす。
「いえ……」
「いくら俺でも、車の中であんたを襲ったりしない」
 肩を震わせて笑い南郷の後ろ姿を睨みつけた和彦だが、あることがふと気になり、問いかけずにはいられなかった。
「――……これから長嶺の本宅に行くのに、怖くないんですか?」
「昨夜も似たようなことを聞いてきたな。そういう質問は、あんた自身の臆病さの表れの気がする」
 和彦は一度口ごもったあと、小声で応じる。
「誰だってわかるでしょう。ぼくが臆病なんてことは」
「その臆病さが、愛しくて堪らないんだろうな、長嶺組長は」
「……ぼくは、怖いです。今度こそ、あの人に切り捨てられるかもしれないと思ったら」
「それは杞憂ってものだな。長嶺組長は、何があってもあんたを手放したりはしない。そんなことをするぐらいなら、多分、自分の手であんたを縊り殺すことを選ぶだろう。俺の知っている長嶺の男は、執着の鬼そのものだ。目的のためなら、手段を選ばない。欲しいものは必ず手に入れる。そうやって手に入れたものは、なんとしても他人に奪われまいとする」
 南郷が語る『長嶺の男』とは、賢吾と守光のどちらなのだろうかと思った。どちらだとしても、和彦にとって怖い存在であることに違いはないのだが。
「そう自分を卑下しなくても、あんたは臆病なだけじゃなく、十分したたかで性悪だ。怖い男たちと渡り合える程度には。それもまた、長嶺組長――いや、長嶺の男たちには堪らなく魅力なんだろう。それ以外の男にとっても」
 最後に付け加えられた言葉に、ザワザワと心が波立つ。

しおりを挟む
感想 79

あなたにおすすめの小説

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

処理中です...