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第27話
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改めてビルを見上げれば、カラオケボックス店の派手な看板が掲げられていた。意外すぎる場所の前に降ろされて呆気に取られる和彦の側に、スッと一人の若者が歩み寄ってきた。ジーンズにTシャツ、その上からブルゾンを羽織っており、その辺りを歩いている青年たちと大差ない服装だ。ただ、胸元で揺れるシルバーのペンダントと、耳にいくつも開いたピアスの穴が印象的だった。
前に中嶋が、南郷率いる第二遊撃隊には、面倒を見ている若者が何人もいて、使える人材として鍛えていると話していたが、どうやらウソではないようだ。服装はラフだが、意外なほど礼儀正しい若者の物腰を見て、和彦はそう判断する。
「佐伯先生、こちらに」
外見からは想像もつかない落ち着いた声をかけられたかと思うと、有無を言わせない手つきで背を押されてビルに入る。一階のカウンターは客で混み合っているが、若者はスタッフに短く声をかけただけで、奥へと向かう。
エレベーターで移動するわずかな間に、和彦は若者をうかがい見る。一見して堅気のよう、と言い切ってしまうには、鋭い気負いのようなものが感じられた。和彦を出迎えるという仕事に、何かとてつもない意義を見出しているような――。
やはり今日の状況はどこかおかしいと、和彦が確信めいたものを得たとき、エレベーターの扉が開く。いまさら引き返すこともできず、若者のあとをついていく。どの部屋にも客が入っているらしく、あちらこちらから歌声や歓声が漏れ聞こえてくる。
こんな場所に、養生の必要な患者がいるはずがない。また自分は騙されたのだと、和彦はそっとため息をつく。すると、ある部屋の前で若者が立ち止まった。
「ここです」
そう短く言い置いて、若者が素早くドアを開ける。心の準備をする間もなく、即座に反応できなかった和彦だが、客やスタッフが通りすぎる廊下にいつまでも突っ立っているわけにもいかず、部屋を覗いた。
視界に飛び込んできた光景に、眩暈にも似た感覚に襲われる。
グループ用の広い部屋にいたのは、男一人だけだった。だが、存在感は圧倒的だ。
「部屋に入ってきた早々、そう睨まんでくれ、先生」
ソファに深くもたれかかり、足を組んだ姿で南郷がそう声をかけてくる。軽く指先が動いたかと思うと、背後でドアが閉まる。外から鍵をかけられたわけではないのだが、心理的には逃げ場を失ったようなものだ。腹を決めた和彦は、南郷を見据えたまま口を開いた。
「どうしていつも、騙まし討ちのようなことをするんですか」
「こうでもしないと、あんたは俺を避けるだろ。それに、長嶺会長も長嶺組長も、潜在的な敵が多い。――もちろん、俺も。その状況で、手順を踏んであんたと会おうと思ったら、何かと面倒だ」
「面倒って――」
和彦の問いかけを制するように南郷が片手を上げ、傍らを示す。隣に座れと言いたいのだ。
「長居をするつもりはありません」
「ここは案外、メシが美味いぞ。俺は上等な舌はしてないから、高い店で名前も知らない料理を食うより、こういう場所で、若い連中と騒ぎながら飲み食いするのが性に合ってるんだ。もっとも今晩は、俺と先生の二人きりだが」
歯を剥くように笑いかけられ、その表情に親しみを覚えるどころか、ゾッとするようなものを感じる。この世界の男たちは、笑みすらも一つの武器にしている。強者の余裕を見せ付けて、力を持たない人間を威圧してくるのだ。南郷は特にその姿勢が顕著だ。
外に出たところで、さきほどの若者に止められるのが関の山だろう。運よく一階に降りたところで、南郷の隊の人間が控えているはずだ。
腹を括った和彦は、テーブルを挟んで南郷の向かいに腰掛ける。露骨に距離を取った意図を汲み取ったのだろう。南郷は軽く肩を竦めた。
「何か注文しよう。俺のほうで適当に頼んで運んでもらったが、あんたの好みもあるだろう」
「さっきも言った通り、ぼくは長居をするつもりはありません。あまり……長嶺組に不信感を抱かれるようなマネは、したくありません」
「ただ俺と、カラオケ屋で会ってメシを食うだけだろ」
「――ぼくを騙して」
南郷はもう一度肩を竦め、掴んでいたリモコンをテーブルに置き直した。
「初心な娘じゃないんだ。ヤクザに騙されるなんて、何度も経験済みだろう。あんたが長嶺組長の〈オンナ〉になった経緯からして、そうじゃないのか」
