651 / 1,267
第28話
(22)
しおりを挟む
「電話の声から察してはいたが、機嫌が悪そうだな」
「……悪いよ。オヤジだけじゃなく、じいちゃんまで、先生のことで俺を除け者にしてたんだから」
「なんだ。拗ねているのか」
千尋がムキになって言い返そうとしたが、さすがに守光のほうが遥かに上手だ。千尋の怒りをあっさりと躱すと、和彦に向き直る。
「先生、夕食はとったかね?」
「いえ、まだです……」
「だったら、すぐに準備をさせよう。わしは早めにとったし、千尋は――あとでよかろう。一刻も早く、わしと話をしたいようだからな」
自分も同席すると和彦は訴えたが、意外なことに、世代の違う長嶺の男二人の意見は一致した。
〈オンナ〉を巻き込む話ではない、と。
言い方は違えど、和彦の意思は関係なく、千尋と守光、どちらかが決定したことに従えばいいと言いたいのだ。それは傲慢だと、腹を立てる過程はとっくに過ぎている。和彦はずっと、長嶺の男たちのオンナとして、執着心や独占欲というものに揉まれ、または守られてきた。
「あんたはここで寛いでいるといい。――自分の部屋だと思って」
千尋とともに玄関に向かう守光にそう言われ、和彦は返事に困る。二人は別室で話をするそうだが、だとしたら、自分の役割はと思ったのだ。英俊と会うという結論はすでに出ており、千尋がどれだけ拗ねて、不満を漏らそうが無駄なのだ。
千尋の扱い方を心得ている一人である守光に、何の考えもないとは思えないが。
「先生、絶対帰らないでよね」
不機嫌そうな千尋に念を押され、和彦は観念する。
「わかっている。……気に食わないからといって、暴れるなよ」
「じいちゃん相手に、そんな命知らずなこと、するわけないじゃん」
千尋なりの冗談なのだろうが、口元に薄い笑みを湛えている守光の佇まいを見ていると、とても気軽に応じる気にはなれない。
曖昧な表情で返す和彦を一人残し、守光と千尋が出て行く。
少しの間その場に立ち尽くし、ぼうっとドアを見つめていたが、我に返ると、急に居心地の悪さに襲われる。本来なら今頃、外で夕食を済ませ、そろそろ自宅マンションに戻っていたはずなのだ。
どうしようかと逡巡したものの、この建物から出ることなどできるはずもなく、仕方なくダイニングへと移動する。
イスに腰掛けてもやはり落ち着かなくて、手持ち無沙汰ということもあり、携帯電話を取り出す。千尋の言葉を信じないわけではないが、賢吾に連絡を取ってみようと思ったのだ。
だがやはり、賢吾の携帯電話はすぐに留守電のメッセージへと切り替わる。さすがに、賢吾の護衛についている組員とは連絡が取れるだろうが、そこまでする気にはなれなかった。なんといっても、危険な目に遭っているわけではなく、長嶺の男二人とともに、堅固な要塞の中にいるような状況だ。危険のほうから避けていくだろう。
ため息をついた携帯電話をテーブルに置いた途端、背後に気配を感じる。飛び上がらんばかりに驚いて振り返ると、守光の生活全般の世話をしている男が立っていた。この本部に詰めている男たちの中では年配の部類に入るだろう。物腰は柔らかいが、まったく隙のない所作で、ここに滞在する和彦の世話もしてくれている。
「お待たせして申し訳ありません。すぐに夕食をお運びしますから」
「あっ、いえ……、こちらこそ突然、押しかけてしまって……」
動揺を押し殺しつつ和彦が答えると、珍しく男がふっと表情を和らげる。
「長嶺組長と千尋さんにだけ許された特権ですよ。それと、佐伯先生と。こういう突然の事態を、会長は喜ばれています。昔から、波乱を好まれる性質の方ですから」
そんなに昔から守光の仕えているのかと尋ねたかったが、男はあっという間に表情を消して言葉を続けた。
「今夜はお泊まりになるとうかがいましたので、着替えは脱衣所に準備しておきます。食事をとられたら、湯をお使いください」
いつの間にそんなことになったのかと思ったが、一礼して立ち去る男に疑問をぶつけることはできなかった。
再びダイニングに一人となった和彦は、今度は慎重に廊下のほうの気配をうかがってから、改めてため息をつく。
車中での千尋の台詞ではないが、自分は体よく長嶺の男たちに振り回されているなと、いまさらなことを痛感させられていた。
だからといって逃げ出す気は毛頭ないのだが、そのことを千尋に理解させられるか、和彦には自信がなかった。普段は物分りがよい顔をしている千尋だが、胸の内に抱え持つ独占欲や執着心は、子供のように純粋で、強烈だ。一旦ある考えに囚われてしまうと、他人の言葉など聞こえないし、感情に抑制が利かない。
それを、一途とも呼ぶのかもしれないが。
