血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
712 / 1,258
第31話

(4)

しおりを挟む
「本人は平気そうだったし、明日の朝には病院に放り込むんだ。そう肩肘張るな、先生。手に余れば、すぐに救急車を呼べばいい」
 大ざっぱな励まし方だなと思いつつも、和彦はそっと笑みをこぼす。
「今から組の者に電話して、必要なものを部屋から取ってきてもらえ。明日、ここから出勤するなら、着替えがいるだろう」
「ああ、そうさせてもらう……」
 ここでふいに、賢吾が片手を伸ばしてきて、頬に触れてくる。目を丸くする和彦に、賢吾はこう問いかけてきた。
「大丈夫か、先生?」
 気遣うように顔を覗き込まれ、和彦は苦笑を浮かべた。
「ぼくのことはいいから、あんたはこんなときぐらい、会長の心配だけしたらどうだ」
「……倒れたといいながら、周囲への牽制をすでに考えている、食えない男のことを、か」
「どこかの誰かに、よく似ていると思うが」
 視線を逸らしつつ和彦がぼそりと呟くと、傍らで聞いていた千尋が短く噴き出す。そんな千尋の頭を、和彦は手荒く撫でてやる。
「お前は、一人で先に駆けつけて、よく落ち着いていられたな。いざとなると、やっぱり肝が据わっているんだな」
 千尋はくすぐったそうに首をすくめた。スーツをしっかりと着込んでいながら、その仕種がひどく子供っぽく見えて、和彦は少しだけほっとする。
「いや、電話で聞かされたときは、さすがにびっくりしたけどさ、本部についてみっともない姿を見せるわけにはいかないじゃん。長嶺の男としては。……俺なりに、必死だったよ。じいちゃんはあの通りだから、拍子抜けしたってのもあるけど」
 長嶺組の跡目という役目を背負っているとはいえ、千尋はまだ二十一歳の青年なのだ。一人で賢吾を待っている間、不安でなかったはずがない。しかもここは、普通とは言い難い場所だ。
 千尋の頭を撫でる手つきは、つい優しくなってしまう。それに気づいたのか、千尋が人懐こい犬のように身を寄せてきたが、場所と状況を弁えろと小声で窘める。
 和彦は、二人を玄関まで見送ろうとしたが、かまわないと断られる。千尋が先に玄関に向かい、少し遅れて賢吾があとに続く。
 南郷はまるで飾り物のように、廊下に立っていた。大きな体を壁際に寄せ、千尋が通り過ぎるときに頭を下げる。さらに、あとに続く賢吾にも――。
 ふいに、賢吾が足を止め、南郷に声をかけた。この瞬間、和彦はドキリとした。
「――南郷、オヤジのこと頼むぞ。俺は頻繁に、ここに顔を出せねーからな」
「承知しています」
「それと、先生のことも。うちの先生は繊細だから、あまり窮屈な思いはさせないでやってくれ」
 南郷は一層深く頭を下げ、どんな表情を浮かべたのか確認することはできなかった。賢吾は、じっと南郷を見下ろしていた。ゾッとするほど冷ややかで無機質な、蛇の目だ。その賢吾がふっとこちらを見て、目元を和らげた。
「じゃあな、先生。あまり気張りすぎるなよ」
 和彦はぎこちなく頷いた。


 普段以上に神経が過敏になっているのか、和彦の耳は、どんな些細な物音すら拾う。たとえ、浅い眠りの最中であっても。布団に横になったまま、誰かが廊下を行き来しているのがわかった。足音を立てないよう細心の注意を払っているようだが、ほんのわずかな衣擦れの音を消すことはできない。
 和彦は寝返りを打つと、開いたままの襖へと目を向ける。少し待つと、男が部屋の前を通り過ぎた。
 今夜の和彦は、いつもの客室ではなく、守光の部屋の隣の和室を使っている。何かあっても、微かな声や物音を聞き取ることができると思ったからだ。ただ、和彦以上に、守光に仕える男たちが気を張り詰めている。何かあったときのためにと、守光の部屋の前に交代で詰めているのだ。
 何かあれば呼ぶので、安心して休んでほしいと言われている和彦だが、熟睡できるはずもなく、ウトウトしては目を覚ますということを繰り返している。
 少しの間、横になったままぼんやりとしていたが、守光のことが気になる。そうなると眠るどころではなく、和彦は起き上がって廊下に出ていた。
 隣の守光の部屋のほうを見ようとして、ぎょっとする。フットライトで照らされた廊下の隅に、大きな影があったからだ。そこに大きな獣でもうずくまっているのかと思って目を凝らすと、壁にもたれかかるようにして座った南郷だった。
 和彦が横になる前、南郷は人に呼ばれて出ていったのだが、いつの間にか戻ってきたようだ。隊を率いる南郷ほどの男なら、寝ずの番をする必要があるとも思えないが、これが、南郷なりの守光への忠義の示し方なのだろう。
 立ち尽くす和彦に、南郷がゆっくりと視線を向けてくる。たったそれだけのことなのに、和彦は心臓を掴み上げられるような威圧感を感じていた。
「――どうかしたのか、先生」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

