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第40話
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中嶋が軽く声を洩らして笑うが、和彦は到底そんな気分にはなれない。今回の長嶺組の処置はあくまで、連絡ミスによって起きた第二遊撃隊の不手際に対するものだが、クリニックでの南郷との出来事が知られれば、こんなものでは済まないだろう。
南郷は、それでもあえて危険を冒した。賢吾や長嶺組を刺激したいがために――という可能性に気づくと、和彦はひどく冷静な目で、南郷や第二遊撃隊を観察したくなるのだ。臆病な小動物のように、身を潜め、慎重に。
自分の進言次第で、賢吾はいくらでも厳しい処分を第二遊撃隊に与えかねないが、そのことによって、長嶺組と総和会の不和を招きたくない。現に、中嶋の話ではすでにもう噂が立っているというのだ。
和彦がタオルで口元を押さえてじっと考え込んでいると、中嶋が身を乗り出してきた。
「もしかして、気分が悪いんですか?」
「あっ、いや……。南郷さんに、ぼくにかまうのはやめるよう、君からもきつく言ってもらえないだろうかと思って」
中嶋が真顔で首を横に振り、案の定な反応に、和彦としては笑うしかない。
「――本気で、どうにかしてほしいんだ。最近、ぼくのほうはいろいろあって、あまり余裕がない」
「先生はいつだって、『いろいろ』あるでしょう」
「だからこそ、限界がある。身を切る思いで、自分で対処しないといけないことがあって、南郷さんからちょっかいをかけられたくない」
なぜか中嶋が、探るような視線を向けてくる。和彦が首を傾げると、今度は露骨に大きなため息をつかれた。
「南郷さんのことで、『ちょっかい』と表現できる先生は、本当に大物だと思いますよ」
「……言っておくけど、ぼくは今回の件は――今回の件も、本気で怒っているんだ。だけど、感情のままに組長に泣きついたら、どんな事態になるか……」
「怒り下手なんですよ、先生は。周囲の様子にあれこれと気を配りすぎて、自分の感情を後回しにするでしょう。最近、怒りを爆発させるとか、せめて声を荒らげるとか、したことあります?」
どうだったかなー、と視線をさまよわせて和彦が呟くと、なぜか中嶋に背をさすられた。
いくらか汗も引き、足のだるさも落ち着いたので、次のマシーンへと二人で向かう。ふと、自分の心情にぴったりの言葉が頭に浮かび、さらりと口を突いて出ていた。
「多分ぼくは、誰にも嫌われたくないんだ。この世界で、扱いにくいとか思われて、もういらないと言われるのを恐れてる」
「先生みたいな人でも、そんなこと思うんですね」
「放り出されたら、この先どうやって生きていこうか考えて、怖くなることがある。ぼくなんかを、みんながあまりにちやほやしてくれるから、前はどうやって生活していたか、忘れかけているんだ」
俊哉や英俊に感じる恐れと、南郷に感じる不快さに共通するのは、心地いい環境を脅かす存在であるという点だろう。そして、近づいてはいけないのに近づかざるをえない。そんな自分への歯痒さと口惜しさ。
並んで筋トレ用のマシーンのシートに座ると、ハンドルを握った和彦はゆっくりとバーを持ち上げる。少し負荷がきついなと思っていると、隣でしみじみといった口調で中嶋が洩らした。
「初めて、俺と先生が会ったときのことをはっきりと覚えているだけに、今の先生の言葉は感じ入るものがありますね。――あのときの先生は何もかもにおっかなびっくりという様子で、柄にもなく俺は、庇護欲めいたものを刺激されていたんですよ」
「長嶺組長の前で、そういうことは言わないでくれよ。シャレにならない部分があるから」
「俺、嫉妬の炎が延焼して、焼かれますか?」
冗談めかした台詞に、和彦は短く噴き出す。その拍子に力が抜けてしまい、せっかく持ち上げたバーが下りてくる。今日は無理はせずウェイトを減らすことにした。
やはり、中嶋に声をかけておいて正解だったようだ。気楽な会話が、昨日から強張っていた気持ちをいくらか解してくれる。
自分の気分転換に、半ば無理矢理つき合わせているという気がしなくもないが――と、多少の申し訳なさを和彦は噛み締める。一方の中嶋も、こんなことを言った。
「――先生の力になりたいですけど、残念なことに俺は隊ではまだ、発言力なんてほとんどありませんから……」
「だとしても、今でも十分、君には世話になってるよ。君がいてくれるおかげで、ぼくは救われている部分があるんだ」