「……悪いよ。オヤジだけじゃなく、じいちゃんまで、先生のことで俺を除け者にしてたんだから」
「なんだ。拗ねているのか」
千尋がムキになって言い返そうとしたが、さすがに守光のほうが遥かに上手だ。千尋の怒りをあっさりと躱すと、和彦に向き直る。
「先生、夕食はとったかね?」
「いえ、まだです……」
「だったら、すぐに準備をさせよう。わしは早めにとったし、千尋は――あとでよかろう。一刻も早く、わしと話をしたいようだからな」
自分も同席すると和彦は訴えたが、意外なことに、世代の違う長嶺の男二人の意見は一致した。
〈オンナ〉を巻き込む話ではない、と。
言い方は違えど、和彦の意思は関係なく、千尋と守光、どちらかが決定したことに従えばいいと言いたいのだ。それは傲慢だと、腹を立てる過程はとっくに過ぎている。和彦はずっと、長嶺の男たちのオンナとして、執着心や独占欲というものに揉まれ、または守られてきた。
「あんたはここで寛いでいるといい。――自分の部屋だと思って」
千尋とともに玄関に向かう守光にそう言われ、和彦は返事に困る。二人は別室で話をするそうだが、だとしたら、自分の役割はと思ったのだ。英俊と会うという結論はすでに出ており、千尋がどれだけ拗ねて、不満を漏らそうが無駄なのだ。
千尋の扱い方を心得ている一人である守光に、何の考えもないとは思えないが。
「先生、絶対帰らないでよね」
不機嫌そうな千尋に念を押され、和彦は観念する。
「わかっている。……気に食わないからといって、暴れるなよ」
「じいちゃん相手に、そんな命知らずなこと、するわけないじゃん」
千尋なりの冗談なのだろうが、口元に薄い笑みを湛えている守光の佇まいを見ていると、とても気軽に応じる気にはなれない。
曖昧な表情で返す和彦を一人残し、守光と千尋が出て行く。
少しの間その場に立ち尽くし、ぼうっとドアを見つめていたが、我に返ると、急に居心地の悪さに襲われる。本来なら今頃、外で夕食を済ませ、そろそろ自宅マンションに戻っていたはずなのだ。
どうしようかと逡巡したものの、この建物から出ることなどできるはずもなく、仕方なくダイニングへと移動する。
イスに腰掛けてもやはり落ち着かなくて、手持ち無沙汰ということもあり、携帯電話を取り出す。千尋の言葉を信じないわけではないが、賢吾に連絡を取ってみようと思ったのだ。
だがやはり、賢吾の携帯電話はすぐに留守電のメッセージへと切り替わる。さすがに、賢吾の護衛についている組員とは連絡が取れるだろうが、そこまでする気にはなれなかった。なんといっても、危険な目に遭っているわけではなく、長嶺の男二人とともに、堅固な要塞の中にいるような状況だ。危険のほうから避けていくだろう。
ため息をついた携帯電話をテーブルに置いた途端、背後に気配を感じる。飛び上がらんばかりに驚いて振り返ると、守光の生活全般の世話をしている男が立っていた。この本部に詰めている男たちの中では年配の部類に入るだろう。物腰は柔らかいが、まったく隙のない所作で、ここに滞在する和彦の世話もしてくれている。
「お待たせして申し訳ありません。すぐに夕食をお運びしますから」
「あっ、いえ……、こちらこそ突然、押しかけてしまって……」
動揺を押し殺しつつ和彦が答えると、珍しく男がふっと表情を和らげる。
「長嶺組長と千尋さんにだけ許された特権ですよ。それと、佐伯先生と。こういう突然の事態を、会長は喜ばれています。昔から、波乱を好まれる性質の方ですから」
そんなに昔から守光の仕えているのかと尋ねたかったが、男はあっという間に表情を消して言葉を続けた。
「今夜はお泊まりになるとうかがいましたので、着替えは脱衣所に準備しておきます。食事をとられたら、湯をお使いください」
いつの間にそんなことになったのかと思ったが、一礼して立ち去る男に疑問をぶつけることはできなかった。
再びダイニングに一人となった和彦は、今度は慎重に廊下のほうの気配をうかがってから、改めてため息をつく。
車中での千尋の台詞ではないが、自分は体よく長嶺の男たちに振り回されているなと、いまさらなことを痛感させられていた。
だからといって逃げ出す気は毛頭ないのだが、そのことを千尋に理解させられるか、和彦には自信がなかった。普段は物分りがよい顔をしている千尋だが、胸の内に抱え持つ独占欲や執着心は、子供のように純粋で、強烈だ。一旦ある考えに囚われてしまうと、他人の言葉など聞こえないし、感情に抑制が利かない。
それを、一途とも呼ぶのかもしれないが。
27
お気に入りに追加
1,359
あなたにおすすめの小説
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる