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第28話
(1)
しおりを挟むこういう表現は変なのだろうが、南郷の土下座は美しかった。
ダークスーツに包まれた大きな体を畳に擦りつけるように折り曲げ、これ以上なく深く頭を下げるという屈辱的な姿勢を取っていながら、どこか誇らしげにさえ見え、そんな南郷の姿に和彦は、ただ圧倒されていた。
初めて目の当たりにした土下座が、よりにもよってヤクザによるものなのだ。しかも、ただのヤクザではない。十一の組で成り立っている総和会の、その頂点に立つ人物の側近だ。
自分は、そんな男を跪かせてしまったのかと、座布団の上に正座をした和彦は、空恐ろしさに小さく身を震わせる。
あくまで和彦と南郷の間に生じた〈些細な諍い〉は、南郷がこうして土下座をすることで、一応の和解となる。正確には、そう公言できるだけの手順を踏んだということだ。
和彦の気持ちとしては、そもそも事を大げさにするつもりはなかったし、頭を下げている南郷にしても、腹の内は煮えくり返っているかもしれない。それでも、和解は和解だ。
「――……もう、頭を上げてもらえませんか? 十分ですから……」
こちらから声をかけなければ、南郷の行為を制止する人間はいない。なんといっても、和解のために用意された和室には、和彦と南郷の二人しかいないのだ。総和会と長嶺組双方からの立会い人の同席を求められたが、和彦自身が断ったためだ。その代わり、部屋の外で待機してもらっている。
本当はそれすら断りたかったが、さすがに二つの組織の面子のためにと言われると、無碍にもできなかった。
守光の居城ともいうべき総和会本部の中にいて、何かあるはずもないのだが――。
ようやく南郷がわずかに頭を上げ、鋭い上目遣いで和彦を見つめてくる。
「この場に、俺とあんたの二人しかいないが、これでも立派な手打ち式だ。俺が頭を下げて終わりじゃない。あんたが、終わらせるんだ」
「……ぼくに、どうしろと?」
「簡単だ。ただ一言、許す、と」
ニヤリと南郷に笑いかけられ、数秒の間を置いて和彦は、敵意を込めた眼差しを向けていた。
『許す』という言葉が、どれだけの行為に対してのものなのか、知っているのは和彦と南郷だけだ。外で待機している男たちは何も知らない。ただ、なんの問題もなく、和彦が南郷の謝罪を受け入れて、円満に解決すると思っているのだ。
「それは――」
「先生からその一言をもらえなければ、俺は何時間だろうが、土下座を続ける。俺みたいな不遜な男の土下座なんて、滅多に拝めるものじゃないから、この機会にじっくり堪能してみるか、先生?」
まさに、不遜な表情でそう言われると、それはもう恫喝に近かった。そして和彦は、目の前で土下座をする男に対して、抗う術を持たない。とにかく一刻も早く、この空間から解放されたかった。
「――……許します。だから早く、頭を上げてくださいっ……」
声を抑えながら、半ば哀願に近い口調で訴える。南郷は、勿体ぶるかのようにゆっくりと頭を上げ、目が合うなり、歯を剥くようにして笑いかけてきた。威嚇の表情だ。
「これで、遺恨はなしだ」
そう嘯いた南郷を、はっきりと和彦は睨みつける。もちろん、南郷の頑丈な体と神経に、痛痒すら与えられなかっただろう。
「品のいい、優しげな色男が、そんな顔をするもんじゃない。――俺が土下座をして、あんたが許すと言ったということは、つまりそういうことだ。俺は別に構わないが、あんたはこれ以上のごたごたはご免なんだろ。言いたいことは、ぐっと胸に仕舞い込んでおくことだ」
「……あなたに、言われなくても……」
「もっとも、あんたはやれやれと思っているかもしれないが、周囲は……特に総和会の連中は、ますますあんたに一目置くことになる。会長以外には従わないと言われている南郷に、土下座をさせたとして。この場合、オンナを上げたと言ったほうがいいか?」
口を開きかけた和彦だが、これではキリがないと思い直し、高ぶった感情を必死に抑えつける。何事もなかった顔をしてスッと立ち上がった。
「これで遺恨はありません。ただしぼくは、あなたを警戒し続けます。……二度と近づかないでください」
「さあ、それはどうだろうな」
楽しげな南郷の口調に不吉なものを感じつつも、和彦は会釈をして部屋を出た。
心底疲れて自宅マンションに戻った和彦を出迎えたのは、いつもと変わらない悠然とした笑みを浮かべた賢吾だった。
そんな表情が癪に障るのは、自分が今巻き込まれているあらゆる厄介事の元凶が、この男にあるという意識があるからだ。八つ当たり半分、事実半分といったところか。
「――忌々しいヤクザが面を見せるな、と言いたげな顔だな、先生」
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