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第27話
(15)
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短い問いかけが、鋭い刃となって喉元に突きつけられる。不安とも恐怖とも取れる感情に襲われ、鳥肌が立っていた。和彦は無意識のうちにジャケットの上から腕をさする。
「心細そうだな、先生。目の前にいる今のあんたは、実に普通に見える。普通の、優しげで非力な色男だ。ヤクザの怖い男たちを何人も手玉に取って、骨抜きにしているとは、到底思えない。だが、力のある男の傍らにいるあんたを見ると、納得させられるんだ。妙に妖しさが引き立つ。男だからこその色気ってやつだな」
「……そろそろ本題に入ってください」
ここで南郷が組んでいた足を解き、ソファに座り直した。
「――この間、長嶺組長に呼ばれて、二人きりでメシを食った。ちょうど連休中で、あんたは総和会の別荘にいた頃だ」
「賢……、組長と?」
危うく『賢吾』と口にしそうになった和彦に気づいたのだろう。南郷はちらりと視線を動かしたあと、何事もなかったように話を続ける。
「俺と長嶺組長は、外野からはとかくあれこれと言われがちだ。俺が会長に可愛がられているということで、長嶺組長は、南郷の存在をおもしろくないと感じているんじゃないか、とかな。一方の俺も、会長の実子ということで、当然のように何もかもを持っている長嶺組長を妬んでいる――」
和彦は慎重に問いかけた。
「本当のところは、どうなんですか」
「ズバリと聞くなんて、肝が太いな、先生。俺にとっちゃ、デリケートな話題だというのに」
「聞いてほしいから、言ったんじゃないんですか」
南郷の目がこのとき一瞬、鋭い光を宿したように見えたのは、決して気のせいではないだろう。怯みそうになった和彦だが、必死の虚勢で南郷の目を見つめ続ける。
南郷は、薄い笑みを唇の端に刻む。真意の掴めない表情だと和彦は思った。
「俺は、長嶺組長にそんな生々しい感情は持っていない。あの人も、そこのところはよくわかっている。あえて言葉にしなくても、互いにそれを汲み取るぐらいはできる」
和彦は相槌すら打たず黙り込むが、南郷は勝手に和彦の心の内を読んでいた。和彦の顔を覗き込む仕草をして、こう言ったのだ。
「そんなことを言って、本当はどうだかわからない、と思っているな」
「……そんなこと……」
「まあ、追及はやめておこう。誰だって、腹の底には何かしら抱えているものだ。それを暴かれるのは気分がよくない」
ここで二人は一旦沈黙する。和彦は、南郷が何を思ってここに自分を呼び出したのか、真意が読めない以上、迂闊に会話の続きを促せないのだ。
音楽の流れていないカラオケルームは、なまじ防音がしっかりしているせいか、静けさを認識しやすい。ソファに座り直す微かな気配すら意識してしまいそうで、和彦は不自然に体を強張らせていた。対照的に南郷は悠然としたもので、スマートフォンを取り出して操作し始めた。
武骨そうに見える指が器用に動く様に、少しの間だけ見入ってしまった和彦だが、我に返ると、思いきって南郷に話しかける。
「結局、ぼくをここに呼んだ理由はなんですか。話す気がないなら、ぼくはこれで帰ります」
「俺のオンナに悪さをした奴がいる――と、長嶺組長が話していた。……命知らずな奴がいると思わないか、先生?」
和彦は愕然として、南郷を見つめる。南郷が何を言っているか、すぐには理解できなかったのだ。もしかすると、理解したくなかったのかもしれない。
賢吾と南郷が向き合い、食事をしながら、〈オンナ〉のことを話している姿を想像して、寒気がした。まさに、さきほど南郷が言った言葉だ。
『あえて言葉にしなくても、互いにそれを汲み取るぐらいはできる』
長嶺組と総和会、それぞれの看板を背負った男たちが言葉を放つことで、それは言質となりうる重みを持ち、揉め事の火種となるかもしれない。だから、言葉にせずに、汲み取るのだ。
もしかして南郷は、自分にもそうするよう求めているのだろうか。
和彦の脳裏に、ふとそんな考えが過ぎったが、南郷は言葉以上に明確な意思表示を寄越した。操作していたスマートフォンを、テーブルの上を滑らせて和彦に寄越したのだ。
目を丸くした和彦に対して、南郷があごを軽くしゃくる。それが、スマートフォンを見てみろという意味だと解釈し、和彦はおそるおそる画面を見てみる。何かの動画が再生されていた。
その動画がなんであるか理解した瞬間、危うく和彦は気を失いそうになった。
「これは――……」
絞り出した声は震えを帯びていた。
