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第41話
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和彦の知る里見という人物は、性格は穏やかで優しく、恵まれた容貌を持つうえに、世間的にはエリートと呼ばれる職業にも就いていた。誰もが羨む存在で、そんな里見が常に自分を気にかけてくれていたことが、和彦の心の支えであり、自慢でもあった。
里見を捨てるなどと考えたことはない。大学入学を機に、距離を置こうと里見から言われたとき、和彦の心にあったのは、送り出してくれようとしている里見の気持ちを無碍にしたくないという想いだった。
それと、順風満帆な里見の人生の、足枷だけにはなりたくないとも。今もその気持ちは変わらない。
しかし、今日までの和彦に情愛を注いでくれたのは、もう里見一人ではないのだ。
和彦は感情の高ぶりを懸命に堪え、ぎこちなく深呼吸をする。どう思われようが、言っておかなければいけないことがあった。
「――……里見さんが大人でよかった。ぼくの中で、いい思い出になっているんだ。里見さんと一緒にいられたことは。だから、父さんに協力なんてしないでほしい。……綺麗事ばかり言うつもりはない。ぼくは今の生活で、大事にしてもらってるんだ。利用されているだけだと言う指摘もよくわかっている。それでも……、そうされてもいいと思うだけのものは、もらっている」
里見は、すぐには何も言わなかった。ただ、納得したように小さく数度頷き、瞬きもせず和彦を見つめている。いや、観察していると言ったほうがいいかもしれない。
足元を這い上がってくるのは、怯えだった。自分が知っている里見ではなくなったのかもしれないと、このとき初めての感覚に和彦は襲われる。それを悟られまいと、肩を竦めて笑いかける。
「ここ、寒いね。コートを置いてきたから……。中に戻ろうか」
和彦は坂の途中で引き返そうとしたが、肩を掴む力は緩まない。おそるおそる見つめ返した先で、ため息交じりで里見が呟いた。
「ああ、佐伯さんが、おれに協力を求めた理由がよくわかったよ」
「……何、里見さん?」
「君に今必要なものを、おれなら引き出せると思ってくれたのかもしれない」
「ぼくに、今必要なものって……」
「今の生活から抜け出そうとする意志だ。誰かに求められて、大事にされる生活が心地いいというなら、その『誰か』は、おれじゃダメかな?」
咄嗟に声が出なかった。俊哉との対面の場に里見が現れただけでも、思いがけない出来事だったのだ。さらに、里見とのかつての関係を、実は俊哉が知っていたと告げられたうえで、今の発言だ。
素直に受け止められない程度には、和彦は世間を知り、人を知っていた。
「何……、言ってるんだよ。里見さんはもう、父さんの部下じゃない。どこまでも従う義理なんてないだろ。里見さんにも生活があって、とっくにいい歳なんだから、つき合っている人だって――」
「佐伯さんは、おれを利用したいと言った。だったらおれも、佐伯さんを利用したいと答えた。和彦くんを連れ戻せたら、おれたちの仲を認めてほしいと、要望を伝えたんだ。佐伯さんは、悪いようにはしないと言ってくれたよ」
一体里見に何があったのだろうかと、和彦は空恐ろしさすら覚えていた。十三年前の別れはとても穏やかで、切なくはあったが悲愴感はなかった。二月に再会したときも、里見の人柄は変わっていないように感じた。
だが、今目の前にいる人物は――。
和彦の反応から察するものがあったのか、里見は安心させるように表情を和らげる。
「まだ子供だった君を怖がらせないよう、おれは自分を装っている部分があった。おれは本来、こんな人間だ。利己的で、欲深くて、計算高くて……。君にだけは、そんなおれを見られたくなかった。だけど今は違う。君はいろんなことを経験して、強くなった。そんな君に、改めておれを知ってほしいんだ。すぐ側で」
「でも、だからって――。ぼくこそ、里見さんの知っている、昔のぼくとは違う。利己的で、欲深くて、計算高いというなら、それはぼくのほうだっ……」
初めて触れる里見の激しさに和彦の心は揺さぶられ、気がついたときには、自らを卑下する言葉が口を突いて出ていた。それは自己防衛のようなものだった。里見に引きずられようとする気持ちを抑えるために、必死だった。
「ぼくがどんな生活を送っているか、どうせ簡単にしか父さんから聞かされてないんだろ? 詳しく知ったら、きっとこんなふうにぼくに触れたいなんて、思わなくなるよ」
和彦は、肩を掴む里見の手を押し退けようとする。
