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第22話
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障子を開けると、中嶋が一人、手持ち無沙汰な様子でテーブルについていた。そんな中嶋を見て、和彦は即座に疑問を感じた。
「……秦は?」
コートを脱ぎながら問いかけると、中嶋は軽く肩をすくめる。
「急な出張です。しかも、海外」
「それは本当に急だな。夕飯を一緒にどうかとメールを送ってきたのは、今日の午前中だったのに」
和彦はイスに腰掛け、傍らにコートを置く。すでに料理を注文しておいたのか、すぐに店員たちが、鍋や皿に盛った食材を運んできて、二人が見ている前で手早く調理を始めた。
「今日は、鍋を食べないかと言って秦に誘われたんだ」
「鶏すきですよ。これからどんどん暖かくなってきて、鍋料理を食べる機会も減ってきますから。――仲がいい者同士、鍋をつつき合うのに憧れていたみたいです、秦さんは」
このとき和彦は、自覚もないまま奇妙な表情をしたらしい。中嶋はヤクザらしくない、軽やかな笑い声を上げた。
和彦としては、中嶋と秦とどんな顔をして会おうかと、多少なりと緊張してここまで足を運んだのだ。なんといっても、大胆で淫靡な行為に及んだ〈仲がいい者同士〉だ。ただ、居心地が悪い――気恥ずかしい思いをするとわかっていながら、誘いに乗ったのには理由がある。
「……憧れていた本人が、出張でこの場にいないというのも、ついてないな」
「まあ、仕方ありません。重要な人から、重要な仕事を仰せつかったようなので」
意味ありげな中嶋の物言いで、すぐに和彦はピンときた。だからといって、ここで長嶺組組長の名を出すわけにもいかず、曖昧な返事をする。
「へえ……。自分の店もあるのに、大変だな」
「その店を順調に営めるのも、後ろ盾があってのことだから、と本人は笑ってましたよ。……とはいっても俺は、行き先も仕事の内容も、教えてもらってないんですけどね。なんといっても、所属する組織が違いますから」
「拗ねているのか?」
中嶋が目を丸くしたところで、飲み物が運ばれてくる。車の運転がある中嶋に合わせて、二人揃ってウーロン茶だ。
鍋の準備を終えた店員が出て行くのを待ってから、苦笑交じりで中嶋が口を開く。
「先生は、ヤクザ相手に話している感覚がないでしょう」
そんなことはない。常に、君がヤクザだということは頭にある。ただ君とは、物騒な話をするより、こうして飲み食いしたり、いかがわしいことをしていることのほうが多いからな。だから遠慮がなくなるんだ」
「いかがわしい、ね……」
食えない笑みを浮かべた中嶋がグラスを掲げたので、和彦も倣う。軽くグラスを触れ合わせて、とりあえず乾杯となる。
ウーロン茶を一口飲んだ和彦は、ほっと息を吐き出した。
「君がヤクザだろうが、野心のためにぼくと親しくしていようが、一緒にいて気楽なのは確かだ。多分、君の〈女〉の部分を知っているからだろうな。今の世界で、他の男たちは絶対に見せない部分だ。それをぼくに晒してくれた分だけ、君を信頼――はどうかと思うが、近しい存在だとは思っている」
「先生は率直だ。俺は単純に、先生が好きですよ。もちろん、利用価値としての魅力も十分感じていますが」
「……君も十分、率直だ」
鍋が煮立ってきたところで、生卵を落とした器を手に取る。実は、鶏すきを食べるのは初めてだ。卵を絡めた鶏肉を口に運んだ和彦は、その味に満足しながら、ふとこんなことを考えていた。
寒いうちに、三田村ともう一度ぐらい鍋を一緒に食べたかったな、と。もっとも三田村のことなので、和彦が望めば、それこそ真夏であろうが熱い鍋につき合ってくれるだろう。
思いがけず三田村のことを考えて、ここ最近、ゆっくりと会えない状況がもどかしくなってくる。三田村だけでなく、和彦も忙しすぎる。ただ会って食事をするだけなら、時間は作れる。しかし、三田村と顔を合わせて、それだけで済ませるのはあまりに酷だ。気が済むまで抱き合いたいし、口づけも交わしたい。何より、三田村の背の虎を撫でてやりたい――。
三田村との濃密な情交が脳裏に蘇る。甘美な記憶にそのまま浸ってしまいそうで、和彦は慌てて意識を現実に引き戻す。ふと目を上げると、口元を緩めた中嶋がじっとこちらを見ていた。
「今、艶かしい顔をしていましたよ、先生」
「ぼくの〈オトコ〉のことを考えていた」
あえて大胆な発言をしてみると、中嶋が一瞬視線をさまよわせる。ムキになって反論するより、よほど効果があったようだ。