顔に布をかけられた人物がマットの上に横たわっていた。トレーナーはたくし上げられており、腰から下は映ってはいないが、下肢は何も身につけていないことを和彦は知っている。映像に映っているのは、和彦自身だからだ。
「心細そうだな、先生。目の前にいる今のあんたは、実に普通に見える。普通の、優しげで非力な色男だ。ヤクザの怖い男たちを何人も手玉に取って、骨抜きにしているとは、到底思えない。だが、力のある男の傍らにいるあんたを見ると、納得させられるんだ。妙に妖しさが引き立つ。男だからこその色気ってやつだな」
「……そろそろ本題に入ってください」
ここで南郷が組んでいた足を解き、ソファに座り直した。
「――この間、長嶺組長に呼ばれて、二人きりでメシを食った。ちょうど連休中で、あんたは総和会の別荘にいた頃だ」
「賢……、組長と?」
危うく『賢吾』と口にしそうになった和彦に気づいたのだろう。南郷はちらりと視線を動かしたあと、何事もなかったように話を続ける。
「俺と長嶺組長は、外野からはとかくあれこれと言われがちだ。俺が会長に可愛がられているということで、長嶺組長は、南郷の存在をおもしろくないと感じているんじゃないか、とかな。一方の俺も、会長の実子ということで、当然のように何もかもを持っている長嶺組長を妬んでいる――」
和彦は慎重に問いかけた。
「本当のところは、どうなんですか」
「ズバリと聞くなんて、肝が太いな、先生。俺にとっちゃ、デリケートな話題だというのに」
「聞いてほしいから、言ったんじゃないんですか」
南郷の目がこのとき一瞬、鋭い光を宿したように見えたのは、決して気のせいではないだろう。怯みそうになった和彦だが、必死の虚勢で南郷の目を見つめ続ける。
南郷は、薄い笑みを唇の端に刻む。真意の掴めない表情だと和彦は思った。
「俺は、長嶺組長にそんな生々しい感情は持っていない。あの人も、そこのところはよくわかっている。あえて言葉にしなくても、互いにそれを汲み取るぐらいはできる」
和彦は相槌すら打たず黙り込むが、南郷は勝手に和彦の心の内を読んでいた。和彦の顔を覗き込む仕草をして、こう言ったのだ。
「そんなことを言って、本当はどうだかわからない、と思っているな」
「……そんなこと……」
「まあ、追及はやめておこう。誰だって、腹の底には何かしら抱えているものだ。それを暴かれるのは気分がよくない」
ここで二人は一旦沈黙する。和彦は、南郷が何を思ってここに自分を呼び出したのか、真意が読めない以上、迂闊に会話の続きを促せないのだ。
音楽の流れていないカラオケルームは、なまじ防音がしっかりしているせいか、静けさを認識しやすい。ソファに座り直す微かな気配すら意識してしまいそうで、和彦は不自然に体を強張らせていた。対照的に南郷は悠然としたもので、スマートフォンを取り出して操作し始めた。
武骨そうに見える指が器用に動く様に、少しの間だけ見入ってしまった和彦だが、我に返ると、思いきって南郷に話しかける。
「結局、ぼくをここに呼んだ理由はなんですか。話す気がないなら、ぼくはこれで帰ります」
「俺のオンナに悪さをした奴がいる――と、長嶺組長が話していた。……命知らずな奴がいると思わないか、先生?」
和彦は愕然として、南郷を見つめる。南郷が何を言っているか、すぐには理解できなかったのだ。もしかすると、理解したくなかったのかもしれない。
賢吾と南郷が向き合い、食事をしながら、〈オンナ〉のことを話している姿を想像して、寒気がした。まさに、さきほど南郷が言った言葉だ。
『あえて言葉にしなくても、互いにそれを汲み取るぐらいはできる』
長嶺組と総和会、それぞれの看板を背負った男たちが言葉を放つことで、それは言質となりうる重みを持ち、揉め事の火種となるかもしれない。だから、言葉にせずに、汲み取るのだ。
もしかして南郷は、自分にもそうするよう求めているのだろうか。
和彦の脳裏に、ふとそんな考えが過ぎったが、南郷は言葉以上に明確な意思表示を寄越した。操作していたスマートフォンを、テーブルの上を滑らせて和彦に寄越したのだ。
目を丸くした和彦に対して、南郷があごを軽くしゃくる。それが、スマートフォンを見てみろという意味だと解釈し、和彦はおそるおそる画面を見てみる。何かの動画が再生されていた。
その動画がなんであるか理解した瞬間、危うく和彦は気を失いそうになった。
「これは――……」
絞り出した声は震えを帯びていた。
顔に布をかけられた人物がマットの上に横たわっていた。トレーナーはたくし上げられており、腰から下は映ってはいないが、下肢は何も身につけていないことを和彦は知っている。映像に映っているのは、和彦自身だからだ。
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