610 / 1,262
第27話
(7)
しおりを挟む憔悴しきった自分の姿を取り繕う余裕すら、和彦にはなかった。そんな和彦を、座卓についた賢吾がじっと見つめてくる。
「――……千尋からの電話で聞いてはいたが、ひどい顔色だ、先生。できることなら、さっさと休ませてやりたいが、その前に、何があったのかを知っておかねーとな」
わかっていると、和彦は浅く頷く。話し始めようと一度は唇を開いたが、震えを帯びた吐息が洩れ、声が出なかった。
賢吾は急かすことなく、ただ見つめてくる。過度の優しさも気遣いもうかがわせることのない、だからこそこちらに精神的負担を与えてこない、不思議な眼差しだ。マンションから本宅に向かう車中、動揺して震える和彦の肩を抱きながら、千尋も同じような眼差しを向けてくれたのだ。
和彦はぎこちなく深呼吸をしてから、やっと言葉を発した。
「あんたが、里見さんとの連絡用に持たせてくれている携帯に、兄さんから電話がかかってきた。里見さんの携帯を盗み見して、そこにあった怪しい番号にかけたら、ぼくが出たんだそうだ」
「と、言われたか?」
揶揄するような賢吾の口調が気になり、ちらりと視線を上げる。賢吾は、口元に柔らかな微苦笑を浮かべていた。
「……どういう意味だ」
「震え上がるほど苦手にしている兄貴から言われたことを、すんなり信じるなんて、先生は人がいい」
数十秒近くかけて、賢吾の言葉を頭の中で反芻する。そして和彦は、あっ、と声を洩らした。目を見開き、賢吾を凝視する。
「俺は悪党だから、まずはこう考えるんだ。先生の兄貴と、先生の初めての男が手を組んだんじゃないかってな。先生が信用した頃を見計らって――」
「里見さんはそんなことはしないっ」
感情的に声を荒らげた和彦だが、次の瞬間には、自分が今誰と向き合い、話しているのかを思い出し、我に返る。
賢吾の口元にはすでにもう笑みはなかった。無表情となり、大蛇を潜ませた目でまっすぐこちらを見据えてくる。戦慄した和彦は、自分の失言を噛み締める。しかし賢吾は怒りや不快さを表には出さなかった。
「いまだに信頼しているんだな、里見を。やっぱり、特別か?」
「――……本当は、兄さんから電話があったとき、一瞬疑った。だけど……あの人は特別だ。前にも言ったけど、あの人がぼくを騙すはずがない」
今度こそ賢吾を怒らせることを覚悟したが、ウソや誤魔化しは口にできない。わずかに目を細めた賢吾は指先で座卓を一度だけ叩くと、短く息を吐き出した。
「そこまで言われると、バカらしくて妬く気にもならねーもんだな、先生」
意外な賢吾の反応に、和彦は目を丸くする。
「妬くって……」
「ちょっとした意地悪で言ってみただけだ。そもそも二人が手を組んでいるなら、まずは里見が先生を誘い出すはずだ。そのうえで、先生の兄貴と引き合わせる。そうしたほうが手っ取り早い。だが、先生の兄貴は自分から電話をかけてきた」
和彦は、自分がいかに冷静さとは程遠い状態にあったのかを痛感する。賢吾に言われたようなことを、一切考えもしなかった。
ここで、ゾッとして身を震わせる。どうしても会いたいと里見に懇願され、断れずに出かけた先で英俊が現れた状況を想像していた。自分とよく似た顔に冷たい表情を浮かべ、冷たい口調で罵倒されると、きっと和彦は抗弁らしいこともできないまま、実家に連れ戻されていただろう。
「そういう小細工を弄しもしなかったということは、よほど里見が抗っていて、そして、佐伯家が焦っているのかもな」
不思議なもので、賢吾の分析を聞いているうちに次第に気持ちが落ち着いてくる。自分がどれだけ取り乱そうが、この男が守ってくれるのだと実感も湧いていた。
和彦はゆっくりと息を吐き出すと、出されたお茶を啜る。緊張と動揺のせいで、口内が渇ききっていた。
「……前にあんたに撮られた画像のことで、兄さんに罵倒された。なのに、ぼくに手伝ってほしいと言ったんだ。佐伯家の人間として」
「何を手伝えと?」
「さあ……。出馬のことを意識しているようだったから、それと関係あるのかもしれない。ぼくは不肖の次男で、しかも性質のよくない連中とつき合いがあって、スキャンダル性十分の画像も握られている。目の届かないところで動かれると困るのかもしれない。だから実家に呼び戻して――」
「性質のよくない連中、か」
和彦の話を遮るように呟いた賢吾が、低く笑い声を洩らす。和彦は、自分が無意識のうちに毒を洩らしていたことに気づき、つい強弁していた。
「本当のことだろっ。……自分がどんな手段を使ってぼくを引き込んだか、忘れたとは言わせないからな」
「落ち着け、先生。誰も、忘れたとは言ってないだろ」
28
お気に入りに追加
1,335
あなたにおすすめの小説
イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?
すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。
病院で診てくれた医師は幼馴染みだった!
「こんなにかわいくなって・・・。」
10年ぶりに再会した私たち。
お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。
かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」
幼馴染『千秋』。
通称『ちーちゃん』。
きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。
千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」
自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。
ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」
かざねは悩む。
かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?)
※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。
想像の中だけでお楽しみください。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。
すずなり。
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる