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第40話
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秦に厄介な火を灯した元凶ともいうべき中嶋は、加藤と寝ていると打ち明けたことをどう感じているのだろうか。加藤だけではなく秦まで、自分の思惑から外れた行動を取ったことに、戸惑っているのか、苛立っているのか。
和彦は、瞬く間に頬が上気した中嶋を、そっと盗み見る。自分だけ先に帰ってしまおうかと考えなくもなかったが、三人それぞれと関わりを持っているだけに放っておけない。善人ぶるつもりはなく、自分が去ったあとの事態を危惧したのだ。
「――加藤くん、仕事は大丈夫なのか?」
声をかけると、伏せがちだった切れ長の目がまっすぐ和彦を捉える。腹が決まったような顔つきになっていた。
「はい……。夕方から明日の午前中いっぱい、休みをもらっていますから」
「貴重な休みなら、こんなところで胡散臭い男……たちにつき合ってないで、早く帰ったらどうだ」
加藤は毅然とした表情で、首を横に振った。
「いえ。俺も……、この人――秦さんと話をしてみたいので」
次の瞬間、バンッと大きな音が個室内に響く。中嶋が乱暴にテーブルを叩いたのだ。
中嶋は立ち上がると、憎々しげに秦を睨みつけた。
「……怒って、いるんですか?」
「どうして、〈おれ〉が怒るんだ。お前が先生と寝ていても、嫌だと思ったことはない。むしろ、羨ましい――」
「とぼけないでください。俺と加藤のことです。こんな、あなたらしくないことまでして……」
「お前の言いたい秦静馬らしさとは、お前が打算含みで誰と寝ようが、他人事のように涼しげに笑っていることか?」
「俺相手には、どんなふうに振る舞ってもいいです。だけど、こいつを……加藤を巻き込むのは違う」
「どう違う? お前は先生を利用して、足場を固めようとしている。加藤くんのことも、手駒にしようとしているんだろ。おれは先生と親しくしているんだ。加藤くんとも親しくしたいと思っても、おかしくはないはずだ」
中嶋が返事に詰まったのは、傍らで見ていてもわかった。咄嗟に和彦が秦を窘めようとしたとき、カーテンの向こうから声をかけられる。秦が注文したものをスタッフが運んできたのだが、入れ違いで中嶋が個室を出ていく。戻ってくる気はないのか、ジャケットを掴んでいた。
止める間もなかった。和彦が呆気に取られて動けないでいると、腰を浮かせた加藤がこちらを見る。それがまるで、こちらの判断を仰いでいるように思え、和彦は小さく頷いて返す。加藤は弾かれたように個室を飛び出していた。
「逃げられた――、というか、絶妙のタイミングで彼を逃がしましたね、先生」
個室に二人きりとなってから、秦が苦笑交じりで洩らす。一瞬の嵐に巻き込まれたような気分で、ぐったりとソファにもたれかかっていた和彦だが、秦のその言葉で体を起こす。じろりと睨みつけた。
「あれはなんだ。何がしたかったんだ」
「さっきも言いましたが、本当に会いたかったんですよ。加藤くんに」
「牽制したかったのか。自分は、中嶋くんにとって特別な存在だと。……自負と自信が揺らいだか?」
秦がスッと目を細める。一瞬浮かべた冴えた表情は、この男が酔狂だけで突飛な行動に出たのではないとわかる。嫉妬に狂うようなことがあったのだ。
和彦は大きく息を吐き出すと、グラスに注いだワインを一気に飲み干す。寸前までのやり取りの興奮のせいか、いつの間にか顔が熱くなっていた。特に熱を持っている頬にてのひらを押し当てたところで、和彦の記憶が刺激される。つい口元が緩んだのは、苦笑のせいだ。
「先生?」
「嫉妬で暴走したのは、君だけじゃなかったことを思い出した。前に中嶋くんに、君との仲を咎められた挙げ句に、殴られたことがあるんだ」
「結果として、先生がいてくれたおかげで、〈わたし〉は中嶋と結ばれたわけですが」
感情的になるのは中嶋の前だけかと、和彦は少しだけ意地の悪いことを思う。
「――でも、さっきので嫌われたかもな」
さらりと切り返してくるかと思われた秦だが、黙り込んでビールを飲む。掴み所のない言動で、何を考えているか読ませない男だが、今だけは、目くらましのような心の覆いがわずかに外れている気がした。
「一つ聞いていいか?」
どうぞ、と声に出さずに秦が応じる。
「この間ぼくに、中嶋くんと加藤くんのことを教えてくれたとき、君はまだ余裕があるように見えたんだ。なのに今は違う。……何か変化があったのか?」
