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第26話
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「先生に、こんなみっともない言い分をぶつけるつもりはなかったんだ。……こういうとき、どう自分を取り繕えばいいか、この歳になるまで学習してこなかった。そうする必要を感じてこなかったからな」
「みっともないなんて、言うな。ぼくの〈オトコ〉は……みっともなくなんてない。みっともないというなら、この世界で、誰かに守ってもらわないと生きていけないぼくのほうだ」
優しい男は、和彦の言葉を無視できなかったのだろう。数秒の間を置いて三田村は振り返った。
「先生は――」
「三田村、疲れたか? いろんな男に守られて……寝ている、ぼくとの関係に」
驚いたように三田村は目を見開き、再び和彦と向き合ったかと思うと、強い力で肩を掴んできた。
「そんなことはないっ。組長や千尋さんのオンナになった先生に、手を出したときから、俺は覚悟していた。この世界で生きている限り、先生は絶対に俺だけのものにはならないことを。それに、この世界から抜け出した先生は、俺には見向きもしないことも。……先生に一瞥すらされないぐらいなら、俺はこの世界に先生を繋ぎとめ続ける。長嶺の人たちのオンナでい続けてくれと、願い続ける」
三田村の覚悟は、健気である反面、非情ともいえた。もし、三田村以外の男が言ったなら、勝手なことをと怒ったかもしれない。もっとも、三田村以外の男が、こんなことを言うはずがないのだが。
「……鷹津は別なんだ。あの男は、ヤクザのようではあるが、こちら側の世界の人間じゃない。なのに、先生の番犬として側にいる。それが俺を嫌な気持ちにさせる……」
ハスキーな声を際立たせるように、低く抑えた口調で三田村が言う。表情には出ていないが、その声にはさまざまな感情が入り混じっており、三田村自身の内面を物語っているようだ。
肩を掴む三田村の左手の上に、自分の手を重ねた和彦は、手の甲の抉れたような傷跡を撫でる。
「ぼくは、あんたに甘えているんだ。なんでも受け入れてくれて、優しくしてくれるから、ぼくが何をしようが、あんたは平気なのかと思っていた。……いや、違うな。そう思い込もうとしていた。そうすれば、ぼくは抱える罪悪感を一つ減らしておける」
「罪悪感なんて持つ必要はない。俺みたいな男は、本来は都合よく利用して、雑に扱うべきなんだ。そうしない先生は、優しいんだ」
「優しくない。ズルいんだ、ぼくは」
「そのズルさを、先生の周りにいる男たちは大事にして、愛している。――俺も。多分、鷹津も。先生のズルさは、甘さも優しさも含んでいて、性質が悪い。一度味わうと、手放せなくなるんだ」
三田村の片手にぎこちなく背を引き寄せられ、和彦は身を預ける。ようやく三田村の体温を感じ、心地よさに思わず吐息が洩れる。大事で愛しい〈オトコ〉のぬくもりだ。
三田村がようやく、両腕でしっかりと抱き締めてくれる。耳に注ぎ込まれるのは、物静かだが情熱的な男らしい囁きだった。
「――……先生が、俺のことを〈オトコ〉と呼んでくれる限り、先生が誰と寝ようが、情を交わそうが、俺は平気だ。この世界に先生を繋ぎとめておくための鎖だと、胸を張っていられる。この役目だけは、俺にしかできないはずだ」
和彦は、三田村の肩に額をすり寄せる。
「ああ、そうだ。あんたがいたおかげで、ぼくはこの世界から逃げるタイミングを失った」
一年ほどの間にさまざまな出来事が起こり、慌ただしい日々を過ごしてきたが、その中で、まるで軸のように変わらず、和彦を支えているものがある。三田村と過ごす、穏やかで緩やかな時間だ。三田村自身、組の中で立場も状況も変化しているはずだが、それを感じさせることなく、和彦のために自分の身と時間を与えてくれている。これを、安らぎというのだろう。
連休中、三田村と一緒に過ごせるのだと、ようやく実感が伴ってくる。和彦は顔を上げ、三田村に笑いかける。すると、少し慌てた様子で体を引き離された。
「先生、別荘の周囲を見回ってくるから、先に中に入っていてくれ」
「あっ、ああ……。わざわざぼくを追って狙ってくる人間がいるとも思えないが、そういうわけにはいかないんだろうな」
「先生が来るまでに、俺と中嶋が交代で見回ってはいるんだが、念のためだ。そうしないと、俺が落ち着かない」