羞恥心を刺激する会話を続けるのは不毛だと、互いに嫌というほどわかっている。何事もなかった顔をして、まずは鶏すきを味わうことにした。
「……秦は?」
コートを脱ぎながら問いかけると、中嶋は軽く肩をすくめる。
「急な出張です。しかも、海外」
「それは本当に急だな。夕飯を一緒にどうかとメールを送ってきたのは、今日の午前中だったのに」
和彦はイスに腰掛け、傍らにコートを置く。すでに料理を注文しておいたのか、すぐに店員たちが、鍋や皿に盛った食材を運んできて、二人が見ている前で手早く調理を始めた。
「今日は、鍋を食べないかと言って秦に誘われたんだ」
「鶏すきですよ。これからどんどん暖かくなってきて、鍋料理を食べる機会も減ってきますから。――仲がいい者同士、鍋をつつき合うのに憧れていたみたいです、秦さんは」
このとき和彦は、自覚もないまま奇妙な表情をしたらしい。中嶋はヤクザらしくない、軽やかな笑い声を上げた。
和彦としては、中嶋と秦とどんな顔をして会おうかと、多少なりと緊張してここまで足を運んだのだ。なんといっても、大胆で淫靡な行為に及んだ〈仲がいい者同士〉だ。ただ、居心地が悪い――気恥ずかしい思いをするとわかっていながら、誘いに乗ったのには理由がある。
「……憧れていた本人が、出張でこの場にいないというのも、ついてないな」
「まあ、仕方ありません。重要な人から、重要な仕事を仰せつかったようなので」
意味ありげな中嶋の物言いで、すぐに和彦はピンときた。だからといって、ここで長嶺組組長の名を出すわけにもいかず、曖昧な返事をする。
「へえ……。自分の店もあるのに、大変だな」
「その店を順調に営めるのも、後ろ盾があってのことだから、と本人は笑ってましたよ。……とはいっても俺は、行き先も仕事の内容も、教えてもらってないんですけどね。なんといっても、所属する組織が違いますから」
「拗ねているのか?」
中嶋が目を丸くしたところで、飲み物が運ばれてくる。車の運転がある中嶋に合わせて、二人揃ってウーロン茶だ。
鍋の準備を終えた店員が出て行くのを待ってから、苦笑交じりで中嶋が口を開く。
「先生は、ヤクザ相手に話している感覚がないでしょう」
そんなことはない。常に、君がヤクザだということは頭にある。ただ君とは、物騒な話をするより、こうして飲み食いしたり、いかがわしいことをしていることのほうが多いからな。だから遠慮がなくなるんだ」
「いかがわしい、ね……」
食えない笑みを浮かべた中嶋がグラスを掲げたので、和彦も倣う。軽くグラスを触れ合わせて、とりあえず乾杯となる。
ウーロン茶を一口飲んだ和彦は、ほっと息を吐き出した。
「君がヤクザだろうが、野心のためにぼくと親しくしていようが、一緒にいて気楽なのは確かだ。多分、君の〈女〉の部分を知っているからだろうな。今の世界で、他の男たちは絶対に見せない部分だ。それをぼくに晒してくれた分だけ、君を信頼――はどうかと思うが、近しい存在だとは思っている」
「先生は率直だ。俺は単純に、先生が好きですよ。もちろん、利用価値としての魅力も十分感じていますが」
「……君も十分、率直だ」
鍋が煮立ってきたところで、生卵を落とした器を手に取る。実は、鶏すきを食べるのは初めてだ。卵を絡めた鶏肉を口に運んだ和彦は、その味に満足しながら、ふとこんなことを考えていた。
寒いうちに、三田村ともう一度ぐらい鍋を一緒に食べたかったな、と。もっとも三田村のことなので、和彦が望めば、それこそ真夏であろうが熱い鍋につき合ってくれるだろう。
思いがけず三田村のことを考えて、ここ最近、ゆっくりと会えない状況がもどかしくなってくる。三田村だけでなく、和彦も忙しすぎる。ただ会って食事をするだけなら、時間は作れる。しかし、三田村と顔を合わせて、それだけで済ませるのはあまりに酷だ。気が済むまで抱き合いたいし、口づけも交わしたい。何より、三田村の背の虎を撫でてやりたい――。
三田村との濃密な情交が脳裏に蘇る。甘美な記憶にそのまま浸ってしまいそうで、和彦は慌てて意識を現実に引き戻す。ふと目を上げると、口元を緩めた中嶋がじっとこちらを見ていた。
「今、艶かしい顔をしていましたよ、先生」
「ぼくの〈オトコ〉のことを考えていた」
あえて大胆な発言をしてみると、中嶋が一瞬視線をさまよわせる。ムキになって反論するより、よほど効果があったようだ。
羞恥心を刺激する会話を続けるのは不毛だと、互いに嫌というほどわかっている。何事もなかった顔をして、まずは鶏すきを味わうことにした。
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