「それを正直に言うのは、勘弁してください。自分がこんなに狭量な人間だったのかと、驚いています。今夜のところは、これ以上、先生にみっともない姿は見られたくないんです」
「……見栄っ張りだな」
「わたしの立派な武器ですよ、見栄は」
和彦は、瞬く間に頬が上気した中嶋を、そっと盗み見る。自分だけ先に帰ってしまおうかと考えなくもなかったが、三人それぞれと関わりを持っているだけに放っておけない。善人ぶるつもりはなく、自分が去ったあとの事態を危惧したのだ。
「――加藤くん、仕事は大丈夫なのか?」
声をかけると、伏せがちだった切れ長の目がまっすぐ和彦を捉える。腹が決まったような顔つきになっていた。
「はい……。夕方から明日の午前中いっぱい、休みをもらっていますから」
「貴重な休みなら、こんなところで胡散臭い男……たちにつき合ってないで、早く帰ったらどうだ」
加藤は毅然とした表情で、首を横に振った。
「いえ。俺も……、この人――秦さんと話をしてみたいので」
次の瞬間、バンッと大きな音が個室内に響く。中嶋が乱暴にテーブルを叩いたのだ。
中嶋は立ち上がると、憎々しげに秦を睨みつけた。
「……怒って、いるんですか?」
「どうして、〈おれ〉が怒るんだ。お前が先生と寝ていても、嫌だと思ったことはない。むしろ、羨ましい――」
「とぼけないでください。俺と加藤のことです。こんな、あなたらしくないことまでして……」
「お前の言いたい秦静馬らしさとは、お前が打算含みで誰と寝ようが、他人事のように涼しげに笑っていることか?」
「俺相手には、どんなふうに振る舞ってもいいです。だけど、こいつを……加藤を巻き込むのは違う」
「どう違う? お前は先生を利用して、足場を固めようとしている。加藤くんのことも、手駒にしようとしているんだろ。おれは先生と親しくしているんだ。加藤くんとも親しくしたいと思っても、おかしくはないはずだ」
中嶋が返事に詰まったのは、傍らで見ていてもわかった。咄嗟に和彦が秦を窘めようとしたとき、カーテンの向こうから声をかけられる。秦が注文したものをスタッフが運んできたのだが、入れ違いで中嶋が個室を出ていく。戻ってくる気はないのか、ジャケットを掴んでいた。
止める間もなかった。和彦が呆気に取られて動けないでいると、腰を浮かせた加藤がこちらを見る。それがまるで、こちらの判断を仰いでいるように思え、和彦は小さく頷いて返す。加藤は弾かれたように個室を飛び出していた。
「逃げられた――、というか、絶妙のタイミングで彼を逃がしましたね、先生」
個室に二人きりとなってから、秦が苦笑交じりで洩らす。一瞬の嵐に巻き込まれたような気分で、ぐったりとソファにもたれかかっていた和彦だが、秦のその言葉で体を起こす。じろりと睨みつけた。
「あれはなんだ。何がしたかったんだ」
「さっきも言いましたが、本当に会いたかったんですよ。加藤くんに」
「牽制したかったのか。自分は、中嶋くんにとって特別な存在だと。……自負と自信が揺らいだか?」
秦がスッと目を細める。一瞬浮かべた冴えた表情は、この男が酔狂だけで突飛な行動に出たのではないとわかる。嫉妬に狂うようなことがあったのだ。
和彦は大きく息を吐き出すと、グラスに注いだワインを一気に飲み干す。寸前までのやり取りの興奮のせいか、いつの間にか顔が熱くなっていた。特に熱を持っている頬にてのひらを押し当てたところで、和彦の記憶が刺激される。つい口元が緩んだのは、苦笑のせいだ。
「先生?」
「嫉妬で暴走したのは、君だけじゃなかったことを思い出した。前に中嶋くんに、君との仲を咎められた挙げ句に、殴られたことがあるんだ」
「結果として、先生がいてくれたおかげで、〈わたし〉は中嶋と結ばれたわけですが」
感情的になるのは中嶋の前だけかと、和彦は少しだけ意地の悪いことを思う。
「――でも、さっきので嫌われたかもな」
さらりと切り返してくるかと思われた秦だが、黙り込んでビールを飲む。掴み所のない言動で、何を考えているか読ませない男だが、今だけは、目くらましのような心の覆いがわずかに外れている気がした。
「一つ聞いていいか?」
どうぞ、と声に出さずに秦が応じる。
「この間ぼくに、中嶋くんと加藤くんのことを教えてくれたとき、君はまだ余裕があるように見えたんだ。なのに今は違う。……何か変化があったのか?」
「それを正直に言うのは、勘弁してください。自分がこんなに狭量な人間だったのかと、驚いています。今夜のところは、これ以上、先生にみっともない姿は見られたくないんです」
「……見栄っ張りだな」
「わたしの立派な武器ですよ、見栄は」
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