血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
534 / 1,268
第24話

(16)

しおりを挟む
 イスに腰掛けた秦は品のいい苦笑いを浮かべ、紙皿にオードブルを取り分けると、和彦の隣に座った中嶋にさっそく差し出した。喉が渇いていたのか中嶋は、缶ビールを開けて勢いよく呷る。
「ここで輸入雑貨屋を開くんです」
 中嶋の飲みっぷりに目を奪われていた和彦の耳に、予想外の言葉が届く。一瞬、聞き間違いかと思ったぐらいだ。
「……誰が、何を?」
「わたしが、この場所で、輸入雑貨屋を開くんです。親会社は、起業したばかりの小さな輸入商社で、事業計画としては、今後さらに店舗を増やしていく予定です。オーナーの名義はわたしではなく、別人になりますが。先生のクリニックと同じ方式ですよ」
 秦の話によって、和彦の脳裏に浮かぶ人物はたった一人だ。わずかに顔をしかめると、こちらの言いたいことを察したのか、秦はニヤリと笑った。
「そんな顔しないでください。真っ当な商売をするつもりなんですから」
「正体不明の実業家とヤクザが組んでいる時点で、信じられるわけないだろ」
「客として来る人間には、そんなことはわかりませんよ。あくまで、正規のルートで仕入れたものを売るだけですから。必要なのは、海外からあれこれ輸入して販売している業者がここにいる、という既成事実ですよ。扱う物によっては、きちんと役所に届け出て、許可をもらいますし」
「……本当に、扱うのは『雑貨』だけなのか?」
 露骨に怪しむ和彦の問いかけに、秦はこう応じた。
「女性向けの雑貨を充実させていく過程で、おいおい扱う商品の種類も増えていくでしょうね。そのためにも、医者の診断書も必要になることがあるでしょうから、そのときはよろしくお願いします」
「医者の診断書が必要になるのは、薬事法が関わってくる商品を扱うときだ」
 秦が妖しさをたっぷり含んだ流し目を寄越してくる。それを見た和彦は改めて確信する。秦と賢吾――長嶺組が組んで、真っ当な輸入雑貨屋を営むつもりはないのだと。女性向け商品で薬事法が関わってくる商品として、まず化粧品が頭に浮かぶが、それらを輸入したところで、組のビジネスとして満足できる売り上げがあるとは思えないのだ。
 だとすれば、大掛かりな準備をしてまで、何を手に入れようとしているのか。
 和彦が目まぐるしく頭を働かせようとしたとき、イスからソファの端に座り直した秦に、顔を覗き込まれる。
「そう、難しいことじゃないですよ。一気に手広く輸入ビジネスを始めるだけです。わたしの親戚筋がそういう仕事をしているので、ノウハウについても詳しいんです。この間の海外出張も、その下準備のためでした」
 説明しているようでいて、実は詳しいことは言っていない。ここは素直に丸め込まれるべきなのだろうかと思いながら、和彦は視線を反対隣に向ける。中嶋は、すでに二本目の缶ビールを開けているところだった。目が合うと、芝居がかった仕種で肩をすくめられる。
「ダメですよ、先生。秦さんは、俺にも同じことしか言わないんです。美味しい話なら、俺も一枚噛ませてほしいんですけどね」
「そのうち、お前の手も必要になるだろうから、そのときは嫌でも協力させる」
「おや、楽しみですね」
 かつての秦は、中嶋が自分に深入りすることを、厄介事に巻き込みたくないからと避けたがる傾向があったようだが、このやり取りを聞く限り、変わりつつあるようだ。もちろん、情だけが理由ではないだろう。互いの存在が利用できると、秦も中嶋もよく知っている。
 そして和彦は、この二人にとって非常に使い勝手のいい存在なのだ。
「――……派手に動いて大丈夫なのか?」
 これまでもヤクザと関わる仕事をしていた男に対して、杞憂かと思いつつも、つい言葉が口をついて出る。秦と中嶋は顔を見合わせてから、表情を和らげた。
「心配してくれるんですか、先生」
「こんな世界に身を置いて言うことじゃないかもしれないが、〈友人〉が痛い目に遭うのは見たくない」
「優しいですね」
 さらりと秦に言われ、和彦は返事に困る。
「……優しくない。気になるから聞いただけだ」
 こう答えた途端、隣から抑えた笑い声が聞こえてくる。中嶋が顔を伏せて笑っていた。そんな中嶋の肩を軽く小突いて、和彦は紙コップのワインを飲み干す。
 ふっと息を吐き出してソファに深くもたれかかる。大通りを挟んで正面には、大型書店の入ったビルがあるが、すべての階の電気が消えており、人工の光に溢れた大通りの中、今は夜なのだと実感させてくれる。ビルの一室から街の景色を眺めながら、人目を気にすることなく寛ぐというのも、なんだか妙な気分だった。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
────妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの高校一年生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の主人公への好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

貢がせて、ハニー!

わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。 隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。 社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。 ※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8) ■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました! ■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。 ■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

a pair of fate

みか
BL
『運命の番』そんなのおとぎ話の中にしか存在しないと思っていた。 ・オメガバース ・893若頭×高校生 ・特殊設定有

いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう
BL
 オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。  世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。  バランサー。  アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。  これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。  裏社会のトップにして最強のアルファ攻め  ×  最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け ※オメガバース特殊設定、追加性別有り .

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

処理中です...