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第36話
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「言えよ、秋慈。俺の息子と、大事な客人が見ている前で」
御堂は怒りをぶつけるように、龍造の一つに束ねられた髪を掴んで引っ張る。ここで龍造が乱暴に腰を突き上げると、御堂が声を上げると同時に、髪を掴んでいた手が落ちる。その拍子に、指が引っかかったのか、髪をまとめていた紐が解けた。
「……あなたに、関係ないでしょう」
「関係あるだろ。お前は、俺の〈オンナ〉だ。お前を自由にする権利がある」
御堂が何か言いかけたが、龍造が唇を塞いでしまう。切迫した息遣いとともに、御堂が畳を蹴りつけた。その音で我に返った和彦は、咄嗟に玲の腕を掴んでその場を離れる。
慌しく廊下を歩きながら、真っ白になっていた思考が次第に色を取り戻していく。そこで、自分が今一番、何を気にかけなければならないのか思い出した。
立ち止まり、傍らを見る。玲は唇を引き結んではいるものの、非常に落ち着いているように見えた。むしろ和彦のほうが激しく動揺している。
「あっ、大、丈夫、か?」
上擦った声で問いかけると、一拍置いて大きく息を吐き出した玲が、短く刈った髪に指を差し込む。
「佐伯さんのほうこそ、大丈夫ですか? ……顔、赤いですよ」
「ぼくは……平気だ。びっくりしただけで――」
いつの間にか熱くなった頬を撫でた和彦は、御堂の部屋のほうにちらりと視線を向ける。龍造が言った言葉が、しっかりと耳に残っていた。
男の庇護を必要としていない今の御堂を、龍造はまだ自分のオンナ扱いしていると知り、なぜか屈辱感にも似た苦い感情が込み上げてきた。行為の最中の戯言だとしても、御堂には相応しくないと思ったせいだが、そう感じるということは、和彦自身の経験のいくつかを、御堂に投影しているのかもしれない。
「――つらそうな顔をするんですね」
ふいに玲に言われ、伏せていた視線を上げる。黒々とした瞳が、じっと和彦を見据えていた。
「そうかな……」
「自分が辱められたみたいな、そんな感じに見えます。……父さんに、そのつもりはないんですよ。見下しても、蔑んでも、嫌悪もしていない」
玲の腕を掴んでいたはずが、気がつけば和彦のほうが肘の辺りを掴まれていた。あくまで優しく、まるで宝物を扱うかのように。
「父さんは、御堂さんを――オンナを、今でも愛している」
玲の口ぶりから、〈オンナ〉の意味を理解しているようだった。
和彦は目を見開き、反射的に腕を引こうとしたが、このとき初めて、玲の手に力が加わった。
まだ十代、しかも高校生が知っていてはいけない言葉を、玲はもう一度口にした。
「佐伯さんも、オンナ、ですよね」
玲が、何をどこまで把握しているのか推し量ることはできないが、口調は確信に満ちていることだけは、わかった。
この子から、軽蔑の眼差しを向けられるのは嫌だなと思いながら、和彦は頷いた。
御堂からは、こちらが恐縮するほどの勢いで謝罪された。みっともない姿を見せてしまった、と。
どうやら龍造との行為を、和彦と玲に見られたことは、まったく予想外だったらしい。そこで和彦は、漠然とながら理解した。御堂にとって、綾瀬との行為を見せたことと、今回の出来事は区別されているのだと。
それはつまり、自分をオンナにしていた男たちに対して抱く感情の差を表しているのだろうかと、ひどく気になった和彦だが、畳に擦りつけるほど頭を下げる御堂に、不躾な質問はぶつけられなかった。
驚きはしたものの、それ以外の感情は持っていないからと言うと、御堂が心底安堵したような表情を浮かべたのが印象的だった。もしかして、先に玲からきつい言葉でも投げつけられたのだろうかと心配したが、この疑問に対しては、御堂は言葉を濁すだけだった。
もう一人の当事者である龍造は、すでに宿泊先のホテルに戻ったということで、それを聞いて和彦は、率直にほっとした。あんな場面を見たあとでは、龍造がまるで、獰猛な獣のように思えたからだ。しかもオンナを食らう、野蛮な、しかし魅力的な獣――。
日が暮れてから三人で外に食事に出かけたが、個室に入ってからの雰囲気は、気まずくはないものの、それぞれが相手を気遣い合い、なんともぎこちがなかった。
いや、二人の〈オンナ〉と同席せざるをえなかった玲の心中は、和彦の想像も及ばない苦渋に満ちたものだったかもしれない。
今日は本当にいろいろあって疲れたと、湯船に浸かっていると、さまざまな出来事が頭の中を駆け巡る。その一つ一つを辿っていると、湯にのぼせてしまいそうだ。
