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第30話
(22)
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「そんな顔をしないでくれ。前に総和会の別荘で言った通り、先生が誰と寝ようが、情を交わそうが、俺は大丈夫だ。俺は別に、人がいいわけでも、物わかりがいいわけでもなく、先生をこの世界に繋ぎとめておく鎖でいるからこそ、堂々としていられるんだ。そういう事情がなきゃ、ただの狭量でつまらない男だ」
「ぼくの〈オトコ〉に、ひどい言いようだな」
和彦がちらりと笑い返すと、三田村は目元を和らげる。ヤクザとは思えない表情だが、自分に対してだけなのだと思うと、現金なもので、誇らしい気持ちになる。
来た道を引き返そうとすると、三田村がすぐ背後をついて歩く。狭い道なので、並んで歩くと傘がぶつかるのだ。
「組長に試されていると思うんだ。寛容な男を装って、実は嫉妬深い組長は、ぼくの反応をうかがっていた。……きっと、ぼくが動揺するとわかっていた」
歩きながら和彦が話しても、背後から返事はない。三田村としては、賢吾の批判とも取れる内容に、迂闊に相槌も打てないだろう。和彦以外、聞いていないというのに。
「……鷹津のこと、組長に交渉しないといけないだろうな。ぼくはあの男と寝てはいるけど、情に溺れているからじゃない。実家のことを探ってもらうのに、組の人間は使いたくないんだ。ぼくが気兼ねなく使えるのは、あの男だけだから」
「先生は甘くて優しい人間だが、情だけじゃ絶対溶かせない、氷の部分を持っているようだ。それが嫌だというんじゃなく、むしろその部分が――男を惹きつける。先生みたいな人に手酷く扱われたいと、妙な考えを起こさせるんだ」
「ぼくは、自分が甘い人間だと思うことはあっても、優しい人間だと思ったことは、一度もない。そんなぼくを優しいと感じる男たちが、ぼくは怖い」
だが、その男たちが、和彦を大事に守ってくれてもいる。離れようにも、もう離れられない存在なのだ。
細いレンガ道を出た和彦は、三田村を振り返る。優しい声で話し続けていた三田村だが、表情は険しかった。鷹津の存在を危惧していたのか、和彦がこの物騒な世界から逃げ出したいと、頭の片隅でわずかでも考えたことを感じ取ったのか。
和彦は、三田村がときおり見せる激しさや鋭さが、愛しかった。自分は執着されていると、強く実感できるからだ。
賢吾のことは言えない。和彦もまた、三田村を試している。――大切に想っているからこそ。
マンションまでの道を、ようやく並んで歩きながら、和彦は抑えた声で問いかけた。
「三田村、わがままを言っていいか?」
「俺に叶えられることなら」
「……これから、部屋に行きたい」
部屋というのは、もちろんマンションの部屋ではない。三田村と二人きりで過ごせる部屋のことだ。
三田村が困ったような表情を浮かべたので、和彦は一瞬ドキリとする。断られるのではないかと身構えたが、そうではなかった。
「それはわがままじゃないな。俺が、先生を部屋に連れて行きたいんだから」
まじまじと三田村の横顔を見つめてから、笑みをこぼした和彦は、こう思わずにはいられなかった。
若頭補佐は、いつでも自分に甘い、と。
三田村の腕の中でじっとしていると、外から微かな雨音が聞こえてくる。快感の余韻に浸りながら和彦は、もうすぐ梅雨が終わる頃だなと、ぼんやりと考えていた。
ふと視線を上げると、眠っているとばかり思った三田村が、じっとこちらを見ていた。和彦も見つめ返しながら、三田村の頬を撫で、あごにうっすらと残る傷跡に指先を這わせる。
「まだ午前中だ。眠ったらどうだ、先生」
三田村の言葉に、つい苦笑を洩らす。日曜日の朝から、淫らな行為に耽っていたのだと改めて実感したからだ。
「興奮して、眠れるわけがない。それに、時間がもったいない」
日曜日の退屈を持て余していた和彦とは違い、三田村は夕方から事務所に顔を出さなければならないのだそうだ。
本宅にいる間、人に囲まれての生活が心地よく思え、マンションに戻ってきてからは、一人でいるのは気楽だと思った。そして今、三田村と二人きりでいるのは、心が安らぐ。
和彦から顔を寄せ、三田村の唇にそっと触れる。すぐに三田村も応えてくれ、戯れのように唇を啄み、舌先を触れ合わせる。和彦は、三田村の腰から背へとてのひらを這わせる。行為の最中、何度もまさぐり、爪を立てたが、まだ触れ足りない。
「――……目の色が変わった」
和彦の目元に唇を押し当てた三田村が、ひそっと囁いてくる。触れた息遣いの熱さに官能を刺激され、和彦は小さく声を洩らす。
