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第35話
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和彦は、ここが自分に与えられた檻のようなものであることを思い出す。じろりと賢吾を睨みつけた。
「盗聴器、まだ仕掛けたままなのか……」
「どんなときでも、先生の安全には気を配らないとな」
「ものは言いようだな、まったく」
「そう言うな。先生がここにいると連絡を受けたとき、たまたま移動の途中だったから、顔だけでも見たくて、こうして寄ったんだ。会えたんだから、盗聴器さまさまだろ」
「……本当に、ものは言いようだな」
そう言って掻き上げた髪は、すっかり乾いていた。眠気はすっかりどこかに行き、心地よい充足感が手足の先まで行き渡っている。そう長い時間眠っていたわけではないが、よほどリラックスできたのだろうなと、自分の状態に和彦は複雑な心境となる。
体を起こすと、和彦の頭を見た賢吾が笑いを噛み殺したような顔をした。
「髪を乾かさないまま寝たな、先生。頭がひどいことになってるぞ」
和彦は慌てて髪を撫でる。
「いいんだ。どうせ今日はもう、誰にも会わないし」
「ということは、今日はここに泊まるのか」
この表現は変だと、互いに気づいて視線を交わす。本来は、ここが和彦の住居で、総和会本部には客として滞在している立場なのだ。それが今では、まったく逆となっている。
「これまで散々、先生に偉そうなことを言っておきながら、オヤジに対してまったく盾になれなくて、すまないな」
和彦の髪を撫でながら、苦々しい声で賢吾が言う。和彦はちらりと笑みをこぼした。
「選んだのはぼく自身だ。……この世界で生きていくために、多分、必要なことなんだろう。窒息しそうな重圧を感じるけど、単なる〈オンナ〉では、きっとあんたたちの側にはいられない。ぼくは、自分の身を守りたいんだ。怖い思いも、痛い思いもしたくないから、強い力に身を委ねる」
「……先生にそこまで言わせても、俺たちは――俺はやっぱり、先生に逃げられることを恐れてる。どんな手を使ってでも、こいつだけは絶対にどこにも行かせないと、あれこれ考えちまうんだ」
賢吾に肩を抱き寄せられ、和彦は素直に身を預ける。
「逃げることなんてできるんだろうか……」
ぽつりと和彦が洩らすと、後ろ髪を掴まれて賢吾に顔を覗き込まれる。大蛇が潜む目は、ゾクリとするほど冷たい光を湛えていた。
「逃げたいのか?」
恫喝するような問いかけから滲み出ているのは、和彦を絞め殺しかねないほどの、強い独占欲と執着心だった。我ながら度し難いと思うが、和彦は身が震えるような興奮を覚え、賢吾の頬にてのひらを押し当てる。髪を掴む手がふっと緩んだ。
「――……ぼくは、あんたたちの血肉になるそうだ。そうなったら、逃げようがないな」
「オヤジが言ったのか?」
「ああ」
「俺たちが、先生を食うのか……」
こんなふうに、と賢吾が耳元に顔を寄せ、耳朶に軽く噛みついてくる。熱い疼きが背筋を駆け抜けて、和彦は小さく声を上げていた。
「いつもは、俺たちのほうが、先生に肉を食われているのにな」
耳元でもたらされるバリトンの響きに和彦は、官能を刺激されるより先に、記憶を刺激された。
「……父子だけあって、同じようなことを言うんだな」
「大したオンナだ。父子に同じような台詞を言われたなんて、さらりと告白するんだからな」
自分の失言に気づいた和彦はうろたえ、身を捩ろうとするが、賢吾にしっかりと抱き締められる。
「じっとしてろ。あまり時間がねーんだから、先生の感触を堪能させろ」
「さんざん堪能してきただろ、いままで……」
「まだまだ足りねーな」
心地よさそうに賢吾が洩らした吐息に、気持ちがくすぐられる。一人になりたくてここに戻ってきたはずなのに、今は、賢吾と一緒にいられることが、何よりもほっとできる。
