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第19話
(21)
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一人でタクシーに乗って、ふらりと夜遊びに出かける――はずもなく、目的地は、近所のコンビニだ。誰にも知らせず和彦ができる冒険は、せいぜいこれぐらいだ。それを窮屈だと感じないのは、見事に今の生活に順応しきったということだろう。
コンビニまで数分ほどの道のりを歩きながら、白い息を吐き出す。二月の夜の空気は切りつけてくるように冷たく、和彦はマフラーと手袋をしてこなかったことをすでに後悔していた。
熱い缶コーヒーだけを買うと、コンビニ前に置かれたベンチに腰掛ける。すっかり冷たくなった手を温めながら、ぼんやりと目の前の通りを眺める。
本当はすぐに帰るつもりだったが、たまに通りかかる人や車を眺めているうちに、立ち上がるきっかけを失っていた。部屋に戻ったところで、またメッセージカードを取り出して、思い出に浸ることを思えば、こうして寒さに身を晒しているほうがマシだ。
だが、さすがに体が冷えきってきた。
ダウンジャケットを着ていても体温がどんどん奪われていくようで、和彦は強張った息を吐き出す。
身震いした拍子に、足元に置いた空き缶が倒れて転がった。緩慢な動作で拾おうとした和彦は、アスファルトの地面に伸びた人影に気づいて動きを止めた。
「――車で通りかかって、目を疑った。まさか先生がこんな時間に、一人でコンビニの前にいるなんて、思いもしなかったからな」
耳に届いたハスキーな声は、明らかに怒っていた。和彦が顔を上げると、無表情がトレードマークのはずの男は、声同様、少し険しい表情をしている。
「三田村……」
側まで歩み寄ってきた三田村が、転がった缶を拾い上げてゴミ箱に入れる。
「一人で出歩いたりして、何かあったらどうするんだ。先生は、組にとって……、今は総和会にとっても大事な人なんだ。誰に目をつけられても不思議じゃない。連れ去られでもしたら――」
やや視線を逸らして話す三田村を、和彦はじっと見つめる。その視線に気づいたのか、ふいに三田村は黙り込んだ。
二人が沈黙する間に、コンビニに数人の客が出入りする。その様子を横目に見ながら和彦は、感覚がなくなりつつある指を擦りつけ合う。すると突然、三田村に腕を掴まれて引き立たされ、駐車場に停めた車に連れて行かれた。
車に乗り込んだ三田村は、すぐにエンジンをかける。暖房を強くしてから、次に和彦の手をきつく握り締めてきた。
「氷みたいに冷たくなっている。どれぐらい、あそこにいたんだ」
「……多分、一時間ぐらいだ。コーヒーを飲んだらすぐに帰るつもりだったけど、なんとなく、部屋に戻りたくなくて」
「先生からの留守電に気づいて、何度も電話したのに出ないから、心配した。……運転していて、気が気じゃなかった」
もう片方の手も握ってもらい、燃えそうに熱い三田村の手の感触に、和彦はほっと吐息を洩らす。この感触が恋しくてたまらなかったのだ。
「用があったわけじゃないんだ。ただ、声が聞きたかっただけだ」
そう応じると、すかさず三田村に顔を覗き込まれる。ヤクザらしい鋭い眼差しは、和彦が隠そうとしているものを容易に見抜いたようだ。
「――前に、似たようなことがあった。先生が俺に電話してきて、切羽詰った声ですぐに会いたいと言ってくれた」
ああ、と声を洩らした和彦は、苦笑を洩らす。あのときは、鷹津や秦の存在で心を乱されていたのだ。そして今は――。
うかがうように三田村を見ると、先回りして言われた。
「俺は、何があっても立ち位置を変えない。先生は、俺みたいな人間を、自分の〈オトコ〉だと言ってくれるんだ。先生がどれだけ立派な男たちに求められて、大事にされても、俺はそんな先生をずっと守って、想い続ける。先生は何も遠慮しなくていい。俺の反応なんて気にしないでくれ」
「組長から、何か聞いているのか?」
「いや……。ただ、先生と総和会の交流が活発になっているという話は、伝わっている。先生の価値を思えば、いろんな人間が先生と接触を持ちたがっても不思議じゃない」
和彦が長嶺組と関わりを持ったときから、ずっと側にいる三田村だ。和彦と関わりを持つ人間が増えるということは、何を伴ったものなのか簡単に推測できるだろう。察してくれ、の一言すら必要ない。すでにもう三田村は察しているのだ。
車内が暖められていくに従い、握られた和彦の手もゆっくりと体温を取り戻していく。和彦はそっと三田村の手を握り返した。