「そう言ってもらえると、こちらのほうが救われます。……先生をトラブルに巻き込んだ前科がある身なので」
なんのことかと考えたのは一瞬で、すぐに和彦は微苦笑を洩らす。中嶋との間には、確かにトラブルめいたものがいくつかあった。
南郷は、それでもあえて危険を冒した。賢吾や長嶺組を刺激したいがために――という可能性に気づくと、和彦はひどく冷静な目で、南郷や第二遊撃隊を観察したくなるのだ。臆病な小動物のように、身を潜め、慎重に。
自分の進言次第で、賢吾はいくらでも厳しい処分を第二遊撃隊に与えかねないが、そのことによって、長嶺組と総和会の不和を招きたくない。現に、中嶋の話ではすでにもう噂が立っているというのだ。
和彦がタオルで口元を押さえてじっと考え込んでいると、中嶋が身を乗り出してきた。
「もしかして、気分が悪いんですか?」
「あっ、いや……。南郷さんに、ぼくにかまうのはやめるよう、君からもきつく言ってもらえないだろうかと思って」
中嶋が真顔で首を横に振り、案の定な反応に、和彦としては笑うしかない。
「――本気で、どうにかしてほしいんだ。最近、ぼくのほうはいろいろあって、あまり余裕がない」
「先生はいつだって、『いろいろ』あるでしょう」
「だからこそ、限界がある。身を切る思いで、自分で対処しないといけないことがあって、南郷さんからちょっかいをかけられたくない」
なぜか中嶋が、探るような視線を向けてくる。和彦が首を傾げると、今度は露骨に大きなため息をつかれた。
「南郷さんのことで、『ちょっかい』と表現できる先生は、本当に大物だと思いますよ」
「……言っておくけど、ぼくは今回の件は――今回の件も、本気で怒っているんだ。だけど、感情のままに組長に泣きついたら、どんな事態になるか……」
「怒り下手なんですよ、先生は。周囲の様子にあれこれと気を配りすぎて、自分の感情を後回しにするでしょう。最近、怒りを爆発させるとか、せめて声を荒らげるとか、したことあります?」
どうだったかなー、と視線をさまよわせて和彦が呟くと、なぜか中嶋に背をさすられた。
いくらか汗も引き、足のだるさも落ち着いたので、次のマシーンへと二人で向かう。ふと、自分の心情にぴったりの言葉が頭に浮かび、さらりと口を突いて出ていた。
「多分ぼくは、誰にも嫌われたくないんだ。この世界で、扱いにくいとか思われて、もういらないと言われるのを恐れてる」
「先生みたいな人でも、そんなこと思うんですね」
「放り出されたら、この先どうやって生きていこうか考えて、怖くなることがある。ぼくなんかを、みんながあまりにちやほやしてくれるから、前はどうやって生活していたか、忘れかけているんだ」
俊哉や英俊に感じる恐れと、南郷に感じる不快さに共通するのは、心地いい環境を脅かす存在であるという点だろう。そして、近づいてはいけないのに近づかざるをえない。そんな自分への歯痒さと口惜しさ。
並んで筋トレ用のマシーンのシートに座ると、ハンドルを握った和彦はゆっくりとバーを持ち上げる。少し負荷がきついなと思っていると、隣でしみじみといった口調で中嶋が洩らした。
「初めて、俺と先生が会ったときのことをはっきりと覚えているだけに、今の先生の言葉は感じ入るものがありますね。――あのときの先生は何もかもにおっかなびっくりという様子で、柄にもなく俺は、庇護欲めいたものを刺激されていたんですよ」
「長嶺組長の前で、そういうことは言わないでくれよ。シャレにならない部分があるから」
「俺、嫉妬の炎が延焼して、焼かれますか?」
冗談めかした台詞に、和彦は短く噴き出す。その拍子に力が抜けてしまい、せっかく持ち上げたバーが下りてくる。今日は無理はせずウェイトを減らすことにした。
やはり、中嶋に声をかけておいて正解だったようだ。気楽な会話が、昨日から強張っていた気持ちをいくらか解してくれる。
自分の気分転換に、半ば無理矢理つき合わせているという気がしなくもないが――と、多少の申し訳なさを和彦は噛み締める。一方の中嶋も、こんなことを言った。
「――先生の力になりたいですけど、残念なことに俺は隊ではまだ、発言力なんてほとんどありませんから……」
「だとしても、今でも十分、君には世話になってるよ。君がいてくれるおかげで、ぼくは救われている部分があるんだ」
「そう言ってもらえると、こちらのほうが救われます。……先生をトラブルに巻き込んだ前科がある身なので」
なんのことかと考えたのは一瞬で、すぐに和彦は微苦笑を洩らす。中嶋との間には、確かにトラブルめいたものがいくつかあった。
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