噂好きのローレッタ

水谷繭
恋愛
公爵令嬢リディアの婚約者は、レフィオル王国の第一王子アデルバート殿下だ。しかし、彼はリディアに冷たく、最近は小動物のように愛らしい男爵令嬢フィオナのほうばかり気にかけている。 ついには殿下とフィオナがつき合っているのではないかという噂まで耳にしたリディアは、婚約解消を申し出ることに。しかし、アデルバートは全く納得していないようで……。 ※二部以降雰囲気が変わるので、ご注意ください。少し後味悪いかもしれません(主人公はハピエンです) ※小説家になろうにも掲載しています ◆表紙画像はGirly Dropさんからお借りしました (旧題:婚約者は愛らしい男爵令嬢さんのほうがお好きなようなので、婚約解消を申し出てみました)

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

結婚したくない王女は一夜限りの相手を求めて彷徨ったら熊男に国を挙げて捜索された

狭山雪菜
恋愛
フウモ王国の第三王女のミネルヴァは、側室だった母の教えの政略結婚なら拒絶をとの言葉に大人しく生きていた 成人を迎える20歳の時、国王から隣国の王子との縁談が決まったと言われ人物像に反発し、結婚を無くすために策を練った ある日、お忍びで町で買い物をしていると、熊男に体当たりされその行く先々に彼が現れた 酒場で話していると、お互い惹かれ合っている事に気が付き……… この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

【R18】両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が性魔法の自習をする話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 「両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が初めてのエッチをする話」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/902071521/575414884/episode/3378453 の続きです。 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

影の王宮

朱里 麗華(reika2854)
恋愛
王立学園の卒業式で公爵令嬢のシェリルは、王太子であり婚約者であるギデオンに婚約破棄を言い渡される。 ギデオンには学園で知り合った恋人の男爵令嬢ミーシャがいるのだ。 幼い頃からギデオンを想っていたシェリルだったが、ギデオンの覚悟を知って身を引こうと考える。 両親の愛情を受けられずに育ったギデオンは、人一倍愛情を求めているのだ。 だけどミーシャはシェリルが思っていたような人物ではないようで……。 タグにも入れましたが、主人公カップル(本当に主人公かも怪しい)は元サヤです。 すっごく暗い話になりそうなので、プロローグに救いを入れました。 一章からの話でなぜそうなったのか過程を書いていきます。 メインになるのは親世代かと。 ※子どもに関するセンシティブな内容が含まれます。 苦手な方はご自衛ください。 ※タイトルが途中で変わる可能性があります<(_ _)>

義兄に告白されて、承諾したらトロ甘な生活が待ってました。

アタナシア
恋愛
母の再婚をきっかけにできたイケメンで完璧な義兄、海斗。ひょんなことから、そんな海斗に告白をされる真名。 捨てられた子犬みたいな目で告白されたら断れないじゃん・・・!! 承諾してしまった真名に 「ーいいの・・・?ー ほんとに?ありがとう真名。大事にするね、ずっと・・・♡」熱い眼差を向けられて、そのままーーーー・・・♡。

【R18】清掃員加藤望、社長の弱みを握りに来ました!

Bu-cha
恋愛
ずっと好きだった初恋の相手、社長の弱みを握る為に頑張ります!!にゃんっ♥ 財閥の分家の家に代々遣える“秘書”という立場の“家”に生まれた加藤望。 ”秘書“としての適正がない”ダメ秘書“の望が12月25日の朝、愛している人から連れてこられた場所は初恋の男の人の家だった。 財閥の本家の長男からの指示、”星野青(じょう)の弱みを握ってくる“という仕事。 財閥が青さんの会社を吸収する為に私を任命した・・・!! 青さんの弱みを握る為、“ダメ秘書”は今日から頑張ります!! 関連物語 『お嬢様は“いけないコト”がしたい』 『“純”の純愛ではない“愛”の鍵』連載中 『雪の上に犬と猿。たまに男と女。』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高11位 『好き好き大好きの嘘』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高36位 『約束したでしょ?忘れちゃった?』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高30位 ※表紙イラスト Bu-cha作

処理中です...