683 / 1,262
第30話
(1)
しおりを挟むファミリーレストランで、三田村と向かい合って朝食をとるというのも、なんだか妙な感じだった。
パンを一口かじった和彦は、何げなく視線を上げてドキリとする。三田村が、フォークを持ったまま、じっとこちらを見つめていたからだ。
優しい眼差しだった。柔らかな感情のすべてを傾けて、和彦を包み込もうとしているような、そんな眼差しだ。
慌しい空気に満ちている店内にあって、自分たちがついているテーブルだけ、異質な空気が漂っているのではないかと、少し和彦は心配になってくる。
いつもなら、周囲の様子に気を配るのは三田村の役目のような気がするが、今朝ばかりは様子が違う。
「……そんなに眺めるほど、ぼくは変わってないだろ。寝不足で、目の下に隈ができているぐらいだ」
さすがに気恥ずかしくなってきて、ぼそぼそと和彦が洩らすと、三田村はわずかに目を丸くしたあと、口元に苦笑を湛えた。
「正直、先生が落ち込んでいるかもしれないと、ずっと心配していたんだ。しかも、クリニックも休まないと聞かされて、驚いた。先生のことだから、周囲の人間に迷惑をかけまいと、無理をしているんじゃないか」
「無理か……」
パンを置いた和彦は、ふっと息を吐き出す。
今朝は、早い時間に賢吾と一緒に総和会本部を出て、自宅マンションに寄ってもらった。ゆっくりする間もなく出勤の準備をする傍ら、三田村に連絡を取ったのだ。本当は、声を聞くだけで満足するつもりだったのだが、三田村のほうから、朝食を一緒にとらないかと誘ってくれ、今のこの状況だ。
「無理ならしている。肉体的にも精神的にも疲れているから、本当なら今日一日ぐらい、部屋でゆっくり過ごしてもよかったのかもしれない。だけど、そう思う以上に――ぼくの日常を取り戻したかったんだ。自分は、実家の事情に引きずられたりしないと強がりたい……、と言ってもいいのかな」
「先生は、タフだ」
そう呟いた三田村の口調は、苦々しさに満ちていた。和彦の無理を窘めたい気持ちがある一方で、和彦の気持ちも汲み取っている、三田村の誠実さが滲み出ているようだ。
「……今はまだ、感情が麻痺しているんだろうな。苦行のようだった兄さんとの対面を終えて、だけど何も片付いてない自分の状況とか、ぼくだけの問題じゃない事情とか、複雑すぎて思考が追いつかない。隠れ家で一人で過ごしながら、あれこれ考えてはみたけど、現実味が伴わないというか、実感が湧かなくて……」
さらに、長嶺の男二人のやり取りを見ていて、それぞれの事情がぶつかり合い、とてつもない嵐を巻き起こしたりはしないだろうかと、危惧も抱いている。
ただ、和彦自身が処理できる問題など、ほんの些細なものだ。もしかすると、こちらの世界に身を置き、男たちに守られている限り、何もできないかもしれない。
和彦は、テーブルの上に置かれた三田村の片手をぼんやりと見つめる。人目がなければ、すぐにでもその手を握り締めて、三田村のぬくもりを感じたかった。今朝まで賢吾の体温に包まれていながら、こう考えてしまう自分は、度し難いほど欲深いと和彦は思う。
「先生?」
ハスキーな声で呼ばれて我に返る。和彦は反射的に三田村に笑いかけた。
「また、あんたに会えてよかった。ただ兄さんと会って話をするだけだとわかってはいても、もしかすると連れ去られていたかもしれないんだ。……本当に、よかった」
「それは俺の台詞だ、先生。無事だと報告は受けていたけど、先生から直接連絡をもらって、ようやく実感できた。戻ってきてくれたんだと」
まるで砂が水を吸い込むように、三田村の優しさが心に染み込んでくる。もっと三田村と話していたいが、あまり時間はなかった。
和彦は腕時計でちらりと時間を確認して、ため息を洩らす。そんな和彦に対して、三田村はこう提案してくれた。
「今朝は俺が、先生をクリニックまで送っていきたいんだが――、かまわないか?」
「若頭補佐の運転で出勤なんて、贅沢だな」
和彦の冗談に、三田村は照れたようにちらりと笑みをこぼした。
「――うん、バタバタしていて、連絡が遅くなってごめん」
