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第33話
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同じように、鷹津にも要求するのだろうかと想像しかけたが、エレベーターの扉が開いたのをきっかけに、半ば強引に頭を切り替える。
三田村が傍らにいて、中嶋が待っていて、海がすぐ近くにあり、とりあえず今のこの時間を楽しもうと思った。和彦がそうすることを、男たちは望んでいるのだから。
中嶋と合流して、さっそく海に繰り出す。
長嶺の男たちが法要に出席している中、のんびりと自分だけ楽しんでいいのだろうかと、ささやかな罪悪感の疼きに苛まれていたのは、海に浸かってわずかな間だった。
ごくごく普通の家族やカップル、学生らしいグループたちと同じように泳ぎ、ときにはただ波に身を任せて浮かんでいると、頭の中は空っぽになる。水の心地いい冷たさと、頭上に降り注ぐ強い陽射しに、夏の一時を楽しめと諭されているようだ。
ただ、こんなに気楽なのは和彦だけのようで、砂浜で交替で荷物の番をしている中嶋は、海に入っている和彦を目で追いつつ、携帯電話で誰かとたびたび連絡を取っていた。三田村も、涼しい店に入るどころか、目立たないよう身を潜め、こちらの様子をうかがっているだろう。そういう男なのだ。
「――秦さんに羨ましがられましたよ」
休憩のためレジャーシートに座ってお茶を飲んでいると、前触れもなく中嶋が切り出す。
「羨ましがられるって……、何を?」
「今、先生と海にいて、泳いでいると言ったんです。あの人、ここのところ休み返上で仕事をしているんで、海の画像でも送りつけようかと思って」
さきほどまじめな顔で、そんなことを秦と話していたのかと、和彦は微苦笑を洩らす。
「あの男の場合、なんの仕事で忙しいのか、さっぱり見当がつかない」
「相変わらずいろいろやっているみたいですね。――長嶺組と組んで」
「気にはなるが、知りたいとは思わない。せいぜい、雑貨屋の経営が順調なのかどうかぐらいか、聞けるのは」
軽く頭を振ると、髪の先からしずくが落ちる。すかさず中嶋がタオルで拭いてくれた。
「あっ、そうだ。先生の水着姿を撮って送ろうかな」
「……男の水着姿なんて見ても、誰もおもしろくないだろう」
「先生のなら、ありがたがるかもしれませんよ」
芝居がかったニヤニヤ笑いを浮かべて、中嶋が和彦の体を見る。ここが海でなければ、多少なりと中嶋の視線を意識したのかもしれないが、和彦は動じることなく言い返す。
「だったらぼくは、女の子からナンパされている君の姿を隠し撮りして送るからな」
中嶋が急に神妙な顔となり、声を潜めた。
「見ていたんですか……」
「モテるよなー、君は。あしらい方も慣れた様子だったし。ぼくも見習わないと」
「勘弁してください。本当にあちこちの方面から、先生に余計なことは教えるなと、ときどき忠告をもらっているんですから、俺」
「――……例えば、南郷さんから?」
いくぶん声を潜めて問いかけると、中嶋は食えない笑みを浮かべて首を傾げた。
「さあ、どうでしょう」
実にわざとらしい動作で中嶋が携帯電話を手に取り、時間を確認する。
「さて先生、交替でもう一泳ぎしたら、宿に引き上げますか」
「まだ早くないか?」
「先生にはしっかりと湯に浸かって体を温めてもらって、身支度を整えてもらわないといけません。後ほど長嶺組の皆さんで、外で食事をされるそうですよ」
中嶋の説明を聞いて和彦は、顔をしかめる。
「どうして当事者のぼくが知らなくて、組の人間じゃない君が知ってるんだ」
「ギリギリまで先生に楽しんでもらいたいという配慮でしょう」
それが事実がどうかはともかく、納得するしかない。和彦はふっと息を吐き出すと、お茶をもう一口飲んだ。
スーツに着替えてロビーに降りてきた和彦を見るなり、珍しく三田村は破顔した。
「泳ぎ疲れたから、横になりたくて仕方ないという顔だ、先生」
支度を手伝ってくれた中嶋に、軽く腕を突かれる。
「三田村さんにまで言われてますよ」
「……食事に出ることを最初に教えてくれていたら、ぼくだってもう少し余力を残していたよ……」
和彦はため息交じりに応じると、髪に指を差し込む。部屋付きの風呂に入ったあと、自分でやると訴えたが、中嶋が丁寧にドライヤーで乾かしてくれたのだ。普段から何かと世話を焼いてくれる中嶋だが、今日は特に甲斐甲斐しい。本来なら詰め所で待機しているところを、和彦のおかげで自分も呼んでもらえたというのが理由のようだ。