三田村の大事な仕事を奪うつもりはなく、和彦は頷く。玄関まで戻って三田村と別れると、ダイニングを覗く。中嶋が、食器棚から皿を取り出していた。立派な食器棚には、さまざまな種類や柄の食器が大量に収まっている。
「みっともないなんて、言うな。ぼくの〈オトコ〉は……みっともなくなんてない。みっともないというなら、この世界で、誰かに守ってもらわないと生きていけないぼくのほうだ」
優しい男は、和彦の言葉を無視できなかったのだろう。数秒の間を置いて三田村は振り返った。
「先生は――」
「三田村、疲れたか? いろんな男に守られて……寝ている、ぼくとの関係に」
驚いたように三田村は目を見開き、再び和彦と向き合ったかと思うと、強い力で肩を掴んできた。
「そんなことはないっ。組長や千尋さんのオンナになった先生に、手を出したときから、俺は覚悟していた。この世界で生きている限り、先生は絶対に俺だけのものにはならないことを。それに、この世界から抜け出した先生は、俺には見向きもしないことも。……先生に一瞥すらされないぐらいなら、俺はこの世界に先生を繋ぎとめ続ける。長嶺の人たちのオンナでい続けてくれと、願い続ける」
三田村の覚悟は、健気である反面、非情ともいえた。もし、三田村以外の男が言ったなら、勝手なことをと怒ったかもしれない。もっとも、三田村以外の男が、こんなことを言うはずがないのだが。
「……鷹津は別なんだ。あの男は、ヤクザのようではあるが、こちら側の世界の人間じゃない。なのに、先生の番犬として側にいる。それが俺を嫌な気持ちにさせる……」
ハスキーな声を際立たせるように、低く抑えた口調で三田村が言う。表情には出ていないが、その声にはさまざまな感情が入り混じっており、三田村自身の内面を物語っているようだ。
肩を掴む三田村の左手の上に、自分の手を重ねた和彦は、手の甲の抉れたような傷跡を撫でる。
「ぼくは、あんたに甘えているんだ。なんでも受け入れてくれて、優しくしてくれるから、ぼくが何をしようが、あんたは平気なのかと思っていた。……いや、違うな。そう思い込もうとしていた。そうすれば、ぼくは抱える罪悪感を一つ減らしておける」
「罪悪感なんて持つ必要はない。俺みたいな男は、本来は都合よく利用して、雑に扱うべきなんだ。そうしない先生は、優しいんだ」
「優しくない。ズルいんだ、ぼくは」
「そのズルさを、先生の周りにいる男たちは大事にして、愛している。――俺も。多分、鷹津も。先生のズルさは、甘さも優しさも含んでいて、性質が悪い。一度味わうと、手放せなくなるんだ」
三田村の片手にぎこちなく背を引き寄せられ、和彦は身を預ける。ようやく三田村の体温を感じ、心地よさに思わず吐息が洩れる。大事で愛しい〈オトコ〉のぬくもりだ。
三田村がようやく、両腕でしっかりと抱き締めてくれる。耳に注ぎ込まれるのは、物静かだが情熱的な男らしい囁きだった。
「――……先生が、俺のことを〈オトコ〉と呼んでくれる限り、先生が誰と寝ようが、情を交わそうが、俺は平気だ。この世界に先生を繋ぎとめておくための鎖だと、胸を張っていられる。この役目だけは、俺にしかできないはずだ」
和彦は、三田村の肩に額をすり寄せる。
「ああ、そうだ。あんたがいたおかげで、ぼくはこの世界から逃げるタイミングを失った」
一年ほどの間にさまざまな出来事が起こり、慌ただしい日々を過ごしてきたが、その中で、まるで軸のように変わらず、和彦を支えているものがある。三田村と過ごす、穏やかで緩やかな時間だ。三田村自身、組の中で立場も状況も変化しているはずだが、それを感じさせることなく、和彦のために自分の身と時間を与えてくれている。これを、安らぎというのだろう。
連休中、三田村と一緒に過ごせるのだと、ようやく実感が伴ってくる。和彦は顔を上げ、三田村に笑いかける。すると、少し慌てた様子で体を引き離された。
「先生、別荘の周囲を見回ってくるから、先に中に入っていてくれ」
「あっ、ああ……。わざわざぼくを追って狙ってくる人間がいるとも思えないが、そういうわけにはいかないんだろうな」
「先生が来るまでに、俺と中嶋が交代で見回ってはいるんだが、念のためだ。そうしないと、俺が落ち着かない」
三田村の大事な仕事を奪うつもりはなく、和彦は頷く。玄関まで戻って三田村と別れると、ダイニングを覗く。中嶋が、食器棚から皿を取り出していた。立派な食器棚には、さまざまな種類や柄の食器が大量に収まっている。
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