「――……組から言われるままに患者を診て、クリニックを経営して、物騒な男たちから大事にされて、ときどき、こうしてあんたと会う。ぼくは、長嶺組の力で守られている世界に順応したし、十分満たされている。だけど、ヤクザの世界はそんなに甘くなかったみたいだ」
「つらいことを強要されたのか?」
コンビニまで数分ほどの道のりを歩きながら、白い息を吐き出す。二月の夜の空気は切りつけてくるように冷たく、和彦はマフラーと手袋をしてこなかったことをすでに後悔していた。
熱い缶コーヒーだけを買うと、コンビニ前に置かれたベンチに腰掛ける。すっかり冷たくなった手を温めながら、ぼんやりと目の前の通りを眺める。
本当はすぐに帰るつもりだったが、たまに通りかかる人や車を眺めているうちに、立ち上がるきっかけを失っていた。部屋に戻ったところで、またメッセージカードを取り出して、思い出に浸ることを思えば、こうして寒さに身を晒しているほうがマシだ。
だが、さすがに体が冷えきってきた。
ダウンジャケットを着ていても体温がどんどん奪われていくようで、和彦は強張った息を吐き出す。
身震いした拍子に、足元に置いた空き缶が倒れて転がった。緩慢な動作で拾おうとした和彦は、アスファルトの地面に伸びた人影に気づいて動きを止めた。
「――車で通りかかって、目を疑った。まさか先生がこんな時間に、一人でコンビニの前にいるなんて、思いもしなかったからな」
耳に届いたハスキーな声は、明らかに怒っていた。和彦が顔を上げると、無表情がトレードマークのはずの男は、声同様、少し険しい表情をしている。
「三田村……」
側まで歩み寄ってきた三田村が、転がった缶を拾い上げてゴミ箱に入れる。
「一人で出歩いたりして、何かあったらどうするんだ。先生は、組にとって……、今は総和会にとっても大事な人なんだ。誰に目をつけられても不思議じゃない。連れ去られでもしたら――」
やや視線を逸らして話す三田村を、和彦はじっと見つめる。その視線に気づいたのか、ふいに三田村は黙り込んだ。
二人が沈黙する間に、コンビニに数人の客が出入りする。その様子を横目に見ながら和彦は、感覚がなくなりつつある指を擦りつけ合う。すると突然、三田村に腕を掴まれて引き立たされ、駐車場に停めた車に連れて行かれた。
車に乗り込んだ三田村は、すぐにエンジンをかける。暖房を強くしてから、次に和彦の手をきつく握り締めてきた。
「氷みたいに冷たくなっている。どれぐらい、あそこにいたんだ」
「……多分、一時間ぐらいだ。コーヒーを飲んだらすぐに帰るつもりだったけど、なんとなく、部屋に戻りたくなくて」
「先生からの留守電に気づいて、何度も電話したのに出ないから、心配した。……運転していて、気が気じゃなかった」
もう片方の手も握ってもらい、燃えそうに熱い三田村の手の感触に、和彦はほっと吐息を洩らす。この感触が恋しくてたまらなかったのだ。
「用があったわけじゃないんだ。ただ、声が聞きたかっただけだ」
そう応じると、すかさず三田村に顔を覗き込まれる。ヤクザらしい鋭い眼差しは、和彦が隠そうとしているものを容易に見抜いたようだ。
「――前に、似たようなことがあった。先生が俺に電話してきて、切羽詰った声ですぐに会いたいと言ってくれた」
ああ、と声を洩らした和彦は、苦笑を洩らす。あのときは、鷹津や秦の存在で心を乱されていたのだ。そして今は――。
うかがうように三田村を見ると、先回りして言われた。
「俺は、何があっても立ち位置を変えない。先生は、俺みたいな人間を、自分の〈オトコ〉だと言ってくれるんだ。先生がどれだけ立派な男たちに求められて、大事にされても、俺はそんな先生をずっと守って、想い続ける。先生は何も遠慮しなくていい。俺の反応なんて気にしないでくれ」
「組長から、何か聞いているのか?」
「いや……。ただ、先生と総和会の交流が活発になっているという話は、伝わっている。先生の価値を思えば、いろんな人間が先生と接触を持ちたがっても不思議じゃない」
和彦が長嶺組と関わりを持ったときから、ずっと側にいる三田村だ。和彦と関わりを持つ人間が増えるということは、何を伴ったものなのか簡単に推測できるだろう。察してくれ、の一言すら必要ない。すでにもう三田村は察しているのだ。
車内が暖められていくに従い、握られた和彦の手もゆっくりと体温を取り戻していく。和彦はそっと三田村の手を握り返した。
「――……組から言われるままに患者を診て、クリニックを経営して、物騒な男たちから大事にされて、ときどき、こうしてあんたと会う。ぼくは、長嶺組の力で守られている世界に順応したし、十分満たされている。だけど、ヤクザの世界はそんなに甘くなかったみたいだ」
「つらいことを強要されたのか?」
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