血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
670 / 1,268
第29話

(15)

しおりを挟む
「そう慌てるな。今、風呂を掃除しているところだ。散歩して汗をかいて帰ったぐらいで、ちょうどいい頃だ」
「……だったら、部屋で待ってます」
「なら、俺もつき合おう。なんなら、添い寝してやろうか?」
 小馬鹿にしたような口調で南郷に言われ、和彦は唇を引き結ぶ。あからさまに昨夜の行為を匂わされると、ムキになって断ることすら、屈辱感に襲われる。引き返したところで、南郷なら本当に部屋に押しかけてきそうだと思い、仕方なく和彦は折れた。
 この状況で南郷との力関係ははっきりしており、和彦ができるのは、南郷を怒らせない程度にささやかな抵抗を示すことだけなのだ。
 痛い目には遭いたくないと、無意識のうちに和彦は、自分の左頬に触れていた。
 昨日、英俊に撲たれた頬は、とっくに痛みは消えているが、受けた衝撃を蘇らせるのは容易い。憂うつな気持ちに、投げ遣りな心境も加わった。
 和彦が沈黙したことを承諾と受け取ったらしく、南郷が歩き出す。向かったのは、昨日、ここを訪れたときに気づいた、建物の傍らにある石造りの階段だった。
「――ここを下りていくと、村があった場所に出る」
 ゆったりとした足取りで階段を下りつつ南郷が言う。後ろからついて歩きながら、和彦は話を聞く。興味がないからと、耳を塞ぐのはあまりに大人げがなさすぎる。
「村があった?」
「ずいぶん前に廃村になった。山が寂れて、村を出ていく人間が増えて、残った人間も生活が不便になって、やむなく山を下りる。そんな場所の家を嬉々として買うのは、俺たちのような者というわけだ」
「……南郷さん、ここに来るのは初めてじゃないようですね」
 南郷が、肩越しにちらりと振り返る。
「あの家を使うときは大抵、目が離せない人間を閉じ込めて、息が詰まるような時間を過ごすんだが、今回は、違う意味で緊張する。あんたに怪我でもさせたら、俺は指を落として謝罪しなきゃいけなくなるからな」
「謝罪って、誰に……」
「もちろん、長嶺の男たちに。それ以外にも、あんたのファンは多いからな。どれだけ恨まれるか」
 ここで階段が終わり、なだらかな下り坂へと変わるが、道は舗装されておらず、昨夜の雨でぬかるみ、ところどころ水溜りもできている。和彦は立ち止まり、自分の足元に視線を落とす。こんな事態になるとは想定していなかったため、下駄箱に入っていたサンダルを借りて履いているのだ。
 本気で引き返したくなったが、そんな和彦を煽るように、南郷がヌケヌケと提案してくる。
「歩きたくないなら、背負おうか?」
「けっこうですっ」
「だったら――」
 肩に南郷の腕が回され、しっかりと抱き寄せられる。突然のことに数秒ほど動けなかった和彦だが、南郷に歩くよう促されたことで我に返る。
「何するんですかっ」
 大きく身を捩って逃れようとしたが、その途端、強く肩を掴まれた。和彦は、自分でもどうかと思うほど、南郷が醸し出す凶暴性を恐れている。たとえ露骨に見せつけられなくても、気配を感じさせられただけで、身が竦む。
 南郷は、そんな和彦の怯えをよくわかっている。そのうえで、とぼける。
「そんなに恥ずかしがらなくても、この辺りには誰もいない。もしかすると、熊やイノシシが飛び出してくるかもしれないがな。だからこそ、俺の側にいたほうがいい」
 Tシャツを通して感じる南郷の手は、汗ばんでくるほど熱かった。その体温が、昨夜体中に這わされたことを思い出し、暑さのせいばかりではなく、体が熱くなってくる。
 南郷は、落ち着かない和彦の反応を楽しんでいるのだろう。この男のことをよく知っているわけではないが、そういう性質の持ち主だと確信めいたものがある。
 ぬかるんだ道を歩き続けているうちに、朽ちた家に行き当たった。窓ガラスは割れており、屋根は一部が落ちかけている。放置されてずいぶん経っているようで、家の周囲を塀で囲ってはあるものの、内と外の区別もつかないほど、背の高い雑草が生い茂っている。
 さらに歩くと、似たような家がぽつぽつと建っており、いつの間にか集落に入っていたことに気づく。家だけではなく、かつては人が行き交っていたであろう道も畑も、何もかもが荒れてしまい、山の一部となりかけているのだ。
 和彦は首筋を流れ落ちる汗を手の甲で拭う。蒸し暑いのは和彦だけではないようで、南郷のほうも、浅黒い肌が汗で濡れている。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

どうやら俺は悪役令息らしい🤔

osero
BL
俺は第2王子のことが好きで、嫉妬から編入生をいじめている悪役令息らしい。 でもぶっちゃけ俺、第2王子のこと知らないんだよなー

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?

おとなりさん

すずかけあおい
BL
お隣さん(攻め)にお世話?されている受けの話です。 一応溺愛攻めのつもりで書きました。 〔攻め〕謙志(けんし)26歳・会社員 〔受け〕若葉(わかば)21歳・大学3年

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう
BL
 オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。  世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。  バランサー。  アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。  これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。  裏社会のトップにして最強のアルファ攻め  ×  最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け ※オメガバース特殊設定、追加性別有り .

a pair of fate

みか
BL
『運命の番』そんなのおとぎ話の中にしか存在しないと思っていた。 ・オメガバース ・893若頭×高校生 ・特殊設定有

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

処理中です...