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第28話
(9)
しおりを挟む窓際に置かれたソファに腰掛けた和彦は、半ば感心しながら辺りを見回す。前回、この場所を訪れたのは、桜の花が見頃を過ぎた頃だったが、あれから一か月少々しか経っていないというのに、ずいぶん様子が変わっていた。
「すごいな。もう一週間もすると、開店できるんじゃないか」
和彦の言葉に、段ボールの中を確認していた秦が顔を上げる。普段、スーツで決めていることの多い男だが、今日はジーンズにTシャツという軽装だ。だが、嫌味なぐらい様になっている。
「とりあえず、雑貨屋としての体裁を整えておく必要がありますから、商品の手配だけは急がせたんですよ」
「急がせてどうにかなるものなんだな」
「持つべきものは、手広く商売をやっている親族です。少々高くつきましたが、店の改装費用を抑えられたので、まあ長嶺組長も笑って許してくれるでしょう」
和彦は立ち上がると、店内のあちこちに置かれた大きな段ボールを避けつつ、歩いて見て回る。元はカフェだったというテナントは、夜桜見物をしたときにはあったテーブルもイスも片付けられており、その代わり、木製のシェルフやラック、デスクが運び込まれている。これだけで、ここが雑貨屋に生まれ変わるのだと感じられる。
「壁紙を張り替えはしましたけど、床材は木目できれいだったので、そのまま使っているんです。あとは、照明器具ですね。商品が届いたので、今週中にでも揃えて、早々に工事をしてもらう予定です」
秦の説明を聞きながら和彦は、カウンターの向こう側を覗き込む。きれいに片付けられた小さな厨房があった。
「ここはどうするんだ? 雑貨屋なら、使わないだろ」
「お客様に紅茶やハーブティーをお出ししましょうか。水廻りを潰すとなると、それはそれで費用と手間がかかりますし。雑貨に囲まれてお茶会を開くというのも、楽しそうですね」
「……君が店に出ると、雑貨を見るためじゃなくて、君に相手をしてほしい女性客が殺到するんじゃないか」
「先生も、クリニック経営の息抜きに、店に出てみませんか? 雑貨屋としての儲けは期待されていないとはいえ、経営者としては、やっぱりあれこれ努力はしてみたくなるものなんですよ」
十分すぎるほどの色気を含んだ流し目を寄越され、和彦は顔をしかめて見せる。
「ぼくは今日、経営戦略を聞くためじゃなく、開店準備が進んでいるか様子を見に来ただけだ」
「まあ、ここに、長嶺組の組員の方に出入りされると、目立ってしまいますからね。――でも、だからといって、様子を見にくるのは、先生にしかできない仕事というわけじゃない」
意味ありげな秦の物言いが気になり、和彦は首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「わたしが長嶺組長から連絡を受けたとき、買い物好きの先生に、ちょっと気晴らしをさせてほしいと言われました。最近、騒ぎに巻き込まれ続けて、先生の気が滅入りかけている、とも」
余計なことをと、和彦はため息をつく。ただ、賢吾の気遣いそのものは嫌ではなかった。クリニックが休みの今日、理由がなければ書斎に閉じこもっていたはずなのだ。
秦の隣に行き、作業を手伝うことにする。段ボールを一つずつ開けていき、商品が傷ついていないか確認するのだ。
「気に入ったものがあれば、差し上げますよ。先生にはお世話になっていますから」
「……いいよ。開店してから、商品として棚に並んだものを買わせてもらう」
「この店そのものが、長嶺組のものなのに、律儀なことですね」
「買い物好きは、気に入ったものを買い求める行為が好きなんだ」
凝ったデザインの小物入れらしいものを手に取りながら、秦は声を洩らして笑っている。ムキになって反応したところで、さらにからかわれるだけだと思い、ぐっと言葉を飲み込む。
和彦が開けた段ボールに入っていたのは、色鮮やかなテーブルクロスだった。自宅のダイニングテーブルに掛けると、雰囲気が変わっていいかもしれないと、ふとそんなことを考える。この瞬間、賢吾の目論見通りになっていることに気づき、少々の悔しさを感じなくもない。
ちらりと秦の様子をうかがってから、和彦は水を向けた。
「――……中嶋くんから、ぼくのことで何か聞いてないのか?」
「連休中の、楽しい出来事なら少しだけ」
咄嗟に言葉が出なかった和彦だが、顔はしっかりと熱くなってくる。なんのことかととぼける余裕もなく、慌てて視線を逸らしていた。
「そっちは関係ないっ……。総和会絡みだ」
「ああ。先生が、厄介な人に目をつけられているとは言っていましたね。誰のことを言っているのかまでは、聞けませんでしたが」
「騒ぎというのは、そのことだ。だけど今はそれよりも……、ぼくの実家のことのほうが問題だ」
「あれだけ苦労されていたのに、居場所を知られたのですか?」
和彦は苦い表情を浮かべると、首を横に振った。秦には以前、家族との不和を語ったことがある。引き換えに、和彦は秦の家族のことを少しだけ教えてもらったのだ。
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