血と束縛と

北川とも

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第26話

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 ふっとそんなことを考えた和彦は、患者の治療をしたあと、仮眠室で一泊したときの出来事を思い返す。あのとき、守光の行動に倣うように顔に薄布をかけられ、それだけで和彦は抵抗を封じられたのだ。
「――俺のわからない話を、いつまで続けるつもりだ」
 唐突に鷹津が、不機嫌そうな声を発する。我に返った和彦は、このときばかりは鷹津に感謝していた。南郷のペースに巻き込まれる寸前だった。
「番犬は、おとなしく飼い主の足元に身を伏せているもんだろ。会話に割って入るのは、無作法だぜ、鷹津さん」
「佐伯がイライラしているのがわかったから、その番犬としては知らん顔はできないんだ。あとで、気が利かないと叱られたくない」
 鷹津の言葉に納得したように南郷は頷き、意味ありげに和彦を一瞥した。
「俺はすっかり、先生に嫌われているようだからな」
「ほお。つまり、それだけのことをしたということか?」
「先生に聞いてみたらどうだ」
 南郷の発言に動揺しかけた和彦を救ったのは、電話の呼出し音だった。反射的に立ち上がった和彦はリビングを出ると、ダイニングで電話に出る。
『先生、大丈夫ですか?』
 切迫した声の主は、いつも和彦の護衛についている長嶺組の組員だ。ついさきほどまでマンションの前で、第二遊撃隊の男たちと睨み合っていた。和彦がマンションに入ったからといって、彼らの仕事はまだ終わっていないのだ。
 和彦はリビングの気配をうかがいつつ、小声で尋ねた。
「鷹津がいるから、ぼくのほうは心配いらない。それより、まだマンションの前に?」
『遊撃隊の連中は、車で待機しています。こちらは、マンションから少し離れた場所に車を移動させました。何かあれば、すぐにでも部屋に駆けつけられます』
「いや……、何もないだろう。向こうはあくまで、見舞いだと言っているんだ。今晩はもう、護衛の仕事はいい」
 仮に何かあったとしても、盗聴器を通して危険は伝わる――とは、さすがに口には出せない。とにかく和彦は、心配されるような事態にはならないと確信があった。
「何があったか、組長に報告だけはしておいてくれ」
 そう頼んで電話を切った和彦は、大きく深呼吸をしてからリビングに戻る。男二人は相変わらず向き合って座っていたが、南郷のほうは和彦を見るなり、ゆっくりと立ち上がった。
「あまり長居をして、長嶺組の組員に踏み込まれるのも嫌だからな。先生に叩き出される前に、お暇するとしよう」
「……なんのおもてなしもできませんでしたが」
 淡々と和彦が応じると、南郷は歯を剥き出すようにして笑った。
「短い時間だったが、ヤクザ嫌いのくせして、ヤクザのオンナの番犬をしている、変わり者の刑事とも話せたし、なかなか有意義だった。何より、あんたがどんな部屋で生活しているか、知ることができた」
 深い意味はないのかもしれないが、南郷にそう言われた途端、胸がざわつくような不安感に襲われていた。
 顔を強張らせる和彦が何かを刺激したのか、リビングを出ていこうとした南郷が急に踵を返し、大股で近づいてこようとする。それを阻んだのは、素早く立ち上がった鷹津だった。
「――とっとと帰れ。俺は、クソヤクザと同じ空気を吸ってるだけで、反吐が出そうになるんだ。特にお前や長嶺のように、上等なものを身につけて、子分を引き連れてでかい顔して歩いている連中は、気分が悪くなりすぎて、ぶちのめしたくなる」
 鷹津の面罵にも、南郷は不快な顔をするどころか、空気を震わせるような低い笑い声を洩らした。
「光栄だな。あの長嶺組長と並べてくれるなんて」
「その口ぶりだと、自分が、長嶺賢吾の父親に拾われた薄汚い雑種だということに、多少なりと劣等感を持ってるのか?」
 鷹津がこう言い放った瞬間、南郷は表情を変えなかったが、取り巻く空気が冷たく研ぎ澄まされたことを、和彦は感じ取った。本能的な危機感を抱き、鷹津を制止しようとする。あとわずかな刺激で、南郷が凶暴な本性を見せると思ったのだ。
 和彦が顔色を変えたことに気づいたのか、南郷は口調を荒げることなく鷹津に応じた。
「先生に免じて、あんたの無礼は聞かなかったことにしておこう。――だが、二度目はないぞ、鷹津さん」
 さすがに鷹津も何かを感じたようで、頬の辺りを強張らせる。
「一度ヤクザに潰されかかった刑事を一人、完全に潰すのは、そう難しいことじゃない」
「いい度胸だな。刑事相手に脅迫か?」
「――いや、忠告だ。うちの隊は、総和会の中でも血の気が多いほうなんだ。こんな俺でも、慕ってくれる奴はいるしな」
「南郷さんっ」
 たまらず和彦が声を上げると、調子に乗りすぎたと言わんばかりに軽く首をすくめた南郷は、深々と頭を下げて帰っていった。

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