「それで、これからぼくは、どうしたらいいんだ?」
「ここから近くにある店に、組長たちは直接向かわれるそうだから、先生にも来てほしいそうだ」
三田村が傍らにいて、中嶋が待っていて、海がすぐ近くにあり、とりあえず今のこの時間を楽しもうと思った。和彦がそうすることを、男たちは望んでいるのだから。
中嶋と合流して、さっそく海に繰り出す。
長嶺の男たちが法要に出席している中、のんびりと自分だけ楽しんでいいのだろうかと、ささやかな罪悪感の疼きに苛まれていたのは、海に浸かってわずかな間だった。
ごくごく普通の家族やカップル、学生らしいグループたちと同じように泳ぎ、ときにはただ波に身を任せて浮かんでいると、頭の中は空っぽになる。水の心地いい冷たさと、頭上に降り注ぐ強い陽射しに、夏の一時を楽しめと諭されているようだ。
ただ、こんなに気楽なのは和彦だけのようで、砂浜で交替で荷物の番をしている中嶋は、海に入っている和彦を目で追いつつ、携帯電話で誰かとたびたび連絡を取っていた。三田村も、涼しい店に入るどころか、目立たないよう身を潜め、こちらの様子をうかがっているだろう。そういう男なのだ。
「――秦さんに羨ましがられましたよ」
休憩のためレジャーシートに座ってお茶を飲んでいると、前触れもなく中嶋が切り出す。
「羨ましがられるって……、何を?」
「今、先生と海にいて、泳いでいると言ったんです。あの人、ここのところ休み返上で仕事をしているんで、海の画像でも送りつけようかと思って」
さきほどまじめな顔で、そんなことを秦と話していたのかと、和彦は微苦笑を洩らす。
「あの男の場合、なんの仕事で忙しいのか、さっぱり見当がつかない」
「相変わらずいろいろやっているみたいですね。――長嶺組と組んで」
「気にはなるが、知りたいとは思わない。せいぜい、雑貨屋の経営が順調なのかどうかぐらいか、聞けるのは」
軽く頭を振ると、髪の先からしずくが落ちる。すかさず中嶋がタオルで拭いてくれた。
「あっ、そうだ。先生の水着姿を撮って送ろうかな」
「……男の水着姿なんて見ても、誰もおもしろくないだろう」
「先生のなら、ありがたがるかもしれませんよ」
芝居がかったニヤニヤ笑いを浮かべて、中嶋が和彦の体を見る。ここが海でなければ、多少なりと中嶋の視線を意識したのかもしれないが、和彦は動じることなく言い返す。
「だったらぼくは、女の子からナンパされている君の姿を隠し撮りして送るからな」
中嶋が急に神妙な顔となり、声を潜めた。
「見ていたんですか……」
「モテるよなー、君は。あしらい方も慣れた様子だったし。ぼくも見習わないと」
「勘弁してください。本当にあちこちの方面から、先生に余計なことは教えるなと、ときどき忠告をもらっているんですから、俺」
「――……例えば、南郷さんから?」
いくぶん声を潜めて問いかけると、中嶋は食えない笑みを浮かべて首を傾げた。
「さあ、どうでしょう」
実にわざとらしい動作で中嶋が携帯電話を手に取り、時間を確認する。
「さて先生、交替でもう一泳ぎしたら、宿に引き上げますか」
「まだ早くないか?」
「先生にはしっかりと湯に浸かって体を温めてもらって、身支度を整えてもらわないといけません。後ほど長嶺組の皆さんで、外で食事をされるそうですよ」
中嶋の説明を聞いて和彦は、顔をしかめる。
「どうして当事者のぼくが知らなくて、組の人間じゃない君が知ってるんだ」
「ギリギリまで先生に楽しんでもらいたいという配慮でしょう」
それが事実がどうかはともかく、納得するしかない。和彦はふっと息を吐き出すと、お茶をもう一口飲んだ。
スーツに着替えてロビーに降りてきた和彦を見るなり、珍しく三田村は破顔した。
「泳ぎ疲れたから、横になりたくて仕方ないという顔だ、先生」
支度を手伝ってくれた中嶋に、軽く腕を突かれる。
「三田村さんにまで言われてますよ」
「……食事に出ることを最初に教えてくれていたら、ぼくだってもう少し余力を残していたよ……」
和彦はため息交じりに応じると、髪に指を差し込む。部屋付きの風呂に入ったあと、自分でやると訴えたが、中嶋が丁寧にドライヤーで乾かしてくれたのだ。普段から何かと世話を焼いてくれる中嶋だが、今日は特に甲斐甲斐しい。本来なら詰め所で待機しているところを、和彦のおかげで自分も呼んでもらえたというのが理由のようだ。
「それで、これからぼくは、どうしたらいいんだ?」
「ここから近くにある店に、組長たちは直接向かわれるそうだから、先生にも来てほしいそうだ」
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