血と束縛と

北川とも

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第34話

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 ひたすら慌しかった盆休みが終わり、和彦にとっての日常が訪れた。
 クリニックに出勤しているほうが人心地つけるというのも妙な話だが、盆休みの間、長嶺組や総和会の事情に振り回され、極道の空気というものを堪能した身としては、スタッフや患者たちに囲まれていると、身に溜まった〈毒〉が薄まっていく気がするのだ。
「毒、か――……」
 遠慮ない表現が自分でおかしくて、車の後部座席で笑いを噛み殺す。だがすぐに、あることを思い出し、今度は苦虫を噛み潰したような顔となってしまう。
 自分の中に何度となく注ぎ込まれている毒が、ドロリと蠢いたようだった。守光は〈血〉だと言ったが、きっと毒気を帯びている。
 こんなことを考えて暗澹たる気分になるのは、きっと気分転換をしていないせいだ。宿に泊まり、海で泳いだではないかと言われるかもしれないが、それでも気は抜けなかったのだ。身近に守光や賢吾がいるということは、心強い反面、息苦しさもある。
 これはわがままなのだろうかと思ったが、すぐに、これぐらいのわがままは許されてもいいではないかと、心の中で強弁する。
 とにかく、息抜きがしたかった。
 そう結論を出した和彦は、ふっと息を吐き出す。機微に聡い守光と向き合って夕食をとるのは、こういう心理状態のときには負担になる。心の奥底までさらわれているような気になるのだ。
 本部に帰宅した和彦は、出迎えてくれた吾川から思いがけないことを聞かされた。
「会長は今晩は、戻られないんですか……?」
「予定より会合が長引いたということで、現地で一泊されることにしたそうです。相手方は、長嶺会長とも旧知の仲で信頼のおける方ですし、何より、日が落ちてからの移動は、やむをえない事情以外では避けたいものです」
「……そうですか」
 車中で考えたこともあり、和彦の表情はつい複雑なものになる。
「本日は、佐伯先生に合わせて夕食もご用意させていただきますので、何か要望がございましたら――」
「だったら今晩は、外で食事を済ませたいのですが」
「外で、ですか?」
 表情をあまり変えない吾川だが、このときだけは目を丸くする。総和会本部では、できるだけ周囲の人間を困らせないよう心がけている和彦だが、守光が不在だと知り、衝動が抑え切れなくなっていた。気分転換の絶好の機会だと思ったのだ。
「少しお酒も飲みたいと思いまして」
「でしたら、佐伯先生のご希望のものを、運ばせます」
「いえ、ですから、ぼくは外で飲みたいんです……」
 和彦と吾川は、互いに困ったという表情を浮かべる。外で過ごしたい和彦と、本部内で過ごしてほしい吾川と、基本的な部分で希望が合致していないのだから仕方ない。
「なるべく佐伯先生の要望を尊重するようにと、長嶺会長から申しつかってはいるのですが……」
 独り言のようにそう呟いた吾川が、少々お待ちくださいと言い置いて、一旦部屋を出て行く。和彦はダイニングで所在なく立ち尽くしていたが、五分ほどして吾川は戻ってきた。よりによって南郷を伴って。
「――夜遊びをしたいそうだな、先生」
 身も蓋もない南郷の言葉に、和彦は顔をしかめる。吾川は、小声で南郷を窘めた。
「外食をしたいだけです。無理でしたら――」
「無理だ」
 きっぱりと断言した南郷は、和彦の驚きの表情を興味深そうに眺めたあと、もったいぶった口調で続けた。
「と言いたいところだが、夏バテ気味で弱っているあんたを、仕事以外は本部に閉じ込めておくというのも酷な話だ。オヤジさんからも、できる限りあんたのわがままは叶えてやれと言われている」
「わがまま……ですか」
「別の言い方をしていたかもしれないが、俺の耳にはこう聞こえた」
 好き勝手なことを言った南郷は、腕時計に視線を落とす。
「では、出発しようか。あんたの護衛兼遊び相手のもとに、これから送り届ける」
「えっ?」
「いるだろう。あんたのお気に入りの遊び相手が」
 南郷が誰のことを言っているのかすぐに察し、和彦は、あっ、と小さく声を上げた。


 助手席で身を捩るようにして背後を振り返った和彦は、そっとため息をつく。
「どうかしましたか?」
 ハンドルを握る中嶋の問いかけに、緩く頭を振る。
「いや、誰かついてきているんじゃないかと思って……」
「少し距離を置いて、うちの隊の人間がついてきていますよ、きっと」
 事も無げに言われ、和彦は目を見開いたあと、シートにぐったりと体を預ける。やはり出かけるのではなかったと後悔しかけたが、それでは、せっかく同行してくれている中嶋に申し訳ない。
「会長が泊まりで出ているというのに、どうして南郷さんが本部にいるんだ。側近と言われるぐらいだから、常に側にいるものじゃないのか」

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