和彦はゆっくりと目を閉じると、賢吾の背にそっと両腕を回した。
「盗聴器、まだ仕掛けたままなのか……」
「どんなときでも、先生の安全には気を配らないとな」
「ものは言いようだな、まったく」
「そう言うな。先生がここにいると連絡を受けたとき、たまたま移動の途中だったから、顔だけでも見たくて、こうして寄ったんだ。会えたんだから、盗聴器さまさまだろ」
「……本当に、ものは言いようだな」
そう言って掻き上げた髪は、すっかり乾いていた。眠気はすっかりどこかに行き、心地よい充足感が手足の先まで行き渡っている。そう長い時間眠っていたわけではないが、よほどリラックスできたのだろうなと、自分の状態に和彦は複雑な心境となる。
体を起こすと、和彦の頭を見た賢吾が笑いを噛み殺したような顔をした。
「髪を乾かさないまま寝たな、先生。頭がひどいことになってるぞ」
和彦は慌てて髪を撫でる。
「いいんだ。どうせ今日はもう、誰にも会わないし」
「ということは、今日はここに泊まるのか」
この表現は変だと、互いに気づいて視線を交わす。本来は、ここが和彦の住居で、総和会本部には客として滞在している立場なのだ。それが今では、まったく逆となっている。
「これまで散々、先生に偉そうなことを言っておきながら、オヤジに対してまったく盾になれなくて、すまないな」
和彦の髪を撫でながら、苦々しい声で賢吾が言う。和彦はちらりと笑みをこぼした。
「選んだのはぼく自身だ。……この世界で生きていくために、多分、必要なことなんだろう。窒息しそうな重圧を感じるけど、単なる〈オンナ〉では、きっとあんたたちの側にはいられない。ぼくは、自分の身を守りたいんだ。怖い思いも、痛い思いもしたくないから、強い力に身を委ねる」
「……先生にそこまで言わせても、俺たちは――俺はやっぱり、先生に逃げられることを恐れてる。どんな手を使ってでも、こいつだけは絶対にどこにも行かせないと、あれこれ考えちまうんだ」
賢吾に肩を抱き寄せられ、和彦は素直に身を預ける。
「逃げることなんてできるんだろうか……」
ぽつりと和彦が洩らすと、後ろ髪を掴まれて賢吾に顔を覗き込まれる。大蛇が潜む目は、ゾクリとするほど冷たい光を湛えていた。
「逃げたいのか?」
恫喝するような問いかけから滲み出ているのは、和彦を絞め殺しかねないほどの、強い独占欲と執着心だった。我ながら度し難いと思うが、和彦は身が震えるような興奮を覚え、賢吾の頬にてのひらを押し当てる。髪を掴む手がふっと緩んだ。
「――……ぼくは、あんたたちの血肉になるそうだ。そうなったら、逃げようがないな」
「オヤジが言ったのか?」
「ああ」
「俺たちが、先生を食うのか……」
こんなふうに、と賢吾が耳元に顔を寄せ、耳朶に軽く噛みついてくる。熱い疼きが背筋を駆け抜けて、和彦は小さく声を上げていた。
「いつもは、俺たちのほうが、先生に肉を食われているのにな」
耳元でもたらされるバリトンの響きに和彦は、官能を刺激されるより先に、記憶を刺激された。
「……父子だけあって、同じようなことを言うんだな」
「大したオンナだ。父子に同じような台詞を言われたなんて、さらりと告白するんだからな」
自分の失言に気づいた和彦はうろたえ、身を捩ろうとするが、賢吾にしっかりと抱き締められる。
「じっとしてろ。あまり時間がねーんだから、先生の感触を堪能させろ」
「さんざん堪能してきただろ、いままで……」
「まだまだ足りねーな」
心地よさそうに賢吾が洩らした吐息に、気持ちがくすぐられる。一人になりたくてここに戻ってきたはずなのに、今は、賢吾と一緒にいられることが、何よりもほっとできる。
和彦はゆっくりと目を閉じると、賢吾の背にそっと両腕を回した。
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