「これ、好きなんだ」
『これ』とはもちろん、三田村が背負っている虎の刺青のことだ。ここで和彦は、言葉が足りなかったことに気づき、まじめな顔で付け加える。
「ぼくの〈オトコ〉に、ひどい言いようだな」
和彦がちらりと笑い返すと、三田村は目元を和らげる。ヤクザとは思えない表情だが、自分に対してだけなのだと思うと、現金なもので、誇らしい気持ちになる。
来た道を引き返そうとすると、三田村がすぐ背後をついて歩く。狭い道なので、並んで歩くと傘がぶつかるのだ。
「組長に試されていると思うんだ。寛容な男を装って、実は嫉妬深い組長は、ぼくの反応をうかがっていた。……きっと、ぼくが動揺するとわかっていた」
歩きながら和彦が話しても、背後から返事はない。三田村としては、賢吾の批判とも取れる内容に、迂闊に相槌も打てないだろう。和彦以外、聞いていないというのに。
「……鷹津のこと、組長に交渉しないといけないだろうな。ぼくはあの男と寝てはいるけど、情に溺れているからじゃない。実家のことを探ってもらうのに、組の人間は使いたくないんだ。ぼくが気兼ねなく使えるのは、あの男だけだから」
「先生は甘くて優しい人間だが、情だけじゃ絶対溶かせない、氷の部分を持っているようだ。それが嫌だというんじゃなく、むしろその部分が――男を惹きつける。先生みたいな人に手酷く扱われたいと、妙な考えを起こさせるんだ」
「ぼくは、自分が甘い人間だと思うことはあっても、優しい人間だと思ったことは、一度もない。そんなぼくを優しいと感じる男たちが、ぼくは怖い」
だが、その男たちが、和彦を大事に守ってくれてもいる。離れようにも、もう離れられない存在なのだ。
細いレンガ道を出た和彦は、三田村を振り返る。優しい声で話し続けていた三田村だが、表情は険しかった。鷹津の存在を危惧していたのか、和彦がこの物騒な世界から逃げ出したいと、頭の片隅でわずかでも考えたことを感じ取ったのか。
和彦は、三田村がときおり見せる激しさや鋭さが、愛しかった。自分は執着されていると、強く実感できるからだ。
賢吾のことは言えない。和彦もまた、三田村を試している。――大切に想っているからこそ。
マンションまでの道を、ようやく並んで歩きながら、和彦は抑えた声で問いかけた。
「三田村、わがままを言っていいか?」
「俺に叶えられることなら」
「……これから、部屋に行きたい」
部屋というのは、もちろんマンションの部屋ではない。三田村と二人きりで過ごせる部屋のことだ。
三田村が困ったような表情を浮かべたので、和彦は一瞬ドキリとする。断られるのではないかと身構えたが、そうではなかった。
「それはわがままじゃないな。俺が、先生を部屋に連れて行きたいんだから」
まじまじと三田村の横顔を見つめてから、笑みをこぼした和彦は、こう思わずにはいられなかった。
若頭補佐は、いつでも自分に甘い、と。
三田村の腕の中でじっとしていると、外から微かな雨音が聞こえてくる。快感の余韻に浸りながら和彦は、もうすぐ梅雨が終わる頃だなと、ぼんやりと考えていた。
ふと視線を上げると、眠っているとばかり思った三田村が、じっとこちらを見ていた。和彦も見つめ返しながら、三田村の頬を撫で、あごにうっすらと残る傷跡に指先を這わせる。
「まだ午前中だ。眠ったらどうだ、先生」
三田村の言葉に、つい苦笑を洩らす。日曜日の朝から、淫らな行為に耽っていたのだと改めて実感したからだ。
「興奮して、眠れるわけがない。それに、時間がもったいない」
日曜日の退屈を持て余していた和彦とは違い、三田村は夕方から事務所に顔を出さなければならないのだそうだ。
本宅にいる間、人に囲まれての生活が心地よく思え、マンションに戻ってきてからは、一人でいるのは気楽だと思った。そして今、三田村と二人きりでいるのは、心が安らぐ。
和彦から顔を寄せ、三田村の唇にそっと触れる。すぐに三田村も応えてくれ、戯れのように唇を啄み、舌先を触れ合わせる。和彦は、三田村の腰から背へとてのひらを這わせる。行為の最中、何度もまさぐり、爪を立てたが、まだ触れ足りない。
「――……目の色が変わった」
和彦の目元に唇を押し当てた三田村が、ひそっと囁いてくる。触れた息遣いの熱さに官能を刺激され、和彦は小さく声を洩らす。
「これ、好きなんだ」
『これ』とはもちろん、三田村が背負っている虎の刺青のことだ。ここで和彦は、言葉が足りなかったことに気づき、まじめな顔で付け加える。
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