「……でも、今一緒にいる人……、男たちは、そうじゃない。独占欲も執着心も剥き出しにして、こんなぼくを求めてくれる。ぼくが欲しいのは、そんな浅ましさなんだ。ぼくも、浅ましい人間だから」
里見を捨てるなどと考えたことはない。大学入学を機に、距離を置こうと里見から言われたとき、和彦の心にあったのは、送り出してくれようとしている里見の気持ちを無碍にしたくないという想いだった。
それと、順風満帆な里見の人生の、足枷だけにはなりたくないとも。今もその気持ちは変わらない。
しかし、今日までの和彦に情愛を注いでくれたのは、もう里見一人ではないのだ。
和彦は感情の高ぶりを懸命に堪え、ぎこちなく深呼吸をする。どう思われようが、言っておかなければいけないことがあった。
「――……里見さんが大人でよかった。ぼくの中で、いい思い出になっているんだ。里見さんと一緒にいられたことは。だから、父さんに協力なんてしないでほしい。……綺麗事ばかり言うつもりはない。ぼくは今の生活で、大事にしてもらってるんだ。利用されているだけだと言う指摘もよくわかっている。それでも……、そうされてもいいと思うだけのものは、もらっている」
里見は、すぐには何も言わなかった。ただ、納得したように小さく数度頷き、瞬きもせず和彦を見つめている。いや、観察していると言ったほうがいいかもしれない。
足元を這い上がってくるのは、怯えだった。自分が知っている里見ではなくなったのかもしれないと、このとき初めての感覚に和彦は襲われる。それを悟られまいと、肩を竦めて笑いかける。
「ここ、寒いね。コートを置いてきたから……。中に戻ろうか」
和彦は坂の途中で引き返そうとしたが、肩を掴む力は緩まない。おそるおそる見つめ返した先で、ため息交じりで里見が呟いた。
「ああ、佐伯さんが、おれに協力を求めた理由がよくわかったよ」
「……何、里見さん?」
「君に今必要なものを、おれなら引き出せると思ってくれたのかもしれない」
「ぼくに、今必要なものって……」
「今の生活から抜け出そうとする意志だ。誰かに求められて、大事にされる生活が心地いいというなら、その『誰か』は、おれじゃダメかな?」
咄嗟に声が出なかった。俊哉との対面の場に里見が現れただけでも、思いがけない出来事だったのだ。さらに、里見とのかつての関係を、実は俊哉が知っていたと告げられたうえで、今の発言だ。
素直に受け止められない程度には、和彦は世間を知り、人を知っていた。
「何……、言ってるんだよ。里見さんはもう、父さんの部下じゃない。どこまでも従う義理なんてないだろ。里見さんにも生活があって、とっくにいい歳なんだから、つき合っている人だって――」
「佐伯さんは、おれを利用したいと言った。だったらおれも、佐伯さんを利用したいと答えた。和彦くんを連れ戻せたら、おれたちの仲を認めてほしいと、要望を伝えたんだ。佐伯さんは、悪いようにはしないと言ってくれたよ」
一体里見に何があったのだろうかと、和彦は空恐ろしさすら覚えていた。十三年前の別れはとても穏やかで、切なくはあったが悲愴感はなかった。二月に再会したときも、里見の人柄は変わっていないように感じた。
だが、今目の前にいる人物は――。
和彦の反応から察するものがあったのか、里見は安心させるように表情を和らげる。
「まだ子供だった君を怖がらせないよう、おれは自分を装っている部分があった。おれは本来、こんな人間だ。利己的で、欲深くて、計算高くて……。君にだけは、そんなおれを見られたくなかった。だけど今は違う。君はいろんなことを経験して、強くなった。そんな君に、改めておれを知ってほしいんだ。すぐ側で」
「でも、だからって――。ぼくこそ、里見さんの知っている、昔のぼくとは違う。利己的で、欲深くて、計算高いというなら、それはぼくのほうだっ……」
初めて触れる里見の激しさに和彦の心は揺さぶられ、気がついたときには、自らを卑下する言葉が口を突いて出ていた。それは自己防衛のようなものだった。里見に引きずられようとする気持ちを抑えるために、必死だった。
「ぼくがどんな生活を送っているか、どうせ簡単にしか父さんから聞かされてないんだろ? 詳しく知ったら、きっとこんなふうにぼくに触れたいなんて、思わなくなるよ」
和彦は、肩を掴む里見の手を押し退けようとする。
「……でも、今一緒にいる人……、男たちは、そうじゃない。独占欲も執着心も剥き出しにして、こんなぼくを求めてくれる。ぼくが欲しいのは、そんな浅ましさなんだ。ぼくも、浅ましい人間だから」
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