血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
913 / 1,268
第37話

(25)

しおりを挟む
 耳元に蘇るのは、俊哉の優しく穏やかな話し声だった。改めて和彦が心に誓うのは、賢吾と自分の父親を接触させてはいけないということだ。
 電話越しとはいえ、臆面もなく惚れていると言い放つ男にも、迷惑はかけたくない――。
「本当に、怖い夢を見ただけなんだ。子供の頃のことを思い出して……」
『だったら、一人寝は心細いだろう。しばらく本宅からクリニックに通ったらどうだ?』
 本当に言いたかったのはこれかと、和彦はそっと苦笑を洩らす。嫌ではないが、甘えてしまうと、そのままズルズルと本宅に住みついてしまいそうな予感がするのだ。
「つい何日か前に、泊まったばかりだ」
『いいじゃねーか。うちはいつでも大歓迎だ』
 誘いとしては魅力的だが、賢吾はなんとしても、和彦が見た〈怖い夢〉の内容を知りたがるだろう。その夢に俊哉が関わり、そこから、胸の奥に澱のように溜まっている不安を読み取られたら、と危惧してしまう。考えすぎかもしれないが、大蛇の化身のような男は、何を見通しても不思議ではない。
 返事に困っていると、ドアの向こうから和彦を呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、悪いけど、スタッフに呼ばれてるんだ」
『上手い言い訳だな』
「本当だっ」
 信じたのかどうなのか、賢吾が今度はこんな提案をしてきた。
『怖い夢から守ってくれるかどうかは怪しいが、番犬を派遣してやる』
「……番犬?」
『頼もしい犬だぞ。可愛げもあるし』
 本当なのか冗談なのか、そんなことを言った賢吾は、和彦の返事を聞くことなく一方的に電話を切った。




「――で、お前なのか?」
 腕組みをして立つ和彦の言葉に、千尋が目を丸くする。その表情は人懐こい犬を連想させなくもないが、当然、千尋は犬などではない。
 玄関に千尋が入ると、送ってきた組員が頭を下げてドアを閉める。ここからは二人の時間を、ということらしい。
 いそいそと靴を脱いだ千尋が、釈然としない顔をしている和彦に向けて首を傾げる。
「先生?」
「昨日、お前の父親から電話があって、番犬を派遣してやると言われたんだ。……どうやら、お前のことらしいな」
「番犬……、犬、犬か――」
 独り言を洩らし、一人納得したように千尋が頷く。その様子を眺め、長嶺父子が何か企んでいるのではないかと露骨に疑っていた和彦だが、ふと、先日千尋と車中で交わした会話を思い出す。おかげで、千尋をあれこれと問い詰める気力が一気に失せた。
 約束したのは、和彦が最初なのだ。軽くため息をつくと、千尋を促してリビングへと向かう。
「……どうせ来るなら、クリニックが休みの日にすればよかったのに。そうすれば、明るいうちから出かけることもできただろ。この時間じゃ――、あっ、お前、夕飯は食べたのか?」
「ばっちり。だから、デザート持ってきた」
 そう言って千尋が掲げて見せたのは、ケーキ屋のものらしい紙箱だった。受け取った和彦は、千尋の頭を手荒く撫でる。
「着替えを用意しておくから、シャワーを浴びてこい」
「さっさと食べて帰れって言わないんだ?」
 最近、千尋を邪険に扱いすぎただろうかと、遠慮がちとも卑屈とも取れる発言を聞いて、少しばかり和彦の胸が痛む。千尋の額を軽く小突いて答えた。
「言わない。ぼくの抱き枕になりにきたんだろ?」
 ニヤリと笑った千尋が、わおっ、と芝居がかった声を上げ、軽い足取りでバスルームへと向かった。和彦は、デザートはひとまず冷蔵庫に入れ、千尋の着替えを用意して脱衣所に置く。このとき、カゴに放り込まれているスーツ一式に気づき、ため息をつく。いつも、スーツだけは自分でハンガーに掛けろと注意しているが、気にも留めていないようだ。
 上等なスーツに無様な皺がつくのが許せなくて、結局抱えて出ると、ハンガーにかけてやる。
 今夜はダラダラと本を読んで過ごそうと思っていたので、連絡もなく千尋が押し掛けてきたからといって、特に不都合があるわけではない。ただ、仕事を終えて疲れているところに、さらに体力を使うことになるなと少しだけ思うだけだ。千尋が側にいると、話しているだけで生気を吸い取られていくような気がするのだ。
「いや、若さに圧倒されるのか……」
 独り言を洩らしてから、和彦は苦笑いする。頭の片隅に、千尋よりさらに若い青年の顔が浮かびそうになったが、慌てて打ち消した。
 ソファに腰を下ろそうとして、千尋が訪れる寸前まで何をしていたのかと思い出し、書斎へと行く。本棚の整理をしている途中だったのだ。最近は、本を買い込むばかりでまったく処分をしないため、いっそのこと、もう少し大きめの本棚を購入しようかと考えていた。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

どうやら俺は悪役令息らしい🤔

osero
BL
俺は第2王子のことが好きで、嫉妬から編入生をいじめている悪役令息らしい。 でもぶっちゃけ俺、第2王子のこと知らないんだよなー

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

貢がせて、ハニー!

わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。 隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。 社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。 ※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8) ■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました! ■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。 ■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう
BL
 オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。  世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。  バランサー。  アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。  これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。  裏社会のトップにして最強のアルファ攻め  ×  最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け ※オメガバース特殊設定、追加性別有り .

a pair of fate

みか
BL
『運命の番』そんなのおとぎ話の中にしか存在しないと思っていた。 ・オメガバース ・893若頭×高校生 ・特殊設定有

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

処理中です...