風呂から出て、部屋に戻った和彦はぎょっとする。いつの間にか布団が敷かれていたからだ。もちろん、御堂がやったことだ。
御堂は怒りをぶつけるように、龍造の一つに束ねられた髪を掴んで引っ張る。ここで龍造が乱暴に腰を突き上げると、御堂が声を上げると同時に、髪を掴んでいた手が落ちる。その拍子に、指が引っかかったのか、髪をまとめていた紐が解けた。
「……あなたに、関係ないでしょう」
「関係あるだろ。お前は、俺の〈オンナ〉だ。お前を自由にする権利がある」
御堂が何か言いかけたが、龍造が唇を塞いでしまう。切迫した息遣いとともに、御堂が畳を蹴りつけた。その音で我に返った和彦は、咄嗟に玲の腕を掴んでその場を離れる。
慌しく廊下を歩きながら、真っ白になっていた思考が次第に色を取り戻していく。そこで、自分が今一番、何を気にかけなければならないのか思い出した。
立ち止まり、傍らを見る。玲は唇を引き結んではいるものの、非常に落ち着いているように見えた。むしろ和彦のほうが激しく動揺している。
「あっ、大、丈夫、か?」
上擦った声で問いかけると、一拍置いて大きく息を吐き出した玲が、短く刈った髪に指を差し込む。
「佐伯さんのほうこそ、大丈夫ですか? ……顔、赤いですよ」
「ぼくは……平気だ。びっくりしただけで――」
いつの間にか熱くなった頬を撫でた和彦は、御堂の部屋のほうにちらりと視線を向ける。龍造が言った言葉が、しっかりと耳に残っていた。
男の庇護を必要としていない今の御堂を、龍造はまだ自分のオンナ扱いしていると知り、なぜか屈辱感にも似た苦い感情が込み上げてきた。行為の最中の戯言だとしても、御堂には相応しくないと思ったせいだが、そう感じるということは、和彦自身の経験のいくつかを、御堂に投影しているのかもしれない。
「――つらそうな顔をするんですね」
ふいに玲に言われ、伏せていた視線を上げる。黒々とした瞳が、じっと和彦を見据えていた。
「そうかな……」
「自分が辱められたみたいな、そんな感じに見えます。……父さんに、そのつもりはないんですよ。見下しても、蔑んでも、嫌悪もしていない」
玲の腕を掴んでいたはずが、気がつけば和彦のほうが肘の辺りを掴まれていた。あくまで優しく、まるで宝物を扱うかのように。
「父さんは、御堂さんを――オンナを、今でも愛している」
玲の口ぶりから、〈オンナ〉の意味を理解しているようだった。
和彦は目を見開き、反射的に腕を引こうとしたが、このとき初めて、玲の手に力が加わった。
まだ十代、しかも高校生が知っていてはいけない言葉を、玲はもう一度口にした。
「佐伯さんも、オンナ、ですよね」
玲が、何をどこまで把握しているのか推し量ることはできないが、口調は確信に満ちていることだけは、わかった。
この子から、軽蔑の眼差しを向けられるのは嫌だなと思いながら、和彦は頷いた。
御堂からは、こちらが恐縮するほどの勢いで謝罪された。みっともない姿を見せてしまった、と。
どうやら龍造との行為を、和彦と玲に見られたことは、まったく予想外だったらしい。そこで和彦は、漠然とながら理解した。御堂にとって、綾瀬との行為を見せたことと、今回の出来事は区別されているのだと。
それはつまり、自分をオンナにしていた男たちに対して抱く感情の差を表しているのだろうかと、ひどく気になった和彦だが、畳に擦りつけるほど頭を下げる御堂に、不躾な質問はぶつけられなかった。
驚きはしたものの、それ以外の感情は持っていないからと言うと、御堂が心底安堵したような表情を浮かべたのが印象的だった。もしかして、先に玲からきつい言葉でも投げつけられたのだろうかと心配したが、この疑問に対しては、御堂は言葉を濁すだけだった。
もう一人の当事者である龍造は、すでに宿泊先のホテルに戻ったということで、それを聞いて和彦は、率直にほっとした。あんな場面を見たあとでは、龍造がまるで、獰猛な獣のように思えたからだ。しかもオンナを食らう、野蛮な、しかし魅力的な獣――。
日が暮れてから三人で外に食事に出かけたが、個室に入ってからの雰囲気は、気まずくはないものの、それぞれが相手を気遣い合い、なんともぎこちがなかった。
いや、二人の〈オンナ〉と同席せざるをえなかった玲の心中は、和彦の想像も及ばない苦渋に満ちたものだったかもしれない。
今日は本当にいろいろあって疲れたと、湯船に浸かっていると、さまざまな出来事が頭の中を駆け巡る。その一つ一つを辿っていると、湯にのぼせてしまいそうだ。
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