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第21話
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複数の男たちとの奔放とも言える関係を、三田村は受け止めてくれている。だが、総和会会長という肩書きを持つ守光との特殊な関係だけは、奇妙な言い方だが、三田村に受け止めてもらいたくなかった。従順な〈犬〉らしく無表情で沈黙され、和彦は何も説明できなかったのだ。
和彦自身、自分のこの複雑な心理をどう表現していいのかわからない。とにかく、目の前にいない守光と話しながら、三田村と同じ部屋にいることが、居たたまれなかった。
「――どの男のことを考えている」
唐突に賢吾に話しかけられ、和彦は激しく動揺する。そんな和彦の反応を、大蛇が潜んでいる目が冷静に見つめていた。
「誰、も……」
「そこで、俺のことだと言わないあたりが、先生らしいな」
「……ぼくに、そんな可愛げのあるウソが言えるはずないだろ」
「先生の場合、憎まれ口すら可愛げがあるから、大丈夫じゃないか」
ようやく平静を取り戻した和彦は、苦々しく唇を歪める。
「そんなこと言うのは、あんたぐらいだ」
「俺ほど、先生に憎まれ口を叩かれている人間はいないだろうからな。俺にそんな口を聞けるのは、今じゃもう、千尋か先生ぐらいしかいないから、貴重だ」
賢吾の口調には、微妙なほろ苦さと優しさが入り混じっているように聞こえた。
なんと言えばいいかわからず和彦が戸惑うと、寸前の会話など忘れたように賢吾が片手を伸ばし、頬や首筋に触れてきた。
「少し熱い。熱がぶり返してないか?」
自覚がなかった和彦は、慌てて自分の額に触れる。
「いや、そんなはずは……」
「自分が高熱を出しているかどうか、へたり込むまで気づかなかった先生が言っても、説得力がない」
言外に頼りないと言われているようで、ムッとした和彦はすかさず反撃した。
「ぼくは、内科は専門外だ」
「医者じゃない人間でも、自分が体調が悪いかどうかぐらい、わかるだろ。先生は、自分のことに無頓着なだけだ。いや……、不精というべきか?」
「……好きに言ってくれ」
普段でも賢吾に口で勝てることは滅多にないのだ。体調が万全でない今、賢吾相手にムキになるのは、まさに体力の無駄だ。
和彦は口をへの字にしたまま、まだ首に触れている賢吾の手を押し退けようとしたが、反対に引き寄せられ、耳元で囁かれた。
「熱が出ているかどうか、帰ったら俺が確かめてやる。――じっくりと」
その言葉の意味を深読みして、もう何も言えなくなる。
本宅に戻って玄関で靴を脱ぐなり、賢吾に腕を掴まれた。半ば強引に廊下を歩かされながら和彦は、本当に熱がぶり返したのかもしれないと心配になる。腕を掴む賢吾の手の感触を意識するだけで、顔が熱くなってくるのだ。
「あの――」
少し休ませてくれないかと言いかけたとき、ダイニングから飛び出してきた人物がいた。千尋だ。
朝、和彦が寝ている客間にスーツ姿で顔を出し、仕事で出かけると話していたが、もう片付いたらしい。すでにラフな格好をしている。
千尋は不機嫌さを隠そうともせず、賢吾にこう言い放った。
「俺、昼には帰ってくるって言っておいたのに、何勝手に先生を連れ出してるんだよ、クソオヤジ」
「キャンキャン吠えるな。こうして戻ってきただろ」
素っ気なく返した賢吾を睨みつけた千尋は、和彦に対しては甘ったれな犬っころのような眼差しを向けてくる。片腕を賢吾に掴まれたまま和彦は、もう片方の手を伸ばす。すぐに千尋が駆け寄ってきた。
わざと息子を煽る意地の悪い父親に代わり、和彦が説明してやる。
「ぼくへの誕生日プレゼントとして、着物を仕立ててくれるそうなんだ。それで呉服屋に出かけていた」
「……先生って、オヤジからだと高いプレゼントを受け取るんだ……」
「不可抗力だっ。店に行くまで、ぼくは何も知らされてなかったんだからな」
二人のやり取りに、賢吾がこんな茶々を入れてきた。
「モテる〈オンナ〉は大変だな。こっちの男を立てたら、あっちの男も立てなきゃいけねーし」
和彦は賢吾を睨みつけ、さりげなく客間のほうに逃げようとしたが、それを許すほど、長嶺の男二人は甘くはなかった。
日曜日の昼間から、浴衣に着替えて布団に横になるのは、なんとなく時間を無駄につかっているようでもあり、同時に、贅沢なようにも思えてくる。
天井を見上げながら和彦は吐息を洩らす。すると呼応するように、隣からさらに深い息遣いが聞こえてくる。正確には、寝息だ。
