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第36話
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半ば引きずられるようにして歩きながら、この青年は一体何者なのだろうかという疑問が、わずかに働く思考を占める。自分と御堂しかいないはずの家にいるということは、侵入者なのかもしれないが、そのわりには浴衣など着ているし、何より態度が落ち着いている。まるで、この家の一員のように。
「部屋の場所、わかりますか?」
「わからない、けど、障子を開けたまま出てきたから……。それに、電気もついてる」
「だったら、わかるかな……」
独り言のように呟いた青年に連れられて、和彦は無事に元いた部屋へと戻る。慎重に布団の上に座らされると、そのまま前のめりに突っ伏しそうになったが、すかさず肩を掴まれて支えられる。
「もう少しがんばってください。すぐに水を持ってきますから」
こくりと頷いた和彦がようやく顔を上げたとき、部屋を出ていく青年の後ろ姿が一瞬見えた。スッと伸びた背筋からうなじのラインに鮮烈な若々しさを感じ、だからこそ、彼のような存在がなぜここにいるのか、やはり気になる。
そもそも、実在しているのか――。
ふっと荒唐無稽なことを考えた和彦だが、妙に納得してしまう。歴史のありそうなこの家に、凛々しい面立ちをした青年の幽霊がいたとしても、きっと不思議ではない。
幽霊なのに怖くないのはありがたいと、座った姿勢のまま崩れ込みそうになりながら、和彦は口元に笑みを湛えていた。ここで、強い力で肩を抱えられ、口元に何か押し当てられる。反射的に唇を開くと、冷たい水がゆっくりと流し込まれてきた。
ようやく喉の渇きが治まり、和彦はほっと息を吐き出す。
「ペットボトル、枕元に置いておきますから、足りなかったら飲んでください」
「……ありがとう」
促されるまま横になった和彦は目を擦ってから、わざわざ布団をかけてくれる青年を見上げながら、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にしていた。
「ぼくは――、前に君に会ったことがある、気がする……」
青年は軽く目を瞠ったあと、口元に淡い笑みを浮かべた。
「俺は、あなたをずっと前から知っている気がします。でも、会ったことはないです」
「そう、だよな……。でも、本当に、どこかで君を――」
喉が潤ってしまうと、もう和彦の眠りを妨げるものはない。青年の正体を探りたいのに、あっという間に舌が回らなくなり、目も開けていられなくなる。
睡魔の波にさらわれて意識を手放すのに、ほんの一分もかからなかった。
清道会会長は、最近体調を崩し気味なのだという。
追われるようにして総和会会長の座を退いたあと、極道の世界から完全に身を引こうとしたらしいが、清道会が請う形で、清道会会長の座に復帰した。自身に人徳や人望があったということもあるが、新しく総和会会長となった長嶺守光が巻き起こす嵐の被害を最小限に留めるため、あえて防波堤になったという面が強いのだという。
「防波堤、ですか?」
パンにバターを塗りながら、和彦は首を傾げる。一方の御堂は、フォークの先でスクランブルエッグを崩して頷く。
朝食に交わすには少々重たい話題といえるが、清道会を取り巻く状況についてさほど詳しくない和彦としては、事情に通じている御堂とゆっくり話せるのは、今の一時しかないのだ。
「清道会に対して、実はもう影響力はほとんどないんだ、清道会の会長職というのは。名前だけ、肩書きだけ。それでも留まっているのは、総和会前会長の面子を立てている間、長嶺会長も、あまり無体はできないからだ。そんな理由で、第一遊撃隊も存続を許された。わたしは一応、前会長と縁続きだから。権力争いに敗北して会長の座を退いた人間をさらに追い詰めるのは、この世界の道義的に、よろしくない。何より、無駄に敵を作るし、総和会の外に、不和の種があると知らせるようなものだ」
聞けば聞くほど、長嶺守光という存在は、恐ろしい。御堂は決して、和彦を怖がらせようという意識はないだろう。ただ、事実を淡々と告げているだけだ。
