血と束縛と

北川とも

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第37話

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 自分は被害者どころか、鷹津の共犯者だ。
 苦々しさを噛み締めながら和彦は、自身に言い聞かせる。物騒な男たちに守られる日常生活を取り戻しながらも、まるで棘が刺さっているかのようにときおり痛みを発するのは、俊哉の存在だ。
 接触したことを口外しないのは誰のためなのか、すでにもう和彦にもわからなくなっていた。今の生活を失いたくないと思う一方で、沈黙を続けることは、長嶺の男たちを危険に晒す。だが話してしまえば、鷹津に対する追跡は厳しさを増すかもしれない。
 思索の迷路に入り込みそうになったところで、中嶋が立ち上がった気配にハッとする。
「ツマミがなくなってきたんで、持ってきますね」
 空いた皿を手に中嶋の姿がキッチンに消えると、一度はグラスに視線を落とした和彦だが、すぐにうかがうように秦を見る。物言いたげな和彦の様子にとっくに気づいていたらしく、首を傾げて笑いかけられた。
「中嶋がいると聞きにくいことがあるんでしょう、先生」
「……察しがいいな」
「あいつはあいつで、聞いた以上、総和会に報告せざるをえなくなりますから、わざと席を外したんだと思いますよ」
 そういうことかと、ちらりとキッチンのほうを見遣る。
 ためらったのはわずかな間で、和彦は声を抑えて秦に尋ねた。
「――鷹津から、何か聞いてないのか?」
「何か、とは……」
「なんでも。どうして、あんな行動を取ったのか。警察を辞めてどうするのか。……どこに行くのか」
 秦は小さく首を横に振る。
「皆さんから聞かれましたが、わたしは何も。そもそも、大事なことを打ち明けてもらえるほど、わたしは鷹津さんに信用されてはいませんでしたから」
「でも、仲はよさそうに見えた……」
 和彦の率直な感想に、秦はなんとも複雑そうな笑みを見せた。
「鷹津さんには、よくタダ酒を集られました。いつも不機嫌で、他人を一切信用してなくて、そのくせ、他人を利用する気満々で。世間一般では、〈嫌な人間〉と呼ばれるでしょうね。だけどわたしは、そういう鷹津さんをけっこう気に入ってましたよ」
「……故人を偲んでいるような言い方だな」
 冗談を言ったつもりはないのだが、秦は声を上げて笑う。
「鷹津さんは大丈夫ですよ。あの人は、殺しても死なない。――何を使ってでも、自分の身を守る。そして、目的を果たす」
 目的、と和彦は声に出さずに呟く。秦がじっと自分を見つめていることに気づき、ドキリとした。
「やっぱり……、何か知っているんじゃないか?」
「何も。それに、もし仮にわたしが何か知っていたとしても、先生は聞かないほうがいいでしょう。優しい先生は、隠し事が下手だ」
 すでに隠し事をしているとは、口が裂けても言えない。ここで中嶋が、ハムとチーズを皿にのせて戻ってくる。
「二人でどんな話をしていたんですか? ずいぶん楽しそうでしたけど」
 中嶋の言葉に、思わず和彦は秦と顔を見合わせる。
「……鷹津の思い出話を……」
「クセの強い人でしたね。俺はあまり、直接話す機会はありませんでしたが。でも、秦さんとはよく飲んでいたみたいですよ。たまに鷹津さんに頼み事もしていたみたいですし」
「飲み代として、ちょっとした仕事を頼んでいたんです」
「なんだ。タダ酒の代金はしっかり受け取っていたんじゃないか」
 そんな会話を交わしていると、中嶋の携帯電話が鳴る。座ったばかりだというのに中嶋は、携帯電話の表示を確認してすぐにまた立ち上がる。仕事の電話だと言って一旦部屋を出て行ったが、三十秒もしないうちに戻ってきた。
「すみません、うちの若い奴が近くまで来ているみたいなんで、少し出てきます。すぐに戻りますから、食器とか、そのままにしておいてください」
 片手を上げて応じたのは秦だった。玄関のドアが閉まる音がして、和彦はため息交じりにこぼす。
「忙しいみたいだ。……無理させたのかもな。ぼくの夜遊びのためにつき合わせたのだとしたら」
「――喜んでますよ。わたしも、中嶋も。塞ぎ込んでいた先生が、やっと立ち直ってくれたんですから。そして、夜遊びを始めた先生の様子に、総和会や長嶺組の皆さんも安心する。いいことづくめですよ」
 とんでもない詭弁だなと苦笑を洩らした和彦だが、秦のほうはまじめな表情を崩さない。それがなんだかおかしくて、とうとう声を上げて笑っていた。自覚もないまま酔ってしまったのかもしれない。
 顔が熱くなってきて、おしぼりを頬に当てていると、秦が立ち上がり、窓を開けた。入り込んでくる風は、涼しいというより冷たいほどだが、それが心地いい。
「先生」
 ふいに秦に呼ばれる。視線を向けた先で秦は、窓の外を見ていた。手招きされ、何事かと思いながら和彦も窓に近づく。

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