和彦は体ごと向きを変え、隣を見る。障子を通した柔らかな陽射しを浴びる千尋は、畳の上でやや体を丸め気味にして眠っていた。茶色の髪が、日に透けてさらに色素が薄く見える。その姿に毛並みのいい犬を連想した和彦は、手を伸ばし、そっと髪に触れる。
和彦自身、自分のこの複雑な心理をどう表現していいのかわからない。とにかく、目の前にいない守光と話しながら、三田村と同じ部屋にいることが、居たたまれなかった。
「――どの男のことを考えている」
唐突に賢吾に話しかけられ、和彦は激しく動揺する。そんな和彦の反応を、大蛇が潜んでいる目が冷静に見つめていた。
「誰、も……」
「そこで、俺のことだと言わないあたりが、先生らしいな」
「……ぼくに、そんな可愛げのあるウソが言えるはずないだろ」
「先生の場合、憎まれ口すら可愛げがあるから、大丈夫じゃないか」
ようやく平静を取り戻した和彦は、苦々しく唇を歪める。
「そんなこと言うのは、あんたぐらいだ」
「俺ほど、先生に憎まれ口を叩かれている人間はいないだろうからな。俺にそんな口を聞けるのは、今じゃもう、千尋か先生ぐらいしかいないから、貴重だ」
賢吾の口調には、微妙なほろ苦さと優しさが入り混じっているように聞こえた。
なんと言えばいいかわからず和彦が戸惑うと、寸前の会話など忘れたように賢吾が片手を伸ばし、頬や首筋に触れてきた。
「少し熱い。熱がぶり返してないか?」
自覚がなかった和彦は、慌てて自分の額に触れる。
「いや、そんなはずは……」
「自分が高熱を出しているかどうか、へたり込むまで気づかなかった先生が言っても、説得力がない」
言外に頼りないと言われているようで、ムッとした和彦はすかさず反撃した。
「ぼくは、内科は専門外だ」
「医者じゃない人間でも、自分が体調が悪いかどうかぐらい、わかるだろ。先生は、自分のことに無頓着なだけだ。いや……、不精というべきか?」
「……好きに言ってくれ」
普段でも賢吾に口で勝てることは滅多にないのだ。体調が万全でない今、賢吾相手にムキになるのは、まさに体力の無駄だ。
和彦は口をへの字にしたまま、まだ首に触れている賢吾の手を押し退けようとしたが、反対に引き寄せられ、耳元で囁かれた。
「熱が出ているかどうか、帰ったら俺が確かめてやる。――じっくりと」
その言葉の意味を深読みして、もう何も言えなくなる。
本宅に戻って玄関で靴を脱ぐなり、賢吾に腕を掴まれた。半ば強引に廊下を歩かされながら和彦は、本当に熱がぶり返したのかもしれないと心配になる。腕を掴む賢吾の手の感触を意識するだけで、顔が熱くなってくるのだ。
「あの――」
少し休ませてくれないかと言いかけたとき、ダイニングから飛び出してきた人物がいた。千尋だ。
朝、和彦が寝ている客間にスーツ姿で顔を出し、仕事で出かけると話していたが、もう片付いたらしい。すでにラフな格好をしている。
千尋は不機嫌さを隠そうともせず、賢吾にこう言い放った。
「俺、昼には帰ってくるって言っておいたのに、何勝手に先生を連れ出してるんだよ、クソオヤジ」
「キャンキャン吠えるな。こうして戻ってきただろ」
素っ気なく返した賢吾を睨みつけた千尋は、和彦に対しては甘ったれな犬っころのような眼差しを向けてくる。片腕を賢吾に掴まれたまま和彦は、もう片方の手を伸ばす。すぐに千尋が駆け寄ってきた。
わざと息子を煽る意地の悪い父親に代わり、和彦が説明してやる。
「ぼくへの誕生日プレゼントとして、着物を仕立ててくれるそうなんだ。それで呉服屋に出かけていた」
「……先生って、オヤジからだと高いプレゼントを受け取るんだ……」
「不可抗力だっ。店に行くまで、ぼくは何も知らされてなかったんだからな」
二人のやり取りに、賢吾がこんな茶々を入れてきた。
「モテる〈オンナ〉は大変だな。こっちの男を立てたら、あっちの男も立てなきゃいけねーし」
和彦は賢吾を睨みつけ、さりげなく客間のほうに逃げようとしたが、それを許すほど、長嶺の男二人は甘くはなかった。
日曜日の昼間から、浴衣に着替えて布団に横になるのは、なんとなく時間を無駄につかっているようでもあり、同時に、贅沢なようにも思えてくる。
天井を見上げながら和彦は吐息を洩らす。すると呼応するように、隣からさらに深い息遣いが聞こえてくる。正確には、寝息だ。
和彦は体ごと向きを変え、隣を見る。障子を通した柔らかな陽射しを浴びる千尋は、畳の上でやや体を丸め気味にして眠っていた。茶色の髪が、日に透けてさらに色素が薄く見える。その姿に毛並みのいい犬を連想した和彦は、手を伸ばし、そっと髪に触れる。
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