「――面子を立てる存在がいなくなったとき、長嶺会長は本気で牙を剥いてくるかもしれない。今はじわじわと締め付けているだけだが、ね。清道会は、防波堤がなくなったときの生きる道を模索しないといけない。だから今は、小さな力でも結束させようとしている」
「今日のお祝いの席は、いろいろと意味を含んでいるようですね」
「部屋の場所、わかりますか?」
「わからない、けど、障子を開けたまま出てきたから……。それに、電気もついてる」
「だったら、わかるかな……」
独り言のように呟いた青年に連れられて、和彦は無事に元いた部屋へと戻る。慎重に布団の上に座らされると、そのまま前のめりに突っ伏しそうになったが、すかさず肩を掴まれて支えられる。
「もう少しがんばってください。すぐに水を持ってきますから」
こくりと頷いた和彦がようやく顔を上げたとき、部屋を出ていく青年の後ろ姿が一瞬見えた。スッと伸びた背筋からうなじのラインに鮮烈な若々しさを感じ、だからこそ、彼のような存在がなぜここにいるのか、やはり気になる。
そもそも、実在しているのか――。
ふっと荒唐無稽なことを考えた和彦だが、妙に納得してしまう。歴史のありそうなこの家に、凛々しい面立ちをした青年の幽霊がいたとしても、きっと不思議ではない。
幽霊なのに怖くないのはありがたいと、座った姿勢のまま崩れ込みそうになりながら、和彦は口元に笑みを湛えていた。ここで、強い力で肩を抱えられ、口元に何か押し当てられる。反射的に唇を開くと、冷たい水がゆっくりと流し込まれてきた。
ようやく喉の渇きが治まり、和彦はほっと息を吐き出す。
「ペットボトル、枕元に置いておきますから、足りなかったら飲んでください」
「……ありがとう」
促されるまま横になった和彦は目を擦ってから、わざわざ布団をかけてくれる青年を見上げながら、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にしていた。
「ぼくは――、前に君に会ったことがある、気がする……」
青年は軽く目を瞠ったあと、口元に淡い笑みを浮かべた。
「俺は、あなたをずっと前から知っている気がします。でも、会ったことはないです」
「そう、だよな……。でも、本当に、どこかで君を――」
喉が潤ってしまうと、もう和彦の眠りを妨げるものはない。青年の正体を探りたいのに、あっという間に舌が回らなくなり、目も開けていられなくなる。
睡魔の波にさらわれて意識を手放すのに、ほんの一分もかからなかった。
清道会会長は、最近体調を崩し気味なのだという。
追われるようにして総和会会長の座を退いたあと、極道の世界から完全に身を引こうとしたらしいが、清道会が請う形で、清道会会長の座に復帰した。自身に人徳や人望があったということもあるが、新しく総和会会長となった長嶺守光が巻き起こす嵐の被害を最小限に留めるため、あえて防波堤になったという面が強いのだという。
「防波堤、ですか?」
パンにバターを塗りながら、和彦は首を傾げる。一方の御堂は、フォークの先でスクランブルエッグを崩して頷く。
朝食に交わすには少々重たい話題といえるが、清道会を取り巻く状況についてさほど詳しくない和彦としては、事情に通じている御堂とゆっくり話せるのは、今の一時しかないのだ。
「清道会に対して、実はもう影響力はほとんどないんだ、清道会の会長職というのは。名前だけ、肩書きだけ。それでも留まっているのは、総和会前会長の面子を立てている間、長嶺会長も、あまり無体はできないからだ。そんな理由で、第一遊撃隊も存続を許された。わたしは一応、前会長と縁続きだから。権力争いに敗北して会長の座を退いた人間をさらに追い詰めるのは、この世界の道義的に、よろしくない。何より、無駄に敵を作るし、総和会の外に、不和の種があると知らせるようなものだ」
聞けば聞くほど、長嶺守光という存在は、恐ろしい。御堂は決して、和彦を怖がらせようという意識はないだろう。ただ、事実を淡々と告げているだけだ。
「――面子を立てる存在がいなくなったとき、長嶺会長は本気で牙を剥いてくるかもしれない。今はじわじわと締め付けているだけだが、ね。清道会は、防波堤がなくなったときの生きる道を模索しないといけない。だから今は、小さな力でも結束させようとしている」
「今日のお祝いの席は、いろいろと意味を含んでいるようですね」
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