血と束縛と

北川とも

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第35話

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 ハッとした和彦は反射的に本を閉じ、傍らを見る。千尋が強い光を湛えた目で、じっと見つめていた。ただ、表情そのものは、知らない場所で放り出された子供のように不安げで、頼りない。
 この表情が演技だという気はないが、必要なときに和彦の心を効果的に揺らす術を、千尋は心得ている。甘ったれに見える青年も、立派に物騒な男の一人なのだ。
 和彦は本をベッドヘッドの上に置くと、千尋の生乾きの髪に指を絡める。
「お前、きちんと髪を乾かさなかったな」
「少しでも早く、先生の側に行きたかったから」
 臆面もなくこういうことを言える素直さが少し羨ましいと、和彦はわずかに唇を緩め、千尋の頭を引き寄せる。すると、胸元に顔を伏せて千尋が言った。
「――……先生、鷹津のことが好きなの?」
 和彦は、千尋の頭を撫でようとした手を止める。
「よく、わからない……。鷹津のことは嫌な男だと思っていたし、話していても、素直に会話を楽しむことなんてなかったし……。でも、その嫌な男なりに、ぼくに情を注いでくれたし、大事にしてくれた。言葉は悪かったけど、ぼくのことを心配してくれていたんだ」
「俺も――俺たちも、そうだよ。先生のことは大事にしてる。もちろん、言葉で表せないぐらい、大好きだ。だからこそ、どこにも行かせない」
 目を丸くした和彦は、千尋のつむじを見下ろしていたが、ようやく声を発することができる。
「そうだな……」
 千尋を抱き締めると、もぞもぞと身じろいで和彦の胸に強く顔を擦りつけてくる。パジャマの布越しに、千尋の吐息の熱がじんわりと伝わってきた。
 おとなしくしている千尋を可愛いとは思うが、その正体は、何かの拍子に暴れ出す獣だ。シャワーを浴びたばかりだということを抜きにしても、抱き締めている体が戦くほど熱くなり始めていることに、和彦はとっくに気づいていた。
 今のうちにベッドから蹴り出してしまおうかと、なかなかひどいことを考えているうちに、千尋がさらに身じろぎ、とうとう和彦の両足の上に乗り上がってくる。これでは蹴り出すことはおろか、自分が逃げ出すこともできなくなる。
「……千尋、こんな時間にじゃれ合うつもりはないからな。ぼくは、疲れてるんだ」
「いいよ。俺が勝手にじゃれるから」
「お前……」
 千尋を押し退けようとしたが、しっかりと抱きつかれる。本気で抗う気にもなれず、好きにさせておくことにする。
 和彦は手慰みに茶色の髪を撫でながら、ここのところ気になっていたことをさりげなく問いかけた。
「総和会には、出入りしているのか?」
 胸元に顔を埋めたまま千尋は頷く。
「出入りというか、先生のことがあってから一回だけ、本部に顔を出しただけだよ。……先生のことを気にかけていた。みんな、知ってるんだよ。先生は普段はマイペースで、精神的にけっこうタフな人だけど、何かの拍子にすごく塞ぎ込むってこと。だから今は、遠巻きに様子をうかがってる」
「でもお前は、こうして部屋に押しかけてきた」
「完全に放っておかれるのは嫌なんじゃないかと思って」
 自分が抱えていた人恋しさをズバリと指摘されたようで、和彦は言葉もなく千尋の髪を掻き乱す。
「――先生が何を気にしているかはわかっている。鷹津の行方だよね」
「悪い報告なら、聞きたくない」
「だったら安心して。見つかってないよ」
 安堵の吐息をつこうとした和彦だが、寸前のところで堪える。千尋が息を潜め、自分の反応をうかがっていると、なんとなく感じ取ったからだ。
「オヤジは何も言わないし、鷹津を本気で捜そうとはしてないみたいだ。その分、総和会……というより、第二遊撃隊がムキになっているようだけど。それでも、鷹津はまだ見つかってない。さすが、ヤクザを取り締まっていただけあるよ。俺たちの人捜しのやり方も把握してるんだろうな」
 話す千尋の息遣いがますます熱を帯びてきたと思ったら、いつの間にかパジャマの上着の前を開かれていた。
 てのひらが脇腹から胸元にかけて這い回り、鼻先が擦りつけられる。大きな犬に甘えられているようだと、微笑ましい気持ちになるはずもなく、和彦は真剣な表情で千尋の話に耳を傾ける。
 男たちを遠ざけていた後ろめたさがあるため、鷹津の消息について尋ねることもできなかったので、もたらされる情報はどんなものでも貴重だ。
「……俺、先生が鷹津にさらわれたと聞かされたとき、本気であの男を殺してやりたいと思った。〈俺の〉先生を、どこかに連れ去るなんて、絶対に許せない。もし、先生に怪我なんてさせてたら――」
「千尋、怖いことを言わないでくれ。まだ、刺激の強い話は聞きたくないんだ」
「鷹津が行方不明になってショックだから?」

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