その経緯は、あくまで長嶺組内の出来事だ。なのに南郷は完全に把握している口ぶりだ。どこまで把握しているのだろうかと、和彦は警戒心を露わにする。
「それは……南郷さんには関係のないことです」
「そう思うか?」
前に中嶋が、南郷率いる第二遊撃隊には、面倒を見ている若者が何人もいて、使える人材として鍛えていると話していたが、どうやらウソではないようだ。服装はラフだが、意外なほど礼儀正しい若者の物腰を見て、和彦はそう判断する。
「佐伯先生、こちらに」
外見からは想像もつかない落ち着いた声をかけられたかと思うと、有無を言わせない手つきで背を押されてビルに入る。一階のカウンターは客で混み合っているが、若者はスタッフに短く声をかけただけで、奥へと向かう。
エレベーターで移動するわずかな間に、和彦は若者をうかがい見る。一見して堅気のよう、と言い切ってしまうには、鋭い気負いのようなものが感じられた。和彦を出迎えるという仕事に、何かとてつもない意義を見出しているような――。
やはり今日の状況はどこかおかしいと、和彦が確信めいたものを得たとき、エレベーターの扉が開く。いまさら引き返すこともできず、若者のあとをついていく。どの部屋にも客が入っているらしく、あちらこちらから歌声や歓声が漏れ聞こえてくる。
こんな場所に、養生の必要な患者がいるはずがない。また自分は騙されたのだと、和彦はそっとため息をつく。すると、ある部屋の前で若者が立ち止まった。
「ここです」
そう短く言い置いて、若者が素早くドアを開ける。心の準備をする間もなく、即座に反応できなかった和彦だが、客やスタッフが通りすぎる廊下にいつまでも突っ立っているわけにもいかず、部屋を覗いた。
視界に飛び込んできた光景に、眩暈にも似た感覚に襲われる。
グループ用の広い部屋にいたのは、男一人だけだった。だが、存在感は圧倒的だ。
「部屋に入ってきた早々、そう睨まんでくれ、先生」
ソファに深くもたれかかり、足を組んだ姿で南郷がそう声をかけてくる。軽く指先が動いたかと思うと、背後でドアが閉まる。外から鍵をかけられたわけではないのだが、心理的には逃げ場を失ったようなものだ。腹を決めた和彦は、南郷を見据えたまま口を開いた。
「どうしていつも、騙まし討ちのようなことをするんですか」
「こうでもしないと、あんたは俺を避けるだろ。それに、長嶺会長も長嶺組長も、潜在的な敵が多い。――もちろん、俺も。その状況で、手順を踏んであんたと会おうと思ったら、何かと面倒だ」
「面倒って――」
和彦の問いかけを制するように南郷が片手を上げ、傍らを示す。隣に座れと言いたいのだ。
「長居をするつもりはありません」
「ここは案外、メシが美味いぞ。俺は上等な舌はしてないから、高い店で名前も知らない料理を食うより、こういう場所で、若い連中と騒ぎながら飲み食いするのが性に合ってるんだ。もっとも今晩は、俺と先生の二人きりだが」
歯を剥くように笑いかけられ、その表情に親しみを覚えるどころか、ゾッとするようなものを感じる。この世界の男たちは、笑みすらも一つの武器にしている。強者の余裕を見せ付けて、力を持たない人間を威圧してくるのだ。南郷は特にその姿勢が顕著だ。
外に出たところで、さきほどの若者に止められるのが関の山だろう。運よく一階に降りたところで、南郷の隊の人間が控えているはずだ。
腹を括った和彦は、テーブルを挟んで南郷の向かいに腰掛ける。露骨に距離を取った意図を汲み取ったのだろう。南郷は軽く肩を竦めた。
「何か注文しよう。俺のほうで適当に頼んで運んでもらったが、あんたの好みもあるだろう」
「さっきも言った通り、ぼくは長居をするつもりはありません。あまり……長嶺組に不信感を抱かれるようなマネは、したくありません」
「ただ俺と、カラオケ屋で会ってメシを食うだけだろ」
「――ぼくを騙して」
南郷はもう一度肩を竦め、掴んでいたリモコンをテーブルに置き直した。
「初心な娘じゃないんだ。ヤクザに騙されるなんて、何度も経験済みだろう。あんたが長嶺組長の〈オンナ〉になった経緯からして、そうじゃないのか」
その経緯は、あくまで長嶺組内の出来事だ。なのに南郷は完全に把握している口ぶりだ。どこまで把握しているのだろうかと、和彦は警戒心を露わにする。
「それは……南郷さんには関係のないことです」
「そう思うか?」
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