話しながら和彦は、座椅子の背もたれに体を預ける。電話の向こうに里見がいると思うと、気持ちがざわつく。後ろめたさと、電話越しでも伝わってくる空気の心地よさと、それらを容易に上回ってしまう緊張と。
里見の隣で、英俊が耳を澄ませていないとは言えない。里見の穏やかな声はいつもと変わらず、何かを感じさせるものではないが、和彦としてはどうしても慎重になってしまう。
『簡潔にだけど、英俊くんから話は聞いたよ。激しいやり取りがあったのだろうとは思ったけど、君の緊張した口ぶりを聞いていると、やっぱり、といったところかな』
39
お気に入りに追加
1,335
あなたにおすすめの小説
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。
かーにゅ
BL
「君は死にました」
「…はい?」
「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」
「…てんぷれ」
「てことで転生させます」
「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」
BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。
貧乏大学生がエリート商社マンに叶わぬ恋をしていたら、玉砕どころか溺愛された話
タタミ
BL
貧乏苦学生の巡は、同じシェアハウスに住むエリート商社マンの千明に片想いをしている。
叶わぬ恋だと思っていたが、千明にデートに誘われたことで、関係性が一変して……?
エリート商社マンに溺愛される初心な大学生の物語。
転売屋(テンバイヤー)は相場スキルで財を成す
エルリア
ファンタジー
【祝!なろう2000万アクセス突破!】
転売屋(テンバイヤー)が異世界に飛ばされたらチートスキルを手にしていた!
元の世界では疎まれていても、こっちの世界なら問題なし。
相場スキルを駆使して目指せ夢のマイショップ!
ふとしたことで異世界に飛ばされた中年が、青年となってお金儲けに走ります。
お金は全てを解決する、それはどの世界においても同じ事。
金金金の主人公が、授かった相場スキルで私利私欲の為に稼ぎまくります。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
灰かぶり君
渡里あずま
BL
谷出灰(たに いずりは)十六歳。平凡だが、職業(ケータイ小説家)はちょっと非凡(本人談)。
お嬢様学校でのガールズライフを書いていた彼だったがある日、担当から「次は王道学園物(BL)ね♪」と無茶振りされてしまう。
「出灰君は安心して、王道君を主人公にした王道学園物を書いてちょうだい!」
「……禿げる」
テンション低め(脳内ではお喋り)な主人公の運命はいかに?
※重複投稿作品※
成長率マシマシスキルを選んだら無職判定されて追放されました。~スキルマニアに助けられましたが染まらないようにしたいと思います~
m-kawa
ファンタジー
第5回集英社Web小説大賞、奨励賞受賞。書籍化します。
書籍化に伴い、この作品はアルファポリスから削除予定となりますので、あしからずご承知おきください。
【第七部開始】
召喚魔法陣から逃げようとした主人公は、逃げ遅れたせいで召喚に遅刻してしまう。だが他のクラスメイトと違って任意のスキルを選べるようになっていた。しかし選んだ成長率マシマシスキルは自分の得意なものが現れないスキルだったのか、召喚先の国で無職判定をされて追い出されてしまう。
一方で微妙な職業が出てしまい、肩身の狭い思いをしていたヒロインも追い出される主人公の後を追って飛び出してしまった。
だがしかし、追い出された先は平民が住まう街などではなく、危険な魔物が住まう森の中だった!
突如始まったサバイバルに、成長率マシマシスキルは果たして役に立つのか!
魔物に襲われた主人公の運命やいかに!
※小説家になろう様とカクヨム様にも投稿しています。
※カクヨムにて先行公開中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる