972 / 1,268
第39話
(23)
しおりを挟む覚束ない足取りで和彦が客間に戻ったのは、日付も変わった夜更けだった。だるい体でなんとかシャワーを浴びてから、一緒に寝たらどうだという賢吾の誘いを振り切った結果だ。
あの男の側にいたら、いつまで経っても情欲が鎮まらないという危機感があった。それこそ、精が尽きるほど賢吾の手と口で果てたというのに、いまだに胸の奥で燻ぶるものがあるぐらいだ。到底、隣で穏やかに眠れるとは思えない。
和彦はふらふらと畳の上にへたり込み、熱っぽい吐息を洩らす。さすがに今夜はもう、堅苦しい書類に再び目を通せる集中力はなかった。部屋の電気を消す前に、明日の出勤の準備を整えておこうと文机に這い寄ったところで、あることに気づく。
「あっ……」
出したままにしておいた携帯電話二台のうち一台に、着信表示があった。里見との連絡用に使っている携帯電話だ。一瞬、和彦の脳裏を過ったのは、いよいよ俊哉から連絡がきたのかということだった。履歴を見る限り、里見の携帯電話からかかってきたようだが、慎重にならざるをえない。
無視することもできず、おそるおそる折り返し連絡をしてみると、すぐに呼出し音は途切れた。
『――ああ、よかった。かけてきてくれたんだね』
聞こえてきた里見の穏やかな声に、心底ほっとした。前回、連絡を取ったときは、里見のもとに誰かが訪れた様子で、妙な空気で電話を切ったのだ。
「里見さん……。ごめん、こんな遅い時間に。もう休んでたんなら、日を改めるよ」
『気にしないでくれ。おれのほうこそ、驚いた勢いで電話をかけたから、君の事情をまったく考えてなかった。……今、話して大丈夫?』
里見の口ぶりが気になり、和彦は咄嗟に質問で返していた。
「……驚いたって、里見さん、何かあった?」
『今日……、もう昨日になるけど、君のお父さんに会ったんだ。話があると言って呼ばれて』
俊哉の話題が出た途端、心臓を締め付けられたような苦しさを感じた。和彦は硬い声で応じる。
「そう、なんだ……。話って、もしかして……」
『おれも無関係ではないからということで、内密にと念を押されて教えてもらった。――ようやく、会って話をしたそうだね』
うん、と返事をした和彦だが、すぐに大事なことに気づいて、正直ゾッとした。
「里見さん、父さんからどこまで聞いたっ?」
『どこまでって……、君と会えたことと、今後はとりあえず、連絡を取り合えるようにはなったということを。それはいいことではあるんだけど、おれとしては、君が一体何に巻き込まれて、普段はどこで生活しているのか、そういうことを知りたかったんだ。もちろん、佐伯さんに聞いてはみたけど、知らないほうがおれのためだと言われると、引き下がらざるをえなかった』
「父さんの判断が正しいよ。これ以上、里見さんに迷惑をかけられない……、かけたくない」
『ということは、やっぱり厄介なことに巻き込まれているんだな。今も』
「否定はしないけど、居心地はいいんだ、〈こちら〉は」
和彦が言外に含ませたものを感じ取ったのか、里見は少し沈黙したあと、ため息をついた。
『君にそんなことを言わせるために、おれは君と一緒の時間を過ごしたわけじゃないのにな。医者として順風満帆に過ごして、望むものを手に入れて、穏やかに笑って日々を過ごしてくれたらいいと、そう願っていた。そのために、独占欲の強いおれは、早いうちに身を引いたほうがいいと考えたんだ。君の将来にも関わっていきたいと、そう思い始めるのは目に見えていたから』
思いがけない里見の言葉に背を伸ばした和彦は、廊下に面した障子に反射的に視線を向ける。その向こうに、賢吾が立っているのではないかと、咄嗟に危惧したのだ。
ほんの少し前まで賢吾と濃密な時間を過ごしておきながら、里見からこんな言葉を囁かれたことが、とんでもない背信行為に思えた。
「里見さんが独占欲が強いなんて、初めて聞いた。そんなふうに思ったことなんて、一度もなかったよ。いつだって、穏やかで余裕があって――」
『君に嫌われたくないから、そう装ってただけだ。優しい思い出だけを作って、いつまでも君の中に残っていたかった。おれは、君と初めて会ったときから、打算的なズルい大人だったんだ』
里見の口調は穏やかなままだが、確かな熱を感じさせた。和彦の中に、ふっと疑問が芽生える。
俊哉は本当に、里見には詳しい事情を教えていないのだろうか、と。何か根拠があるわけではない。ただ、〈ズルい大人〉だと念を押されて、気になったのだ。
「……ズルい大人だったとしても、昔のぼくは、里見さんに救われた。だから今のぼくにできるのは、これ以上、里見さんに迷惑をかけないことだけだ。嫌な言い方になるけど、佐伯家の問題だし……」
27
お気に入りに追加
1,365
あなたにおすすめの小説
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
貢がせて、ハニー!
わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。
隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。
社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。
※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8)
■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました!
■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。
■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。
いつかコントローラーを投げ出して
せんぷう
BL
オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。
世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。
バランサー。
アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。
これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。
裏社会のトップにして最強のアルファ攻め
×
最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け
※オメガバース特殊設定、追加性別有り
.
ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる