526 / 1,262
第24話
(8)
しおりを挟む深夜だというのに、本宅の空気はピンと張り詰めていた。
玄関に一歩足を踏み入れただけで和彦はそれを感じ取り、体が強張って動けなくなる。そんな和彦を追い立てるように、組員が声をかけてくる。
「先生、組長がお待ちです」
立ち竦んでいたところで、みっともなく引きずられていくだけだろう。微かに震えを帯びた息を吐き出してから、和彦は靴を脱いだ。
賢吾の部屋の前まで行くと、何も言わず組員は立ち去り、廊下には和彦だけが取り残される。なんと声をかけようかと逡巡していると、中から声がした。
「――入ってこい」
ビクリと身を震わせてから、まるで操られるように障子を開ける。一瞬意外に感じたが、賢吾はまだ浴衣に着替えてはいなかった。もしかすると、すでに寝る準備を整えていたものの、和彦の行動を知って再び着替えたのかもしれない。
とにかく賢吾は、一見平素と変わらない様子で座卓についていた。ぎこちなく障子を閉めた和彦は、賢吾の正面に座る。賢吾は、すぐには口を開かなかった。
息も詰まるような緊張感に押し潰されそうになりながら、和彦は視線を伏せて耐える。激しい動揺に、膝の上に置いた手は小刻みに震え、心臓の鼓動は壊れそうなほど速くなっている。
ただ、深夜に部屋を抜け出して、外から電話をかけていただけなのだ。
状況を端的に説明するなら、それだけだ。しかし、賢吾にとって重要なのは、和彦がそんな行動を取った理由だろう。だから本宅に連れて来られたのだ。
〈オンナ〉の裏切りを疑って――。
頭に浮かんだ言葉に、ゾッと寒気がする。目の前にいる男が、どれほど危険な執着心を持っているか、和彦は知っている。
警戒心が強く慎重でありながら、獲物を絞め殺し、丸呑みできるほど凶暴で冷酷な大蛇を背負った男だ。殺されるかもしれない、と本気で和彦は思った。
いよいよ恐怖と緊張で呼吸困難になりかけたとき、唐突に賢吾が沈黙を破った。
「俺は、自分が執念深い性格だということも、厄介な独占欲を持っていることも自覚している。だからこそ、大事で可愛いオンナを窒息死させないために、寛大であるよう心がけている。お前の淫奔ぶりは、責めるべきものじゃなく、愛でるべきものだと思っているからな。クセのある男たちに大事にされてこそ、オンナっぷりを上げて、ますます俺は骨抜きになる」
どんな表情で賢吾はこんなことを言っているのか、和彦は顔を上げて確認することはできなかった。魅力的なバリトンが、今は太い鞭のように和彦の体に振り下ろされ、一言一言に打ち据えられる。
「――お前は、秘密を抱えると艶を増す。そんなお前を眺めるのは好きだが、それ以上に、その秘密を暴いてやりたくて仕方なくなる。俺が寛大さを示せるのは、俺が作った人間関係の中だけの話だ。俺の知らない誰かと……と考えると、嫉妬で歯噛みして、気が狂いそうになる」
言葉の激しさとは裏腹に、賢吾の口調はあくまで淡々としている。だからこそ、賢吾が内に抱える凶暴さ、狂気ともいえるものに気圧される。手を上げられたわけでもないのに、すでに和彦は気を失いそうになっていた。いやむしろ、そうなりたいと思っていた。
「夜中に部屋を抜け出して、散歩がてら、近くのコンビニに行くことをどうこう言うつもりはない。だがな、それが誰かに秘密の電話をかけるためだとしたら、知らん顔はできねーんだ。臆病な男としては、大事なオンナが逃げ出すための算段を、誰かとしているんじゃないかと、あれこれ考えちまう」
「逃げ出すなんて――」
反射的に顔を上げた和彦は、こちらを見据える賢吾の冷徹な眼差しに射竦められ、一瞬息が止まった。まさに、大蛇が潜む目だった。身を潜め、じっと獲物の動きを追いかけ、食らいつく瞬間を抜け目なく探っている。
和彦は、観念していた。この男に対して、ウソをつくことも、言い訳もできない――許されないと。
「……一つ、教えてくれないか」
震える声で問いかけると、賢吾の口元に薄い笑みが浮かぶ。
「なんだ」
「ぼくが、コンビニまで出かけて電話をかけていると、最初から知っていたのか?」
「後ろ暗いことがあると、必要以上に行動が慎重になるものだ。特に、物騒な世界に身を置いて、物騒な連中に囲まれているとな。……電話一つかけるにしても、クリニックのスタッフにでも携帯を借りればいいし、三田村と一緒に過ごしているときは、お前に甘いあいつの目を盗むぐらいできるはずだ。なのに、それもしない。自分の周囲にいる人間に迷惑をかけたくないからだ。男関係が奔放な分、人間関係には気をつかう性質だからな、お前は」
和彦は改めて、自分がどんな男たちと同じ世界で生きているのかと痛感する。
37
お気に入りに追加
1,335
あなたにおすすめの小説
イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?
すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。
病院で診てくれた医師は幼馴染みだった!
「こんなにかわいくなって・・・。」
10年ぶりに再会した私たち。
お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。
かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」
幼馴染『千秋』。
通称『ちーちゃん』。
きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。
千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」
自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。
ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」
かざねは悩む。
かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?)
※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。
想像の中だけでお楽しみください。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。
すずなり。
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる